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写真家・鬼海弘雄さんスペシャルインタビュー 第3回 言葉がなければ、写真にならない。

第3回 言葉がなければ、写真にならない。

多川麗津子 (以下多川) わたしが「ポートレイト」を見て、強く惹きつけられたのはやっぱり鬼海さんのキャプションなんですね。「遠くから歩いてきたと呟いた青年」「ゆっくりまばたきする男」とか、ありふれた普通の言葉なんですけど、そのひとことで、ああ、この人はずっとそうやって、そんな風に生きてきたんだろうなと、自分の中で勝手にその人の物語が膨らんでいきます。
鬼海弘雄さん(以下鬼海) そうそう、そうやって人に思いを馳せるというのが大切なことでね、人に思いを馳せるというのは贅沢なことなんです。だから表現というのは、人生において一番贅沢な遊びなんですよ。
多川 あのポートレイトひとり1人のキャプションはどういう気持ちで書かれたんですか?
鬼海 このひとことでその人の全人格を表してやる!という居合抜きのような気合いで書くよね。文章で写真を説明するのではなくて、写真と文章が同時に立ち上がってくるような言葉を選ぶ。それは、その人と交わした会話やふと洩らした言葉から抜き出すこともあるし、自分が感じたことを書く場合もあるし。
多川 写真家というと、瞬発力というかハンターというか、本能で撮るみたいなイメージがあって、鬼海さんのように言葉を大切にする文学肌の写真家の人はめずらしいというか意外だったんです。
鬼海 そういうかっこいいことを言える人は、写真で飯が食えてるからでしょう。
鬼海弘雄
多川 笑….いや、でも、いるじゃないですか。映画にせよ音楽にせよ「とにかく見て下さい」とか言うアーティストが。
鬼海 言葉にできないというのは、言い訳ですよ。論理的に文章にするということではなく、言葉にするというのは考えるということだからね。
多川 あるとき降って湧いたように詩があふれ出したとか、言葉が降りてきたとか、生まれながらの表現者みたいな不思議なことを言う人も多い昨今、表現は才能なのか何なのかということを鬼海さんに訊いてみたくて。

鬼海 よく誤解されてることなんだけど、表現というのは、頭で考えたものしか出せないんだよ。言わば、考えないで表現なんてできるわけない。考えるにはどうしても言葉が要る。言葉にできない写真は、写真じゃないといってもいい。たとえばね、無人カメラで24時間、延々どこかの場所や人を撮り続けて、人の心を動かす1枚が撮れるかと。絶対に撮れないですよ。
やっぱりね、ロゴス(ことば)なのよ。

多川 ロゴス...ですか。言葉にならない言葉を考え続けろと。
鬼海 表現して生きていくと言うことは、そういうこと。実にもならず、金にもならず、それこそ無償の恋みたいなものに、この小さい心の溶鉱炉を燃やし続けることなのよ。
多川 なんか表現って、いじらしく切ない人間の性なんですね。

鬼海 だから「誰でも表現できる」という根拠はそういうことなんだよ。

多川 誰もが持ってる感性ということですか?
鬼海 持ってない人もいるかもしれない。
多川 えっ?

鬼海 いや、でも、潜在的にはそういうものだと思いたい。
信じたいということだよね。

鬼海弘雄
多川 いつかだれかが分かってくれる人がいるだろうと。

鬼海 自分の気持ちと自分以外の人の気持ちには永遠の距離があるよね。
でも、その永遠の距離が、自分の今を支えているんだよ。
「今」がなくなると宗教に走る。

多川 苦笑....表現に迷うか、宗教に走るか(苦笑)。
話を写真表現に戻すと、以前、新聞のインタビューで、「何が写っているのかの答えは、見る人の側にある」と語られていましたが、その人が写っていない町や自然の写真に「人」を見るのは、その写真を見る人の想像力にゆだねられているということですね。

鬼海 写真でも小説でも、表現されたものが媒体となって、それを見る人に「何か」が伝わるという構造は、どんな表現分野でも変わらない。写真家が掘った川筋に水を流してくれるのは、それを見てくれた人だということだね。
多川 そうですね。小説も映画も、それを読む人、観た人が何をどう思うか。

鬼海 芸術写真というのは、菌を撒くようなものだよね。それを見た瞬間、触れた瞬間、何かに感染するような。

多川 写したものが人に移るというのは、なんか面白いですね。

鬼海 僕の写真を見た人にどんな風に移っていくか、その技を仕掛けるのが写真家で、そこがおもしろいわけだよね。
鬼海弘雄
撮影協力/大庭佐知子・Luigi Clavareau
“東京ポートレイト”
東京ポートレイト

鬼海弘雄
クレヴィス

2,400円+税

人と町の体温、むき出しの存在感を写し取る。ライフワークの決定版写真集。
40年以上にわたって、強烈な存在感と詩情をあわせ持つ浅草の人々を撮り続けた「PERSONA」、人の営みの匂いを写し出す町のポートレイト「東京迷路」「東京夢譚」、鬼海弘雄のライフワークであるこの2シリーズから精選した作品に未発表写真を加えた、氏の集成ともいえる写真集。

【鬼海弘雄さん作品インフォメーション】

「INDIA」(みすず書房)



10年間、幾度も訪れたインドの地。悠久の時の流れ、濃密な生の実感を写し取った傑作写真集。

浅草のひとを写した382点の写真と24の文章で綴る、
鬼海弘雄新著「世間のひと」
(3/10筑摩書房より)発売!


「ひとが、自分とは違うひと(他者)にもう少し興味を持てば、生きづらい世間の間がすこしゆるみ、多少なりとも生きやすくなるのではないだろうか」市井で生きる人々を正面から撮り続けてきた写真家・鬼海弘雄さんの最新フォト&エッセイ。
017 写真家・鬼海弘雄さん Interview
第1回 ハミ出す覚悟があれば、誰でも表現できる。 2014年1月6日更新
第2回 被写体は、自分の分身。 2014年1月25日更新
第3回 言葉がなければ、写真にならない。 2014年2月5日更新
第4回 写真表現の筋道。 2014年2月25日更新

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1件のコメント

大判のPERSONAめがけて2時間かけて図書館へ。
開館前から並んでたにもかかわらず貸出記録も無いのに無かった。
諦めて東京夢譚を読みました。
炊飯器が壊れた下りが面白くて東京夢譚買いました。
迷いに迷って奮発したのに、早く壊れた上に最初から炊き上がりも大した事なかったことへの憤りが詰まり過ぎてはみ出しそうな文体と長年ハッセルブラッドを愛用していることが妙につながりました。
そして、その後納得の行く炊飯器と巡り合ったんでしょうか?。
それが一番気になります。

by まっくす。 - 2014/11/17 1:07 AM

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写真家・鬼海弘雄さんスペシャルインタビュー 第3回 言葉がなければ、写真にならない。




きかい・ひろお

1945年、山形県生まれ。法政大学文学部哲学科卒業後、トラック運転手、遠洋マグロ漁船乗組員、暗室マンなど様々な職業を経て写真家になることを決意。以来、写真表現の追求に身を投じ、1973年より浅草で出会った人々を撮り続けている一連のポートレイト群『PERSONA』、独自の視点で町を写し出したシリーズ『東京迷路』『東京夢譚』で、一躍その名を知られるようになる。『東京ポートレイト』はこの2シリーズから精選した写真に未発表写真を加えたもの。また、故郷の山形に通底するイメージを長期にわたって追い続けるインドとトルコのシリーズも継続中。

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