salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

近道にない景色 自転車に乗って今日も遠回り

2013-07-1
高円寺の聖地


2013-6-23 高円寺にて

「つまんないな」という絵本は、私の座右の書のひとつだ。さして気の利いた内容ではないが、私の平常心は、つまんないな、だから、慕わしく思われるのである。
 つまんないなという心境は、もちろんテンションが低い。けれど、低さに甘んじる気はさらさらない。なんとかテンションを上げたいと思っている。すなわち、私のつまんないなは、なんか面白いことないかな、の同義語である。
 そこで、しばらくぶりに銀行に行ってみた。たとえ自分のものではなくても、食品スーパーに行って、たくさん食べものが並んでいるのを見ると、自然に顔がほころび、幸せな気持ちになる。同様に、銀行にはお金がたくさんある、と想像できるし、お金の匂いもするから、やはり自然に嬉しくなる。私だけだろうか。

 梅雨のさ中、小雨模様。傘をさしながらの片手運転で、隣町の銀行に出かけることにした。少し漕ぐと自転車の操縦感覚がおかしい。どうやら、前輪の空気がやや減っているようだ。パンク?にしては空気の抜け方が穏やかだ。1日ぐらいはこのまま持つだろうと思い、そのまま出かけることにした。
 この自転車は2年前、店舗をどんどん増やし躍進目覚ましい自転車店で買った。買う際店員に、パンク予防の充填液があるから、注入してはと勧められ、なるほどそれはいいと、安くはない追加料金を支払い処置してもらったが、1か月余りしてすぐにパンクした。新車がそんなに早くパンクした経験はないし、しかも充填液を入れたのに、そりゃないでしょうと、すぐに自転車店に文句を言いに行った。
 すると若い店員は謝りもせず、即座にパンクの状況を確認して、空気が少ない状態でコンクリートのような固い段差を登ったときに発生するパンクで、これは保障の限りではないと冷やかに答えた。空気を十分に入れた状態でのパンク予防効果だと説明し、それは保証書にも書いてある、ほらねと言わんばかりに、保証書を開いてその部分を指差した。
 非道(ひど)い、懲らしめてやらねば、という気持ちが沸々と湧き上がってきた。
 私は聞き分けのない人間ではない。店員が、予防効果が空振りに終わったことについて恐縮する気持ちを示すなら、「いいよいいよ、お若いの、そんなにしょげることはないさ、こっちの扱い方が悪かったんだろう」と譲歩する気持ちだってあるんだ。
 なのにいきなり保証書を持ち出して、法的臨戦態勢に入るとは、まさにケンカ腰、久々に店内だろうとおかまいなしに、公衆の面前で暴れようかとも思った。しかし、私はもう若くないし、体調がもう一つすぐれないし、分別盛りの年頃だし、暴れた後の自己嫌悪や虚脱感に耐えられそうにない気がしたので、大きくない声で、二、三の悪態をついただけで、引き下がることにした。
 高速道路のパーキングで親切ごかしのオイルチェックサービスを受けて、真っ黒ですよと言われ、これは危険ですねと諭されると、思わず、高速道路=重大事故、変えなくっちゃと、まんまんと相手の術中にはまるがごとく、パンク予防の充填液の誘惑に負けた自分がバカだったのだと反省した。
 おお、怖い。世間はいつも私をだまそうとしている。
 その最たるものが銀行だ。こんな乙に澄ました、合法的なペテン師、いや失礼、スマートな策略家は、なかなかいない。この策士の巣窟に足を踏み入れ、その手口を改めて確認し、啓発されることは、間抜けな庶民のたぶん先頭集団に位置する私には、とても刺激的な勉強となり興味深い。

