salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

そらのうみをみていたら。

2010-10-19
東京のことが好きになった
ときのこと

東京に来たのは24歳のとき。

どうしても編集の仕事がしたくて、やってきた。

でも、大学は卒業したものの、実家の手伝いをしてオーストラリアにワーキングホリデーに行って帰ってきた私の履歴書にはなんの魅力もない。

たったひとつの特技(?)、オーストラリアで手にしたダイビングインストラクターという経験だけを頼りに、『ダイビングワールド』という雑誌のアルバイトの仕事に就いた。

初めての東京は中学の修学旅行、2回目は就活(当時はこう言わなかったけど)。そして3回目の東京。

はっきりいって、東京が大嫌いだった。

駅を歩いていると、みんなぶつかってくるし、謝りもしない。言葉も冷たくて、心がこもってないように聞こえた。こんなにたくさんの人がいるのに、電車や街で、会話があまりない。駅員もコンビニの店員もものすごく愛想が悪い。

大学時代、関西版の『Hanako West』でバイトをしていたときの編集部は常に笑いと突っ込みがあり(編集部に限らず街中がそうだけど)、いつもワクワクしていたけれど、『ダイビングワールド』の編集部では、会話も、あっさりと終わってしまう…と当時は感じていた。

それでもどこにも行くあてのない私は、東京と距離をもったまま、時を過ごした。

26歳のとき、あまりの貧乏生活に耐えきれず、ある編集プロダクションにちゃんと、就職をした。そのとき編集の仕事を教えてくれた人が関西出身の女性だった。水を得た魚のように、私は楽しくなって、毎日のようにその女性と飲みに行ったりして、少しずつ、風景となじんでいった。

ちゃんと就職もしたので、それまでかなり不便なところに住んでいたが、井の頭公園の近くに住むことにした。超ミーハーな私はテレビドラマ『愛しているといってくれ』の舞台に憧れていたのだ。

そして、井の頭公園をぶらぶらするようになった。

休日の井の頭公園で、私は、「夢」と出合った。

バンドマン、絵を描く人、アクセサリーをつくる人、マッサージをする人、芸をする人、本を読む人、演技をする人…。

いろんな人が自由にやりたいことをやっていた。

知らない人たちがたくさんいる場所。

だから、自由に、新しい自分にも、本当の自分にも、誰に合わせなくてもいい自分にも挑戦できる。

でも、そのうち、どれが自分か、わからなくなることもある。

通っていくうちに、ひとりの大道芸人と友だちになった。

そこにいけば、彼がいて、たまたま通りかかった人たちを芸でひとつの笑いにした。

そのひとときの出合いが、東京にいると、際立って温かく感じる気がした。

「夢」を自由に表現してもいいところ。

それから東京が好きになった。

だけど、ずっと距離は変わらない。まだ、近づけないでいる。

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魚見幸代
魚見幸代

うおみ・ゆきよ/編集者。愛媛県出身。神奈川県在住。大阪府立大学卒業後、実家の料理屋『季節料理 魚吉』を手伝い、その後渡豪し、ダイビングインストラクターに。帰国後、バイトを経て編集プロダクションへ。1999年独立し有限会社スカイブルー設立。数年前よりハワイ文化に興味をもち、ロミロミやフラを学ぶ。『漁師の食卓』(ポプラ社)

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