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ノンフィクション作家 佐野眞一さん スペシャルインタビュー(第3回)

第3回 孫正義という人間を書いた理由

編集部多川 福島原発で避難した女性が「原発はある意味誇りだったし、自分たちが東京を支えているという自負があった」と悔しそうに語っているのを聞くと、原発問題の根深さを考えさせられます。つまり事故さえ起こらなければ、「原発」というのは地方と中央の地域格差、雇用格差、生活格差を埋める巨大な装置としてこの上ないものだったんじゃないかと。それを取り払うということは、それこそ日本全体の構造、日本人の価値感の転換が必要なのではないかと…。
佐野 原発っていうのは、顔が見えない。ましてやこれだけ巨大な事故が起きたら、何をどう捉えたらいいのか悩むわけだよね。立場によっても考え方が様々あるわけだから。さらに東京電力という巨大企業の隠蔽体質も、普通の感性では捉えようがない。『東電OL殺人事件』を書いた時もつくづく思ったよ。売春の果てに渋谷の円山町のボロアパートで殺された彼女は、確かにエキセントリックな女の子だったけれども、それはある意味「どうしてあなたたち本当のことをいわないの!」という彼女の絶叫にも似たダイイングメッセージだったような気もするな。
多川 反応も感情も表情も何もない、のっぺらぼうの妖怪に囲まれてるみたいな恐怖、狂いそうな怒りがあったんじゃないかと思いますけど。あの東電役員たちの顔ぶれを見ると(苦笑)。
佐野 彼女がやってることは東電内部の人間はみんな知ってたんだよ。普通だったら厳重注意するとか、処分するとか、何かするよね。でも東電みたいなプライドのある会社は、全部知っていて見て見ぬ振り。黙っている。いちばんひどいやり方。原発と同じだよ。危険だという事は薄々知りながらね。彼らは福島に行ったこともないし、東京のど真ん中にいるわけだし、福島原発の中央制御室に入れるのはエリート中のエリートだけ。建屋内で放射線の危険にさらされながら過酷な作業をしているのは下請けの派遣社員や労働者。そういう現実も東電は一切見せてこなかったよね。
多川 下請けの協力会社にしても労働者にしても、背に腹は代えられないお金の流れがあるんですよね。
佐野 とくにエネルギーを担うところは、炭坑労働と同じだよ。原発作業員は毎日ダクトの中に入って結露を吹く仕事だからね。近代化されて完全にコンピュータ制御で管理されていると思いきや、実際は日々点検やら雑巾掛けやら過酷な人力作業なんだよ。
多川 マスコミもそこは絶対に取り上げない。
佐野 自分たちの社会にも身体性というものがあるんだよ。働くことも、生きることもそう。身をよじるほどの痛みや息苦しさがある。世の中、そんなきれいになんかできてないんだよ。どんなに時代はアナログからデジタルへ進化しても、人間の世の中すべてがスムーズに合理的に効率よくキレイになるわけがない。

多川 ほんとにそうだと思います。佐野さんの取材対象は、何かこうドグマの塊みたいな昭和の怪人・傑人が多く、自分はそういう人間の生々しさにやたら食いついてしまうのですが・・・。昭和というと血液ドロドロ、平成になると血液サラサラみたいな、この違いは何なのかと。そういう意味で、あえて佐野さんが平成の大人物として「孫正義」を書かれたのは、孫さんの中に、昭和の人間に通じる濃厚な凄まじさを感じたからなのですか?
佐野 孫正義という男について書く気になったのは、まず彼がITネットワーク産業のトップランナーだからなんだよね。でも、おれはなぜかこいつに“うさんくささ”を感じたんだよ。いったいこの臭いはなんだと、その疑念が出発点だったわけ。彼は在日韓国人三世で、豚の糞と偽造酒の臭いにまみれて育ったような男だよ。孫正義は昭和32年、九州・佐賀の朝鮮部落で生まれた。これは象徴的で、その前年の昭和31年に経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言した年。つまり、それ以降に生まれた人たちは、高度経済成長に向けて走っていくわけだよね。孫はその翌年に豚小屋のような朝鮮部落に生まれる。世の中はどんどん豊かになっていく高度成長期に、戦前のような貧しさを舐めて育った。孫にとっては、それがすごくよかったことなんだよ。孫が活躍するのは平成の世ではあっても、孫には昭和の匂いがする。日本人で孫に勝てるヤツはちょっといないと思う。あの年齢であのスケール感は、日本人じゃ出せないだろう。差別された在日だからこその根強さだよ。
多川 平坦な言葉ですけど、人は何に泣いて、何を喜ぶか。生きる苦しみ、哀しみを知っているということでしょうか?
佐野 孫正義のルーツを掘り下げるために、孫家の三代前までさかのぼって調べた。そしたら孫の祖母にあたる李元照(ウンゾウ)というのが強烈でね。正義がまだ小さいとき「正義、行くぞ」って、リヤカーにドラム缶を積んで豚の残飯集めに行くんだよ。正義は臭くて臭くてしょうがなかったって言ってたけどね。で、李元照は7人の子どもを産んで、その長男が正義の親父、孫(安本)三憲(ミツノリ)。この三代の血脈がないと、正義という人間はつくれないじゃないかな。父親の三憲は、母親の李元照のことを「自分でいうのもあれだけど、すごく優しい母親でね」っていうだ。というのも、豚の子が生まれると、豚の子を2匹、丹前の懐に入れて自分のおっぱいを飲ませたと。
多川 豚に、おっぱい…(苦笑)。
佐野 おれはほんと感動したな。三憲はすごく頭のいい男なんだけど、貧しさから中学しか出られなかった。あとは密造酒を売って稼いだ金で、金貸しとパチンコ屋を営み成功したわけだ。孫正義はそういう世界で育ったわけだよ。
多川 祖母の丸裸の愛情と父親の生き抜く強さ、逞しさ、執念を見て育ったと・・・。
佐野 平たい言葉でいえば、日本の昭和というのは荒れ果てた焼け跡から、世界第2位の経済大国まで築きあげた歴史なんだよね。そういう時代にはダイエーの中内功とか、得体の知れないスケール感のある人物が出てくるんだよね。インチキだろうと何だろうと、さ。犯罪者もそうだよ。犯罪者も魅力的だよ。
多川 そう、昭和の犯罪者の根っこには松本清張の世界に通じる貧しさと悲しさがどろどろと渦巻いてました。
佐野 平成の日本人が腑抜けなのは、バブル崩壊後に失われた20年があって、世界第二位の経済大国の座は中国に奪われてもまだ「高度経済成長のあの頃」を夢想していることだよ。経済成長の見事な失敗例を俺たちはダイエー中内の末路に見たわけだよ。でも、孫正義は絶対そうはならない。おれは彼がめざす「ブロードバンド構想」が必ずしも人の世を幸せにするとは思えない。ただ「天下国家のために」という志を持つ日本の企業リーダーとして、孫正義は破格のスケールを持った男だと思うね。


撮影/編集部
008 ノンフィクション作家 佐野眞一さん Interview
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ノンフィクション作家 佐野眞一さん スペシャルインタビュー(第3回)




さの・しんいち
1947年、東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。「戦後」と「現代」を映し出す意欲的なテーマに挑み続けている。97年、『旅する巨人—宮本常一と渋沢敬三』で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。09年には『甘粕正彦 乱心の曠野』で第31回講談社ノンフィクション賞を受賞。その他『遠い「山びこ」』『巨怪伝』『東電OL殺人事件』『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』『誰も書けなかった石原慎太郎』など多数。

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