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株式会社リナックスカフェ 代表取締役 平川克美さんスペシャルインタビュー (第4回)

第4回 人間のつながりは、贈与なくして生まれない。

編集部魚見(以下編う)

最初にお話しいただいた「自分で考えて、自分の言葉で話す」っていうのが、わたしにはどうしてもわからないんです。

平川

そりゃわかんないよ。やってないんだもん、誰も(苦笑)。
もちろん、まったく考えてないのではなく、誰もが自分で考えているんだけど、それを自分の言葉で出せるかってことだよね。
僕がすごく不思議に思ったのは、たとえば、尖閣問題でも、ものすごく意見が対立するでしょ。でも、ほんとに「考え」や「意見」が対立しているのかと。もし、本当に対立しているとするなら、その分岐点はどこにあったのか。たぶん対立しているのは、最初に話した言葉を覚える以前の自分。好き・嫌い、思う・思えない、考えられる・考えられない、信じられる・信じられないということが生み出されてくるプロセスのなかの自分なんじゃないか。
言葉は考えるための道具。でも、考えるための道具を手にした瞬間から、考えるのをやめちゃったわけなんだよ。考えるための道具なんだけど、人の考えをコピーするための道具でしかない。そういう使い方をし始めた。
だから、本当に対立しているんじゃなくて、ただ、コピーとコピーが対立しているのかもしれない。

編う

自分はなぜそう思えないのか。自分の中に生じた違和感を掘り下げて考えないといけないってことですね。

平川

自分とは異なる考え、異なる意見に対して、自分はどう思うのか。そこを突き詰めないと、言葉は鍛えられない。僕がいちばん鍛えられたのは、結婚したとき。妻は外国育ちということもあって、いざ一緒に暮らしてみると、考え方も価値感もまったく合わず、ケンカばかりしてた。今だったら別れれば済む話なんだけど、僕は別れるという選択肢はなかった。自分以外の人間と一緒に暮らすなんて、誰とでも衝突するだろうし、すんなり通じ合えることなんてないだろうと。でも、コミュニケーションはしたいと思ったわけだよ。ところが、どうしても言葉が通じない。なんでわからないんだと悔しいやら腹が立つやら、何とも言えない苦しさを味あわされる。そのとき初めて言葉の使い方を覚えるんだよ。

平川克美さん
編集部多川(以下編た)

たしかに「なんでわからないのか!」と身悶えする相手に向き合っているときほど、必死に言葉を考えている(苦笑)。

平川

わかっている人とだけ話しているときは、気持ちはいいんだけど、実は何もコミュニケーションしていないのと同じなんだよね。言葉が鍛えられるのは、言葉が通じないところに入り込んで、なおかつ、コミュニケーションをしなければならないと思ったときでしかない。ここまではわかってもらえたかなとか、これは自分がわからなきゃいけないなとか。押し引きだね。つまり、絶対的な主義や主張、自分なんか持っていたら、人とコミュニケーションはできない。自分があってもダメだし、全くなくてもダメ。コミュニケーションっていったらなにかといったら、自分と相手の共有している時間が何によって作動するのか、始まるのかということをね、考えていくわけだね。自分でさ。
そのキーワードは「贈与」なんだけどね。

編う

贈与?

平川

相手に何かを与える。たとえば、自分が100万の金をもっていたら、この100万を勝手に使ってくれというのと同じく、俺の「考え」をぜんぶお前に預けるから、お前はそれをどう考えるかをちょっとやってみてよというのが贈与。自分が消えるところからコミュニケーションが立ち上がってくるんだと思う。お金がないと生きていけない以前に、人間は太陽の光、空気、水、自然から与えられたもので生きているでしょ。でも、太陽も空気も意識していないでしょ。いつもそれらを意識していたら、生き難いことになる。

編う

はい。

平川

それは自然が人間に対して、贈与している。自然からの最初の贈与があるから、初めて人は生きていられる。中沢新一さんが言っているけど、これが自然の純粋的な贈与。そこに人間はもうひとつ、人間としての贈与をつけ加えて行く。たとえば、親が子どもを育てる、教育、医療、人が人を教え、導き、助ける。これはビジネスやサービスじゃないよね。愛情を注ぐでしょ。今の時代、そういう人が人として与え、与えられる関係性までもビジネスにしようとする。そこが間違ってる。

