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ノンフィクション作家 佐野眞一さん スペシャルインタビュー(第4回)

第4回 日本人の精神文化は復興できるか!?

編集部多川 先ほど、日本人は今でも夢見がちみたいなお話しがありましたが、それはすでに「終わっている価値感」にしがみついているみたいなことですか?
佐野 価値感の転換ができなかったんだろうね。俺は敗戦の2年後、22年の生まれ。厳密に定義すると団塊の世代というのは、日本の貧しさを知る最後の世代なんだよね。そして、日本が豊かになることを最初に実感した世代でもある。そういう両義的な存在だから、貧しさが自分のエネルギーになっていることもわかっている。だから家庭も顧みず会社ひと筋、一生懸命働いて、貧しさから脱却できたと思ったら、目も眩むようなバブル時代が訪れた。でも、それはもうこの上はないぞ、という「天井」だったんだよ。日本の資本主義経済のあり方、企業経済のしくみ、社会の構造、制度、あらゆる価値をシフトしないと先はないぞという警告がベルリンの壁の崩壊であり、バブル崩壊だったと思うんだよね。そんな大事なときに日本の首相は竹下登、以降ろくでもないやつらがずらっと並んじゃって。政治の責任だけにはしたくないけど、そこでシフトしなかったよね。そこでシフトできていれば、もう少し希望があったんじゃないかな。
多川 今までのやり方では先がないという危機感を個人が持つというのは、サラリーマンの安定した生活があると難しいのではないかと。わたしは大阪の下町生まれなんですけど、子どもの頃、身近なまわりに背広姿のサラリーマンがほとんどいなかった。会社勤めでも作業服を来た技術者や工員。大工や職人、工場や工務店、商店などの自営業など、「人生なんて自分次第」という空気が漂ってるわけです。子どもの将来についても「手に職をつけろ」とは言うけど、勉強しろとは言わない。何とか自分で食って生きていく道をつければ親としてはそれでいいわけです。今は子どもの教育にも相当お金がかかるし、ローンもあるとなるとこの会社で長く勤め上げるしかない。となると社会の価値観をシフトさせるとか、そんなマクロなことまで考えられないんじゃないかなぁ(苦笑)。
佐野 おれも職人の世界はすごく好きでね。身体性ということでいえば、「学歴は中卒でも、旋盤をやらせたら一番だぜ」みたいな、そういう世界がなくなった。ひとり一人が人生の意義や物語を見出すのが難しい時代だよな。若い頃に団子屋や布団屋のおやじとか、町人の生活を取材したけど、布団屋には布団屋の言葉があったね。でも、いま取材をすると、日本経済新聞みたいな立派なことをいうんだよ(笑)。自分の中にメディアが浸透しちゃうんだな。メディアの言語を使っちゃう。もっともらしく通りやすい言葉みたいな。
多川 その業界だけの言葉ってありますよね。あと尺貫法も、自分の身の丈を基準につくられてるじゃないですか。ということは、自分と世の中とのつながり、スケールをはかるものさしは「わが身ひとつ」の身体性なんですよね。
佐野 政治学者の原武史は鉄道マニアの「てっちゃん」なんだけど、東日本大震災について彼と話して興味深かったことがあるんだ。今回被災した中心地には三陸リアス鉄道があって、宮古、田老、久慈、釜石、陸前赤崎という南北を結ぶ線が通っている。柳田國男風にいうと、車窓風景と地名というのは、日本人の叙情の原点だと。森進一の代表曲・港町ブルース(歌詞中には函館から鹿児島まで日本列島を南下するように多くの港町が登場)なんかも、そうだよね。あの歌の発売は昭和44年なんだけど、列車、駅、地名が叙情を醸す時代は、そこらへんで終わりなんだろうな。今回の被災地でも、真っ先に復旧するのは東北新幹線でしょ。三陸鉄道はおいてけぼりになるわけだよ。そういうところにも、中央集権的なやり方が象徴的に表れていると思うよ。
多川 そこが今回の震災で、地方の底ヂカラを見せられた部分で「国にまかせてたらいつになるかわからねえ!」と、自分たちで瓦礫を撤去したり、道路を修復したり、そういう地域のつながりの強さに感動して、ほんと頭が下がりました。
佐野 たとえば、JRが地方の赤字路線を廃止したと。すると北海道は独特のパーソナリティを持ってて、実にあっけらかんとしてる。切られたまんま、何にもしない。ところが東北の三陸鉄道はJRが切った線を民間がつなぐんだよ。「おれたちでがんばってやんぞー」って1日も早く復興しちゃうのも、東北人のたくましさだよな。
陸前高田の広田半島も、この津波にやられて地震後3日間、集落が孤立した。市街への道路の復旧にはかなり時間がかかる。となると救援物資も届かない。そのとき部落のリーダーが各家の米を集めて、住民ひとりあたり1日1合ずつで過ごすようにしようじゃないかと、決めるんだよね。これは感動したね。宮本常一が記した「忘れられた日本人」を思い出したよ。日本独特の寄り合いだよね。
多川 さっきの鉄道もそうですけど、日本というのは中央集権の都市、東京を中心につくられた社会だということをあらためて痛感しました。地方の末端から東京の心臓にどんどん血液を送って、またそれを地方にばっと公共事業やダム建設やら何やら一斉にバラまく。
佐野 原発もそうだよな。福島でつくった電力をせっせせっせと東京に送ってるんだよな。今回の大震災、原発事故は日本の危うくいびつな非対称性をもろに見せたわけだ。
編集部 twitterやFacebookなどのソーシャルメディアも完全に都市型ですよね。ある調査ではtwitterもしくはFacebook利用者の約半数が関東、中部、近畿で30%。その他は九州5.8%、東北6%、中国4%、四国2.5%でした。

