salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

近道にない景色 自転車に乗って今日も遠回り

2013-08-5
自転車はギャンブル
人生もギャンブル


2013-7-28 東京競馬場付近

 西武園競輪という鉄火場がある。自転車競技に金銭を賭ける場所だ。今やきゃりーぱみゅぱみゅの故郷として知られる東京西郊の住宅地、田無からは、電車で二十分足らずだ。ちなみにきゃりーぱみゅぱみゅは、私の知り合いの娘さんの友達だった。
 そのきゃりーがまだ生まれていなかった随分昔のことになるが、ある夏の暑い日に私が田無をほっつき歩いていたら、白いポロシャツを着て小ざっぱりとした、でもどことなくダサいファッションのおじいさんが、とぼとぼと青梅街道の歩道を歩いて来た。すれ違うには互いによけ合う必要のある狭い歩道だ。私とおじいさんは、アイコンタクトで譲り合う気配を見せた。おじいさんはそのときの私の目つきに、同族意識を感じたのか、すれ違う寸前で私の前にたちはだかり、意外な一言を発した。
「悪いんだけど、お金かしてくれませんか」
 私は不意を突かれてどぎまぎしながらも、おじいさんの様子を見て、同情心が湧いてきた。ポロシャツは汗でぐっしょり濡れ、憔悴しきった様子だ。私は田無の大東会館にパチンコに行く途中だったので、軍資金が減るのは嫌だったが、あまりに哀れに思えたし、こんなところで寸借詐欺の常習犯が張っているわけはないので、少しなら貸そうかと思い始めた。それでも、見ず知らずの人にお金を貸すには、それなりの手順を踏まなければならない。ダサいが、お金がないという格好ではなかったから、私は不審に思い聞いた。
「どうしたんですか。財布を落としたんですか」
 おじいさんは、面目なさそうに答えた。
「西武園で全部すってしまったんです。千円貸してくれませんか」
 おじいさんは、いい勘をしていた。当時ズッポリ、パチンコやマージャンにはまり、友人たちがやっていた競馬にも手を染めたいと思っていた時期だった。そして、ギャンブル熱がステップアップしていくと、競馬から競輪、そしてオートレース、競艇へと進み、そのあたりで多くは破滅するという話を聞いて、破滅の二文字に誘われがちな私だったから、第二段階に居るおじいさんには、妙な敬いの気持ちさえ、幾分か抱いてしまうのだった。
 電車に乗れば二十分足らずだが、西武園から田無まで歩けば、元気な若者でも三時間はかかる。鉄火場はむごい仕打ちをするものだと思った。
 私は老人に答えた。
「お金はありません」
 私は自分でも驚くほどそっけなく、嘘をついて大東会館に向かった。同情心は湧いたが、博打で招いた運命は、自分で引き受けるのが鉄則であるという、いつ考えたのかわからない博打哲学を持ち出して、私はなけなしの千円を死守し、大東会館に予定通り向かったのだった。

 寺山修司は、「競馬は人生の比喩ではなく、人生が競馬の比喩である」と言ったと伝えられている。言葉遊びのふりをして、人間の驕りや人生の矮小さを、例の薄笑いを浮かべながらほのめかした。ギャンブルに熱中する者たちは、文学趣味がなくても、寺山修司のレトリックを素直に受け入れるだろう。
 寺山が件の言葉で暗に競馬に向けたまなざしの中には、もちろん競馬の長い伝統に対する崇敬の念も含まれるが、博打というものへの畏れもあるだろう。
 博打の世界には、二つの大きな力が働いている。
 一つは元締めの力だ。博打の世界には元締めがいて、元締めは寺銭を稼ぐ。寺銭の語源は、お上の手入れが少ない寺で賭場を開帳し、寺が場所代を取ったことから来ていると言われる。坊主丸儲けといい、寺には意外に俗臭がたちこめている。
 それはともかく元締めが取る寺銭は、博徒の禍福を大きく左右する。たとえばJRA日本中央競馬会は、総売り上げの約25%の寺銭を抜く。1997年のピーク時、1年間の売上は約4兆円あったから、1兆円が競馬会に入った。そして1兆円のうちの4000億円が国庫に入った。その後売上は落ち今は2兆円程度だが、5000億が競馬会に入り、2000億が国庫に行く。したがって、その売り上げを支えるファンたちをまとめて一個人と考えれば、2兆円お金を賭けて、1兆5000億円しか戻らないということになる。
 寺銭を上品に言うと控除率という言葉になり、この控除率は同じ競馬で国によって異なり、日本は高いそうだが、他の博打でも同じように控除率はあり、0%ということはない。すなわち、ファンや博徒は、総体としては絶対儲からない仕組みになっている。儲かること=幸福は、ある部分、ある瞬間に偏在するのみである。
 だから博徒は、その偏在する幸福の在り処を探し当てるために躍起となる。そして、探し当てようとするときに、必ずそれを阻止する力が作用する。それが博打の世界に働くもう一つの大きな力、賭けの神様の力である。