 人から金を安く借り、高く貸すのである。こんなにうまい商売は他にない。しかも、出資者はしばしば同時に債務者となる。自分で安く貸して、同じものを高く借りるのである。(アホかっ!) なおかつ金融情勢が変われば、ほとんどタダ同然でお金を借りて、高い利子で貸すことも許される。(ホンマでっせ!)
 こんなボロイ商売は、他にない。学校の先生や親は、どうしてみんな銀行に入れと教えてくれなかったのか。高校の同級生の中には、地銀の頭取になったり、都銀のエライサンになった者もいるから、たぶん親や先生は、私にも少しは勧めたのだと思う。もっと強く勧めるべきだった。
 もちろん銀行にだってリスクはある。貸したお金が返らないことも。でも安心。担保を取っている。担保となる土地や家屋やもろもろを、高く見積もり過ぎて失敗することもあるが、そんな失敗だって、平気平気。いざとなれば国がなんとかしてくれる。そして、ゼロ金利政策をやってくれるから、どんなうっかりした経営者でも、どんどん儲かり、やり直しがきくのである。
 しかも、銀行ときたら、尊敬される。街金は軽蔑されるのに、銀行は尊敬される。街金も頭が悪くないから、やがて銀行の子分となった。いや失礼、提携した。そして、有名芸能人がコマーシャルに出演するようになり、すっかりオシャレで怖さもなくなった。そんなイメージ戦略に成功?した。
 街金を含めた銀行グループは、資本主義経済、自由主義経済の血液であるお金を、適切な場所に、適切な分送り込む機能を有するから、まるで心臓のように何よりも大切である。その一番大切なところで働いている方々は、一番尊敬に値する。
 したがって、この国家の心臓部たる銀行の機能が衰えたり、損傷したり、ダメになったりしたら、さあ大変。日本が、世界が、とんでもないことになる。多くの庶民が辛酸を嘗めることになる。そんな悲惨な状況を招いてよいはずがない。庶民や弱者こそは守らねばならない、という正義を貫く必要がある。だから、銀行はどんなときでも必ずつぶしてはならない。

 そんな神々しいばかりの光を放ち続けるパラダイス、銀行に久々に行ってみると、やっぱいい感じだ。預金金利のパンフレットを見れば、0.02%とか0.025%とか、すがすがしいほどに控えめな数字が並んでいる。さて、10万円預金すると、いくらの利子がつくのかと計算するのが難しく、カウンターの順番待ちの時間つぶしにちょうどよかった。
 100000×0.02=2000円か。ということは、100万なら2万円、1000万なら20万円。そうだな昔、利率の高い定期預金は、5%セント以上あったから、もし頑張って1000万円貯金できたら、1年間で50万円となり、そこそこの生活のベースになると夢想していたっけ。しかし待てよ、0.02は確かに2%だが、0.02%は、2%ではない。0.02%は、0.0002なのだった。
 したがって、100000×0.0002=20円、100万なら200円、1000万なら2000円…。20円?…。まさか。もう一度計算しなおしてみよう。
 10分ほど待たされ、カウンターに呼び寄せられるまでの間に、結局、腑に落ちる解答に辿り着くことができなかった。
 もやもやした気持ちを抱きながら、強面偉丈夫の高齢のガードマンに恭しく礼をされて、ちょっと自尊心をくすぐられ、店の外に出たとき、手元不如意であることを思い出し、戻ってATMに並び、3000円だけおろすことにした。同じ銀行のカードがなかったので、105円の手数料がかかるんだなと思ったら、また、寒気がした。いや、温かな敬虔な気持ちが胸に満ちた。105円は3000円の何パーセントに当たるのだろうと計算し、難しいので100円で考えたら、3.3%セントになることがわかった。0.02%と3.3%。なんと美しい差異だろうか。しかも、自分のお金を引き出すだけなのに、ここでも銀行に献金することができるのである。
 さらにはこの銀行、電力会社の大株主で、再稼働を応援する応援団長である。その応援団のカンパ箱に、今回もまた3.3%、105円もカンパできたわけだ。この胸が張り裂けそうな光栄を誰に伝えたらよいのか、途方に暮れるばかりである。