※「震災に伴うtwitter、Facebook利用実態に関する調査」(株式会社IMJモバイル2011年3月調べ)

佐野 ソーシャルメディア隆盛の今、旧メディアの新聞やテレビは、相当危機的状況に瀕してる。ブログやなんかで、個人が情報を発信して、モノを書くわけだからさ。でも、ジャーナリスト、ルポライター、作家など物書きのプロは、絶対残ると思うんだよね。電子出版が始まった頃、パソコンがあれば誰もが表現者になれる、パブリッシャーになれるなんていうつまらない議論があったんだよ。表現者というのは、どうしてもこれを表現したいという欲求が人より数倍強いだけじゃダメなんだ。それを読者として、あるいは視聴者として、客観的に受け止める力がいる。さらにそれだけでもダメで、その表現したものと受け止めたものを批評できる目がないと、表現者じゃないんだよ。そこまでの欲求、視点、力を、パソコンを手にしただけで持てるかという話だよ。
多川 ネット表現独特の痛快な面白さもあるし、記号的な言葉遊びも笑えるし、それはそれで自分も結構楽しんでたり。ただ、同じ事柄について「これはスゴイ」ということを伝えるにしても、何がどうスゴイのか、スゴイという言葉を使わず「スゴイ」と伝えるのが表現のプロじゃないかと思います。「スゴ過ぎ〜」だけで伝わるのかもしれないけど、そこは敢えて死んでも使わない・使えないシバリのきつさが、プロと素人の差じゃないかと・・・。
佐野 テレビで被災地の視聴者が撮影した映像を見て、キャスターが「すごい、映画みたいですね」なんて感心してる。ひどい有様だよ。ニュースを伝えるプロとしてちゃんと勉強していれば、2万2千人の死者を出した明治29年の三陸大津波だって知ってるはずだよ。その映像を見ていれば、この巨大な波の下にどれだけの人間が飲み込まれているか想像できるはずなんだ。映像を見せて「スゴイ」と言うだけなら、素人と同じだよ。それはメディアではない。新しくてスゴイけりゃ、おまえらはウンコにでも飛びつくのかと。
多川 笑…新しいものでも自分に合うかどうか、それをセレクトするセンスが鈍いのか何なのか。フランス人なんか、マウスやコンピューターという外来語まで頑なにフランス語を守り通してますよね。まあそこまでする必要もないけど、でも、迷わずそのまま受け入れてしまうと、失ってしまう伝統がある。しかもそれは1度失ったら2度と取り戻せないことをヨーロッパの人たちは長い近代化の歴史の中で知っているでしょうね。
佐野 日本に西洋文明が入ってきたときに、夏目漱石たちは死に物狂いで日本語に翻訳していったわけだよね。その恩恵で我々は日本語を使いこなせているんだよ。そういう先人たちの知恵と努力で築いてきたものも、いよいよ限界にきてると思う。ここからは今の自分たちが死に物狂いで新しい日本の歴史をつくっていかなきゃいけない。言葉、言論、表現、日本人の文明、文化、知の力すべてにおいて、ほんとに今、試されているんだよ。


撮影/編集部
008 ノンフィクション作家 佐野眞一さん Interview
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さの・しんいち
1947年、東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。「戦後」と「現代」を映し出す意欲的なテーマに挑み続けている。97年、『旅する巨人—宮本常一と渋沢敬三』で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。09年には『甘粕正彦 乱心の曠野』で第31回講談社ノンフィクション賞を受賞。その他『遠い「山びこ」』『巨怪伝』『東電OL殺人事件』『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』『誰も書けなかった石原慎太郎』など多数。

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