多川麗津子 (以下多川) |
自分も40年以上生きてきて最近つとに思うのが、なぜ自分はそう思うのか、そう考えるのか、思考の根拠を探っていくと、どうしても自分の子ども時代の体験や記憶にぶち当たるんですよね。 |
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鬼海弘雄さん(以下鬼海) |
写真を撮るということもそうだけど、やっぱり人間の思考の出発点は自分の肉眼で見える範囲なんじゃないかという気がするね。情報とか、本で読んだ知識とかじゃなく。
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多川 |
その人の肉体から出た思考や言葉とそうでないものは、絶対にわかります。ごまかせないです。じゃあ、その肉体に込められたものって何やねんというと、その人が生きてきた中でその人の肉体に蓄えられてきた感情とか、記憶とかじゃないかと。
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鬼海 |
今はもうそういう言葉にならない感情に悶え苦しむ前に、それはああだこうだとわかったような気になれる「情報」がいっぱいあるからね。それはそれで便利なんだけど、「自分とは何か」「人生とはなんぞ」というようなことを考えざる得ない人生の底に沈んだときに依って立つ思考というのは、子どもの頃に見た風景、自然、情景、土地の匂い、空の色、人の温かさとか、人それぞれに「憶えていること」なんだよね。
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多川 |
人の記憶には必然的に、親、祖父母、兄弟姉妹、親戚のおばちゃんやおじちゃんや近所の人たちなど、小さい時分に関わり合った人間が含まれますよね。
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鬼海 |
もちろんそうだよね。僕なんかの子どもの頃、昭和20〜30年頃の東北の村は、まだまだ共同体的な人と人とのつながりが歴然としっかりあったから、それこそ、いい人も悪い人もヘンな人もみんな一緒に生きていくのが世の中なんだという感性は自然に身についているわけですよ。
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多川 |
ああ、わかります。わたしは自然に恵まれないものの、大阪弁で言うところの「けったいな人々」だけは豊富な大阪で生まれ育ったので、「人間みんなどっかヘンやで」というのが自分の人間観の土台になっています。
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鬼海 |
記憶を旅するように撮るということでは、インドだね。インドに行くと、自分の記憶にある郷里、醍醐村(山形県、現在は寒河江市)の風景、たっぷりとした自然とともにある人々の暮らしが思い出され、そこでまた呼び起こされるものがあるんだよね。
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多川 |
たとえば自分が写真を見たとき、そこに写っているものはよく見て知っているはずなのに、見ているようで見ていないもの、見えていないものに気づかされるときがあります。
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鬼海 |
それは、いい写真だからだよ。いい写真というのは、あなたの中に眠っている記憶を揺らすんだよ。
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多川 |
自分事ですが、去年の5月から海外で生活しているので、人を見ても、店に入っても、町を歩いても、何をしても日本との違いを感じてしまいます。
何より言葉が話せない、わからない悔しさ、口から先に生まれたような自分が黙るしかない屈辱に耐えきれず、5分に1回は「帰りたい、帰りたい」と念仏のように唱える日々でもあります。そんなとき何に救われるかというと、やっぱり、そういう自分と「たいして変わらんなぁ」と思える、自分に似た人、自分が慣れ親しんできた人に遭ったときです。
休日にいきなりバイトに休まれたコンビニか居酒屋の店長みたいに、くそ忙しい最中にあたふたとカフェで働いているムッシュ、杖をついた女房に怒鳴りつけられている夫、必死で走ってきた目の前でメトロのドアが閉まり「あっ」と取り残される人の表情、スーパーのレジで混雑を省みず小銭を探す迷惑なおばあちゃん、言葉は分からなくても「悪口」ということだけは分かるおばちゃんたちの自分のことは思いっきり棚に上げた立ち話とか、「にんげん、大概一緒やな...」という人を見たときに、ここで生きていこうと思えます(苦笑)。
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鬼海 |
海外に出ると、自分の中にしまっているイメージの引き出しが開くんだよね。熱帯のインドと自分が育った雪国の山形とは全く違う世界なんだけど、でも、そこに生きる人々の姿や村々の生活に自分の記憶が吸着する。そういう人の感情や情緒に、日本的なもの、外国的なものという区別はない。普遍とは何かといえば、「時間をまたぐ」ということなんだね。
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多川 |
時間をまたぐ…..。それはまた哲学的な言葉ですね。
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鬼海 |
いわば週刊誌なら1週間、月刊誌なら1ヶ月、その間、話題になって注目されればいい。でも僕は100年前の人が見ても100年後の人が見ても納得できる写真を撮りたいと思って撮り続けてきたから。
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多川 |