 私はそうして手にした3000円を携え、高円寺に向かうことにした。古本屋めぐりである。古本屋めぐりは、つまんないなの解消策の一つである。そして、銀行に行ってお金の匂いをたくさん嗅いで、そのときは気持ちよくても、その後自分にはお金がないことを思い出し、やや寂しい気持ちになっていたので、高い円の寺という響きのいい、ご利益がありそうなイメージも、高円寺行きを励ます力となった。
 高円寺に行くには、青梅街道に出る必要があった。青梅街道に出るには、メガバンク所有の広大なスポーツグラウンドの脇を通る必要があった。鬱蒼とした大樹に囲まれた野球場、陸上競技場、テニスコート…。樹木や芝生の手入れはもとより、グラウンドも常に整備が行き届き、しっかりとしたフェンスに囲まれたその施設は、品質において、周囲とは景観を異にする別天地である。木々の間から覗き見ることのできる、レジャーにいそしむ高貴な方々のお姿は、無論輝いて見える。その日は、週末ではなかったから、広大な芝生のグラウンドやテニスコートに人気はなく、大きな芝刈り車両を運転する職人が見えるだけだったが。
 私はこの莫大な管理費がかかりそうな施設を維持し、週末の銀行関係者にやすらぎを提供するために、ゼロ金利を応援し、手数料を献じることで、たとえわずかなりとも役立っていると思うと、ここを通る度、しみじみとした感動を禁じ得ないのであった。

 高円寺に着くと、早速ご利益があった。
 裏道を走っていたら、道の真ん中で妙齢な女性が手招きをしていた。オヤッ!樋口さん。折り目のついた一葉さんが、微風に揺られ、おいでおいでをしている。
 私は昔から、道でかなりいいものを拾うほうだ。鉄の塊、クリスタルガラスの破片、ボーリングの球、昔小学校で使っていたような木製の椅子、新丸の内ビルの再開発工事中には、六角の巨大なナットを拾った。いつもだいたいつまんなくて、うつむきがちに自転車を漕いだり歩いたりしていているから、よくいろんなものを拾う。
 しかし、一葉さんを拾うのは、ためらった。
 拾った後の心への影響を考えたからだ。
 まず、交番に届けるか届けないかで悩む。落としたことをすぐに気づいた人が、戻ってきたときそこになかったら、余計なお世話になる。交番に届け安全に保管するのもよいが、落とした人がそれを自分のものだと証明するのも手間だろう。
 次に、人をだまして巻き上げた5千円か、時給850円で丸一日働いた方の5千円かを想像する。人をだましたものなら、交番に行く必要はないかもしれないと考える。ただし、いずれにせよ交番に届けなければ、泥棒だ。高々5千円で泥棒の汚名を着る。行けば行ったで、いつ、どこで拾った? 身分を証明するものはあるか? いくつも質問され、時間を取り、挙句の果てに泥棒扱いされかねない。ああ、めんどくさい。
 そんなこんなの心の負担を受けるのは、真平ごめんだ。それに、樋口一葉という人、そんじょそこらの文学少女ではない。当時の高名な詐欺師久佐賀(くさか)義孝なる人物を説き伏せて、今に換算すると数千万円に及ぶお金や生活費を、彼から引き出した形跡のある策士である。つまり、この手招きは、罠の匂いがする。拾えば何かよくないことが起こりそうな気がしたので、それほど後ろ髪を引かれることなく、スルーした。
 ところがその後すぐに、よくないことが起こった。
 怪しかった前輪のタイヤの空気が、スッと音を立てて抜けた。
 クギやガビョウが落ちているような場所ではない。原因はそれしかないと思い、もうペッタンコになってしまった前輪の空気注入口のバルブを引きぬいた。案の定、バルブの虫ゴムが、ボロボロになっていた。これでは空気が抜けるはず。早速近くの100円ショップに駆け込み、バルブのセット4組100円を買い交換した。空気はやはり近くにあった自転車店の無料空気入れを拝借し、修理完了。パンパンの空気で走ればペダルが軽くなり、愉快愉快。
 100円ショップはいつも嬉しい。