 ススムは色白の優しげな小柄な少年で、中学の頃、いじられキャラだった。兄さんが中学の大先輩で、めっぽう喧嘩が強かったからいじめられることはなかったが、ちょっとしたことですぐに泣いてしまう、涙もろさもあった。高校に入りススムの身長はグングン伸び、中学時にススムをいじっていた連中の身長を追い越す頃、ススムは性格も一変し、極めて好戦的で豪胆なワルに変身し、復讐が始まった。 私も復讐された。
 高校を卒業してすぐの頃だろうか。ある日ススムが別のワルを呼んで、麻雀をやろうという。中学の頃のことを思うと、私には微笑ましい成長ぶりである。上等じゃないかと、勢い込んでススムの家に上がり、麻雀が始まった。その後ススムが遊び慣れたのを聞いていたし、言動も荒くなっていたから、少しは骨のある麻雀を打つのだろうとは思っていたが、もとよりススムの計算力とそれを基とする推理力は知れている。負けるはずがないと安心して臨むと、いきなりススムに先制パンチを食らった。「リャンピンでウマつけようぜ」。麻雀の賭け用語の詳しい説明は避けるが、要するに、若者の麻雀の賭けのレートとしては、非常に高いもので、半日やれば何万円もの勝ち負けの差が出てくる。千円のパチンコ代にも苦労する時代においては、途轍もないレートだった。
 麻雀が始まった。私は完全に調子を狂わされた。負けて何万も払うことの不安だけが頭に満ちて、思考能力も勘も停止し負け続けた。ススムの麻雀はまったく計算も根拠もないデタラメな打ち方だったが、決して下りず強気で打ちまくり、結局独り勝ちした。幸いそのときの私の負けは五千円ほどで、すぐには払えなくても、パチンコで大勝すれば、なんとかなるだろうぐらいに思った。するとススムは、今全部まとめて返せる方法もあるぞと私を誘った。それは、チンチロリンだった。
 サイコロ三つを同時に振り、出た目のそろい方で勝負を競う、おなじみのゲームだ。ゾロ目(三個のサイコロの出た数字が全部そろうこと)が高得点となり、同じゾロ目でも1・1・1が最高点。6・6・6は次に高く、2・2・2はゾロ目でも一番低い。そして、1・2・3は最弱で、2・5・5なども点になるが、どんなゾロ目よりも点が低い。こうしたルールのもと、一人三回連続でサイコロを振り合って、高得点を争うわけだ。
 麻雀では賭けの神様に見放され私だったから、そろそろ神様が戻ってきてくれるかもしれないと思い、ススムの誘いに乗った。
 最初のうちは勝って借金はすぐになくなり、逆に二千円のプラスとなった。麻雀では痛い目にあわされ、ススムごときにしてやられるとは屈辱的だったから、今度は逆に後悔させてやろうと考え、時間の立つのも忘れまた何時間もやり続けた。そして、負けた。負けは五千円から二万円に膨れ上がった。
 すぐに払えないので分割にしてもらった。ススムの復讐は完璧に果たされた。

 あんまり悔しかったから、賭けの神様の居所を探す研究に没頭した。
 暇に任せて、何千回か、いや何万回だっただろうか、サイコロを振りデータをとった。そしてグラフ化すると、ゾロ目の高得点が出る確率が高くなったり低くなったりするグラフができた。しかも、その高い低いは、ある周期で訪れることがわかった。三つのサイコロを振ってゾロ目が出る確率は、36分の1、2.8%となる。しかし実際には、何回か回数を区切って平均を取ると、5%、10%になることもあり、逆に、何回かの平均1%かそれに満たない場合もある。詳しい数字はもう忘れてしまったけれど、とにかく2.8%の平均レベルを上下する、それぞれの数値をつなぎ合わせると、きれいな波型となった。
 すなわち賭けの神様は、この波型の頂点にいることがわかった。おおざっぱにいえば、自分の運気が波型の頂点にいるとわかったら、どんどん賭けていけばよく、最下点にいると知ったら、賭けを手控え、賭け金を小さくしたり、下りたりすればよいのである。
 しかし結果として、その頂点と最下点がわかるわけで、賭けの最中はなかなか見極めにくい。この運気の上昇期を正確につかみ、賭けの神様と親密になるには、何事にも心を奪われず冷静に運気の状況を感じることのできる強い胆力が、求道者のように必要なのかもしれない。