編た

人間関係、恋愛、結婚、すべてギブアンドテイクの関係みたいな。

平川

そんなのはウソ。ギブ・アンド・ギブ、ルーズ・アンド・ルーズ、という関係が生きていく基本だと思う。

編う

みんなが自由を求めると、わかり合えない人とのコミュニケーションは、不自由なこと。割に合わないことになる。となると、言葉が鍛えられる機会もなくなっていくのかな。

平川

それは個人の意識の問題だと思うよ。僕と内田くん(内田樹さん)が会話をするときは、他の人が聞いたら、何をしゃべっているんだというくらい間を飛ばしてしゃべっている。若い女の子たちだって、自分たちにしかわからない仲間内だけの言葉を持っている。ただそれだけだと、言葉は絶対鍛えられていない。

編た

わからない人にわかってもらうためにどうすればいいのか。それを考えることが言葉を鍛えるってこと。そういう自分にとっての“わからなさ” についての自問自答を効率よく解き明かす方法を求めることが間違いなんでしょうね。「人間関係が劇的に上手く行く考え方」とか「心を動かすスピーチ術」とかそういう種明かし的なマニュアルに頼った瞬間、自分で考える道が閉ざされるみたいな(苦笑)

平川

エコノミストや経済学者は「今の時代を生き抜くヒント」とか、色んな処方箋を出すでしょ。これは考えた結果じゃないんだよね。考えているようだけど。誰かが言ったことを引き写して、合理的に並べ直しているだけ。学者の論文は、大抵そう。パズルを解いているだけなんだよ。パズルを解くことと考えることとは違うでしょ。考えることというのは、パズルそのものを考えることだから。「これはいったいどんなパズルが出来上がるんだろう・・・」と。

編た

それって、「何のために・・・」みたいなものすごく骨の折れる、疲れ果てる作業ですよね(苦笑)。

平川

とても苦しいことなんだけど、ものすごく楽しいことでもある。だって、そこで初めて人と通じ合えるんだから。上っ面のコミュニケーションじゃないから、ものすごく連帯感がある。ひとりじゃない、あるいは、自分ひとりでは何もできないことを、はっきりと意識することができる。それが大事なんだよ。

編う

そこまで求めないというか、そんなコミュニケーションがあることすら知らない人も多いような・・・。

平川

コミュニケーションというのは、世間でまかり通っている通常のコミュニケーションを壊すことでしか始まらないんだよ。人間関係が上手く行くコミニュケーション術とかあるじゃない? ああいうのは全部うそです。あれをやればやるほどダメになる。そうじゃなくて、まったく言葉が通じないとこまでいなかいと。通じていないことを認識しないと。

編た

行けるところまで行ってしまえば、そこからまた何かが見える。生まれるってことですね。

平川

『移行期的混乱』の結論は、人口が再び増え始めて、社会のシステムが変われば、人々の生活が変わるかもしれない…ということでなく、人々の考え方が変わるから、システムが変わるという話なんです。だからまず、イメージから変われと。変わるというのは、等価交換、費用対効果という今までの図式から抜け出ることなんだよね。でも、生きて行くためには等価交換は必要だから、それはそれでやりつつ、ほんとの価値はそこにはないってことに多くの人が気づき始めると、結構ドラスチックに変わる可能性があると僕は思っています。僕は人間を結構信頼している。
僕の会社なんて、儲けが出ないと給料が出ない会社だった。一度、厳しいときがあって、そのときスタッフに「給料払えないけど、どうする?」って訊いたら「それでもいいです」ってね。

編た

でも、ほんとは、それが仕事のような気がします。

平川克美さん
平川

それでもなおかつ一緒にやっていけるというのは、新しい家族の形なんだよね。これまでの家族とは違うコミュニティなんだよ。中間共同体と言うんだけど、そういうつながりが色んな形で生まれてくると必要以上に不安がらずに生きていける。「何のためでもないけど、やらずにいられない」そういう人間が一定数現れれば日本が変る。世界を変えるかもしれない。だから「やる」と決めたら続けないとダメ。

編た&う

はい!

