2010-10-5
森山直太朗の一途さ
「音楽をやっている人」に憧れている。
前回も書いたが「好きなことを仕事にしている」代表といっても過言ではないのではないだろうか?
と書き始めて、早くも困ってしまったけれど、はっきりいって、私は音楽にうとい。しかも、かなり…。洋楽はほとんど、知らない。ビートルズでさえ、CM等で聴いたことがあるから知っている程度(ひどい…)。
でも、小さい頃は、歌番組が大好きだった。「ザ・ベストテン」や「夜のヒットスタジオ」は1秒も逃がさまいとテレビにかぶりついて、観ていた。ビンクレディーに聖子ちゃん、チェッカーズが私の青春だった。
少し前になるが、テレビで山口百恵さんの特集をやっていて、たまたま空港の待ち合い室で観たのだけれど、その表情と声を聴いて懐かしさと切なさで一瞬にして涙があふれてきてしまった。
音楽に詳しい人なら、時代の変化や、「歌手」と「シンガーソングライター」の違いもここで述べられるんだろうけれど、そういうことも残念ながら書けない。
何が言いたかったかというと、、そんなふうに、音楽にうとい私だけれど、好きな音楽はすごく、好きだ(当たり前なことを…)。
好きな曲には、突然、心を奪われてしまう。
そのひとつが今、世間をにぎわしてる玉置浩二さんの「メロディ」。確か「NEWS23」のエンディングの曲だったような…。
どうしてもこの曲を生で聴きたくて、生まれて初めてファンクラブに入ってライブに行ったりしていた。胸の奥にある大切な風景を思い出すような、あったかい気持ちになる歌、そして歌声にうっとりしていた。現在の刺激的な表現については、あまり好きではないけれど。
そして玉置さん以来、心をもっていかれたのは森山直太朗さんの
「生きてることが辛いなら」
この曲がオンエアされた頃は、「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい」というその歌詞で物議をかもしたけれど、私はこの歌をつくって歌う覚悟とやさしさにしびれた。
先日、念願かなって最新アルバム「あらゆるものの真ん中で」のツアーコンサートに行ってきた。アコースティックな彼のライブらしく、ファンの年齢も幅広く、落ちついて1曲1曲を聴いていた。ライブの後半にさしかかったころ、突然、客席の数名が立ち始め、あっという間にほぼ8割ぐらいの人たちが立ち上がって手拍子をし始めた。確かに少しアップテンポの曲ではあったけれど、私は「え? なんのタイミング?」とちょっと不思議に思ってしまって、座ったままでいた。続けて2曲、その状態は続いたけれど、ちょっとした違和感はぬぐいきれず。。。
すると、その2曲が終わったところで、森山氏は言い出しづらそうに「これはまったくもって、僕の問題なんですけど…自分でライブをする前に解決しとけって話なんですけど…」とまわりくどく、なにかを言いたい感じ…。「ツアーが始まって数回なんですが、なぜか、このタイミングで、なんか不思議な感じになってしまって。…別に立ってもらうのはいいんです。立ちたいと思って、立ってもらうには…」そのあたりで、客席が気づき始めて、座り始めた。「だけど、なんか、ライブってそのときの感じを楽しんでもらいたいし、なんか、決まりきった感じっていうのも」…。話した言葉は記憶があいまいになっているけれど、こういうようなことを話して、つまりは、森山氏はお客さんが決まりきったように立って手拍子をする、ということがどうもしっくりこなかったようなのだ。
そして、お客さんが落ちついたところで、その2曲を歌い直した。
2曲、余分に聴けたのもラッキーだったけれど、なにより、森山氏の歌への「一途さ」、そしてファンへの「信頼」に改めて感動した。
音楽は、そりゃ、いろいろな音楽があるとは思うけれど、
いい歌を歌う人が早くに辞めてしまったり、休止をしたり、充電したり、法律違反なことに手を出したり、そういうことに、
なんというか、正直さというか、潔さがあって、その分、音楽をやるということは身を削るようなしんどさがあるのかもしれない…というようなことしか想像できないけれど。
そして、聴き手は何もできないけれど。
でも、心を奪われるほど感動して、自分の中にある、どこからともなくやってくる何かに気づかせてくれる仕事だということが、少しでも届けられるといいなと思う。
森山直太朗さんのコンサート。森山氏はアンコールのラストに「さくら」を歌った。カラダをまるごと楽器にして、そのときのすべてを「さくら」にのせて。
歌い終わったあと、拍手は鳴り止まず、思いあまって立ち上がる人もいた。
あらゆるものの真ん中で/森山直太朗
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