2010-10-30
だれにとって『悪人』か
友人のすすめで小説の『悪人』を読んだ。
読み始めたときにはもう、映画化が決まっていたので、妻夫木聡と深津絵里をイメージしながら読み進めた。
ひさしぶりにぞくぞくする本だった。
深津絵里は、出会ったばかりなのにもかかわらず、殺人を犯した妻夫木くんと一緒にいたくて、一緒に逃げる。その間にどんどん妻夫木くんを好きになる。
(こんなかんたんな話ではないのだけど…。)
殺人犯は、だれがなんといっても「悪人」だ。だけど、深津絵里にとってはやっと見つけた心から愛することができる大切な人。
これはあまりにも極端な話けれども、この「他の人にとっては、許せないかもしれないけど、そんなところも含めて、その人のことを受け入れたい。っていうか、そこがあるからこそ、魅力が増す」みたいな。
恋人でも、友人でも、仕事先の人でも、人に惹かれるときというのは、一般的に「いい」とされる部分よりも、「ちょっとくせがある」「アクが強い」もしくは「弱い」部分に引きつけられたとき、なような気がする。
そこは、その人が生きてきたものがつまっている。
なにが嫌で、なにに傷ついて、なにに怒り、そしてなにを大切にしているか。
深津絵里は、妻夫木くんの傷や怒りや罪もぜんぶ、受け止めることで、まるで自分の身体に温かい血が通ったように、自分の存在を感じられたのではないだろうか。
人を愛するということは、ときに過激な状況をつくりだす。
それは幸か不幸か?
2件のコメント
けどな、小説最後で光代は、殺人者の祐一と自分が愛した祐一、どちらがほんまの祐一なのか自分の心を疑り始める。「あの人は世間が言う通りの悪人やったんですよね?私はそんな悪人を好きになってしもただけなんですよね? 」と。最後の最後で自分は悪くなかったと命乞いする光代こそ、一番どうにもならん善良な悪人やと思う。
あの中で一番の悪人は殺されちゃった女子大生かなって思います。
でもあの子がいたからこそ妻夫木と深っチャンは引き合ったのかな?
全然関係ないけど、
小説は読んでて、映画は見ていませんが
あの主人公は松山ケンイチの方がしっくり来る気がします。
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