平川

僕なんかも、何でそんなことやってるんだと言われ続けてきた。そうすると、あるときね、やってきて良かったと思えることが起こり始める。そういうことがわかるのが、60近くになってからだね、僕の場合は。

編た

それだけ時間が必要なんですね。

平川

そういう風に考えると、60歳からが楽しいと考えられるようになる。だってそれまで何のためかわからなかったことがわかるわけでしょ。内田くんなんて今じゃ超売れっ子だけど、5年ぐらい前までまったく無名だったんだからね。ブログでこつこつ書いてたら、それを読む人が増えてきて、やがて本になって、ベストセラーを出して、ついに、こんなに有名になっちゃった。ま、ちょっと調子に乗ってるけどね(笑)。お互い態度わるいから。

編た

いくつになっても、自分が今話したいことを話せる友人や親友を持つことはものすごく幸せなことだと思うんです。それは人脈とかネットワークとか、そういう薄っぺらいことじゃなく。

平川

友人ってことで言うなら、この前も、ある雑誌で内田くんのことを書いてくれといわれたんだけど、よく知らないって書いたんだよ。そしたら、内田くんが平川がおれを知らないその知らなさは、自分が自分について知らない知らなさと同じと書いていた。さすがだよね。
考えてみると、一緒に働いたわけでも、いつも飲みに行くわけでも、旅行に行ったこともない。ただ、お互い本を出すと送ってくるとか、それだけ。
でも、あいつは今、何を考えているのか、この問題についてどう考えているか、そこはお互いつねに気にしているんだと思う。そういう風に思える友だちはあまり多くはない。僕は内田くんひとりだけど、それはたぶんアルターエゴ。もうひとつの私をかれの中に見ているんだろうね。

編う

相手の中に自分がいる?

平川

自分はどこにでもいるんだよ。自分なんかないから、誰かの中で自分の考え方が生きる。誰かがどこかで自分を呼んでいたりするわけ。その声を聞き取れるかどうか。聞こうとしないと絶対聞けないんだけど、そういうことがあるということに気がつかないと、全部お金に走っちゃう。お金はただの数字だからね。お金は幸せを運んでこない。そりゃ、あったほうがいいけど。それだけのものなんだと思ったほうがいい。


編集後記
今回のインタビューで数々のパンチをくらいました。なかでも「自分を壊さないと人とコミュニケーションはできない」ということ。このパンチの痛みを理解するのにとても時間がかかりました。それは、自分の傲慢さを知ることだったからだと思います。何か物事が起こったとき、誰かの行動について考えるとき、その結果を自分の考えで判断しているつもりが、それを「借り物」ではないか?と疑い始めると、まったくその通りでした。自分の中に答えなどなく、なぜその物事が起こったのか、誰かはどうしてそう行動するのかを、自分をなくして見ることで、やっと小さな発端やそこに流れた時間をほんの少しではありますが、感じられるようになる気がします。このインタビューはこれから何度も何度も読み返すことになると思います。(編集部・魚見幸代)
撮影/木村 綾


004 株式会社リナックスカフェ 代表取締役 平川克美さん Interview
第1回 あると思っている「自分」なんて、ない。 2010年12月12日 更新
第2回  「自分で考える」とは、自分を壊すこと 2010年12月17日 更新
第3回  移行期的混乱を生き抜くために。 2010年12月24日 更新
第4回  人間のつながりは、贈与なくして生まれない。 2010年12月31日 更新

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株式会社リナックスカフェ 代表取締役 平川克美さんスペシャルインタビュー (第4回)





ひらかわ・かつみ

1950年東京生まれ。1975年早稲田大学理工学部機械工学科卒業。渋谷道玄坂に翻訳を主業務とする株式会社アーバン・トランスレーションを設立、代表取締役となる。1999年シリコンバレーのインキュベーションカンパニーであるBusiness Cafe, Inc. 設立に参加。現在、株式会社リナックスカフェ代表取締役。著書に『反戦略的ビジネスのすすめ』(洋泉社)、『株式会社という病』(NTT出版)、『移行期的混乱』(筑摩書房)、『経済成長という病』(講談社現代新書)、『会社は株主のものではない』共著(洋泉社)、『九条どうでしょう』共著(毎日新聞社)、『東京ファイティングキッズ』共著(柏書房)、『東京ファイティングキッズ・リターン』共著(バジリコ出版)などがある。

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