100年の時をまたぐ。まるでゴッホの言葉「100年後の人々にも、生きているかの如く見える肖像画を描いてみたい」ですね。
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鬼海 |
もうね、それくらい凄まじい思い込みがないと、芸術表現みたいな無駄なことやってられないですよ。
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多川 |
だと思います(苦笑)。でも、その「時をまたぐ」という言葉を聞いて、ふと頭に浮かんだのが宮本常一さん(日本中津々浦々を旅しながらそこに暮らす人々の生活を撮り続け、日本人とは何かを記した民俗学者)。
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鬼海 |
「忘れられた日本人」だね。人を撮る、生活を撮るということにおいて、彼の何がすごいかというと彼は平気で人に声をかけられる人だったってことだと僕は思う。その土地の人々の生活の中に自然にあたりまえに溶け込めるというか、自分は学者で相手は研究対象という視座ではなく、人と人としてその場に存在することができた。それは写真家のみならず、フィールドワークの基本だよね。クロード・レビストロースというフランスの有名な文化人類学者がいて、彼はブラジルの裸族の中に入っていって彼らの生活文化を研究してるんだけど、その写真がまた、素晴らしくいい。空間の切り取り方がね、恐ろしく上手いんだよね。
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多川 |
人との向き合い方、人に対する思いのかけ方、その場のとらえ方って、それこそ持って生まれた才能のような気がします。思いやりとは違う思いの向け方に、その写真家、表現者の人間性が表れるのかもしれないですね。
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鬼海 |
まあ写真ぐらい隠しようのない、隠せない表現はないからね。だって撮ったものがそのまま現れるんだから。まずもって、何が隠せないか。それはもう品格だよね。上手い下手じゃなく、品格のない写真というのはどうしようもない。
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多川 |
ただのエロか芸術かの境界線を決めるのは、写っているものがどうというより、写した人の品格によるということでしょうか。
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鬼海 |
たとえば、荒木さん(荒木経惟)なんかはいっぱいヌード写真を撮っているけど、彼は本当に人が好きで女の人が好きなんだねぇ。その溢れ出る愛情が彼の写真スタイルなんだよね。
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多川 |
どんな表現分野でも、よく言われるのがその作家の文体、そのアーティストの作風スタイルがあるか、ないか。でもそれこそ、誰も教えられない、その人に「あるもの」なのか、研ぎ澄まされるように現れるものなのか。
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鬼海 |
そんなね、人なんてものは籾殻を剥いて要らないものを排除していくように研ぎ澄まされたりしないですよ。余分な経験、しなくてもいい苦労、無駄な失敗を全部丸ごと抱え込みながら続けることで「自分はこれでいい」という筋を通していくんだよ。
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多川 |
そう言われると、ものすごくよくわかります。人にはそれぞれできることと、できないことがある。そこでどうやって、できないことをできることで賄っていくか。それが、その人の筋道なのかも。スタイルがどうとか言われるより、腹に応える生身の説得力があります。
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鬼海 |
そしてね、自分は自分の筋を通すといってもね、物を作る、表現するということは、どこかで見返りを求める気持ちがあるんだよね。それが人間らしい欲であり、最初に戻ると「誰でも表現できる」という根拠はそこにあるんだよ。
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多川 |
その、表現することの見返りというのは…?
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鬼海 |
それはだね、誰かに向かって放った言葉がはねかえって自分に返ってくる、それはもうわたしの声であってわたしの声ではない、「こだま」のような響きですよ。そういう誰かのもとに届いたという錯覚かもしれない実感こそが、世間の評価や称賛ではなく、表現者を力づける唯一の自信になる。そうやって、40年間、前を見ても後ろを見ても誰もいない荒野を歩き続けてきたわけです。
ま、金にはならないけどね。
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多川 |
まだ言いますか(笑) |
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鬼海 |
だって、ほんとのことだから、言わないと(笑)
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2件のコメント
心を揺さぶられてしまった。
良いインタビューをありがとうございます。
[...] http://salitote.jp/people/interview017-4.html [...]
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