 学生時代、他の学生がサークル室や行きつけの喫茶店の片隅で、ワイワイガヤガヤ青春を謳歌している頃、話す相手がほとんどいなかった私は、神田神保町の人生劇場という名のパチンコ屋に通い詰めた。リアルな人生劇場では役どころを見つけられずにいたから、パチンコ屋の人生劇場において、席の一つをあたためる権利を得ることを、ささやかな喜びとしていた。などと、今思い出してもかわいそうで胸の詰まる思いだが、私が人生劇場に通った理由はそれだけではなかった。景品に本がたくさんあったからだ。小さな本屋と変わらない規模の書籍コーナーが、他の景品コーナーとともに充実していた。私は勝つと球を、セブンスターと文庫本に代えた。タバコを吸いながら、本でも読んでいればよかったと、空費した時間を嘆き、猛省するのだった。
 博打は負けるとなおのことだが、勝ってもとことんむなしいのである。

 とはいえ、私は博打が好きだ。パチンコも麻雀も競馬もチンチロリンもまったくやらなくなり、いつからか、私の人生そのものが博打になった。本を書いて、売れるか売れないか。博打が私の人生の比喩でも、私の人生が博打の比喩でも、どちらでもなく、私の場合は人生=博打。いつだって、吉と出るか凶と出るか、ハンかチョウか一か八か、博打の神様と話し合いながら、ヒヤヒヤの毎日である。

 だから自転車散歩もギャンブルで、決めずに走って出たとこ勝負だ。先日も、北か南か右か左か、その都度なんとなく道を選んで走っていたら、東京競馬場にたどり着いた。相当久しぶりのことだった。府中本町駅からの通路やゲート、関連施設は、驚くほど豪華になった。賭けの神様に弄ばれた人々の寄付により整備された東京競馬場という巨大にして荘厳ささえ漂う賭けの殿堂は、まさに一見の価値がある。
 今年のダービーは14万人がここに集まった。その日の人出はまばらで閑散としていた。夏はここではもう競馬をやっていないからだ。地方競馬の馬券を買いに来る人が、ちらほら訪れるだけだった。
 私は施設の豪華さや巨大さに圧倒されながら競馬場沿いの細い裏道を走っていると、前方に白い清潔なシャツを着たおじいさんが、やや肩を落としながら歩いているのが見えた。負けたのだろう。
 しかしその後ろ姿には哀愁とともに、何か不思議な毒気の抜けた、一種の清涼感が漂っていた。私はバックからカメラを取り出し、巨大な競馬場の施設の脇の小道をとぼとぼと歩くおじいさんの後ろ姿を撮ろうと思い、途中でやめた。シャッターの音でおじいさんの時間の邪魔をしてはならないと感じたからだ。
 あのとき田無で遇った白いポロシャツのおじいさんも、どこか浄化された雰囲気が漂っていたのは、賭けの神様の洗礼を受けたからかもしれない。
 
 うらぶれてオケラ道を帰るもまた博打の続き。欲望に背中を押されて前のめりで突き進み、帰り道を見失う。人は皆、stray sheep。悔やんでふさぎ込む充実もまた愉悦の一種だ。この美しい結末を誰も奪ってはいけない。
 私が白いポロシャツのおじいさんに、お金を貸さなかった理由の一つがここにある気もするのだが、どうだろう。
 

 

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1件のコメント

女性とギャンブルはあまり結びつきませんね。
生まれ持った何かがそうさせるのでしょうか。

見知らぬおじさんに「お金を貸して」と言われたお話。
思い出しました。
学生時代買い物をしていたら見知らぬおばさんんに
「お久しぶりです。お母さんお元気?お母さんの同級生の○○です。
 お顔覚えていますか?
 実は車で来たんだけどガソリンが切れてしまって、
 手持ちのお金がなくて、子どもは車で待っていて・・・。
 お金貸してくれませんか?」
と、突然声を掛けられました。

全く覚えていないし、母からはそのような友人の話は聞いた事はない。
でも、本当かな?どうかな?と数秒間の心の葛藤。
で、私はどうしても買いたい物がる自分の欲望に負け
「お金はありません」
と断りました。

数日後、その女性は詐欺容疑でつかま太ニュースが。
こういう事にも、女性と男性の生き方の違いがわかります。

by うらちゃん - 2013/08/06 11:35 AM

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中川 越
中川 越

なかがわ・えつ/ もの書き。園芸などの趣味から野球やサッカーなどのスポーツまで、いろいろな実用書を企画したり、文章構成を担当したり、近代文学の作家の手紙を紹介したりしています。子供の頃の夢は野球の大リーガー。次にバスケットのNBAを目指しました。樽の中で暮らしたというギリシアのディオゲネスは、二十歳を過ぎてからの憧れです。

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