 でも、と私はまたはたと考えこむ。私が嬉しい100円ショップは、みんなが嬉しいのだろうか。100円ショップの製品を製造している地域の円の貨幣価値は、10倍から20倍あると考えられる。すなわち現地の人は、1000円、2000円の製品を作っているのだから、損はない。いわゆるWinWinの関係である。100円ショップに限らず、日本の各種製品は、そうして低価格を実現している。日本中、世界中、WinWin、WinWinで目出度いことだ。
 本当だろうか。同じように働いて、その価値が10倍も20倍も違うということは、どういうことか。そこには、なんらかのマジックが働いていそうだ。経済力、軍事力を裏付けにした政治力により、安い材や労働力を利用できる仕組みがあるのだろう。これまたすばらしいことである。もし、現地生産費を日本国内並み、先進国並みに上げれば、私たちは1000円ショップで、現在100円ショップで買っている製品を買うことになる。そうなれば商品は売れないから、日本や先進国は店を閉じ、現地生産をやめ、何十万、何百万という現地の労働者が職を失うことになる。そんな不幸を生産してはならない。だからこそ、この経済格差は、保持しなければならない。
 そのために、銀行はもっと強大な力を得て、日本の心臓部を強くし、海外に対抗できる産業構造を構築できるよう頑張れ。経済格差を保持し、それによって生じるメリットを享受できるよう、日本はもっともっと強くならねばならない。再軍備、核武装、それゆけ、やれゆけ、どんとゆけ。
 ブラジルの100万人のデモ。そんなのカンケーナイ。ワールドカップ、絶対やろーよ。イタリアに善戦した日本の活躍が期待できるブラジルワールドカップ。見てみたいよ。あんなにサッカーが好きなくせに、何でワールドカップまでやめろなんていうのか、気が知れない。ワールドカップをやって活気づいたほうが、ブラジル経済だって、よくなるんじゃないの。ネイマールも、きっとやってくれるよ。日本に圧倒的な強さを示したブラジル。優勝圏内だよ。
 ――弱肉強食、勝ち馬に乗れ、寄らば大樹、親方日の丸、人は背中から撃て、勝てば官軍。
 裏切者、卑怯者、業突張り、人でなしと呼ばれたってかまわない。私の心の奥底にも、そんな声がわだかまっている。

 古本屋は2店で3冊、面白い本に巡り合えた。予算は、100円と500円と520円。1冊は、青いカミキリムシの絵が小さく描かれた表紙がかわいらしい『日本昆虫記』、昭和16年10月発行。太平洋戦争に突入しているのに、のん気な本も出ていたようだ。もう一冊は、『四篇』という書名の本。夏目漱石の短編小説4編をまとめたもので、明治43年に春陽堂から出たものの復刻版である。当時のままの装丁が美しい。小説が4編入っているから『四篇』という題名も、人を食っていていい。それから、もう1冊は、小林秀雄の『ドストエフスキイの生活』。昭和21年に創元社から出た、当時のものだ。日焼けして相当痛んでいる。最終ページには、「一九五三・六・一〇 赤羽デ 広神清」という書き込みがある。後で調べたら、この方後に哲学者になったらしく、1995年度まで筑波大学の哲学・思想学系の教授だったらしい。もし65歳で退官したとしたら、この本の書き込みをした当時は、まだ大学生だったことになる。古本の書き込み探しも楽しい。その本の来歴を知ったり、かつての持ち主の人柄が想像できたりすることがある。
 喫茶店でお茶を飲みながら、広神さんがたくさん引いた傍線を眺めていたら、ドストエフスキーがパリに行ったときの感想を綴った手紙の所にも、鉛筆で線が引かれていた。
「実にパリは退屈な街だ。たしかに異常なものは沢山あるにはある、だがそんなものでもなければ、退屈して死に兼ねないだらぅ。断言するが、フランス人といふものは、たまらない国民だ。(中略)彼等は、成る程優しいし、正直だし、磨きもかかつてゐる。しかし彼等は贋物(にせもの)だよ。金といふものがすべてなのだ」

 銀行から始まって、いろんなことがあった一日。いろんなことも考えた。人はやっぱり人でなしになる以外に道がないのかとさえ思ったりもした。
 私は、その日が面白いのかつまんないのか、なんだかよくわからない気持ちになって、高円寺から去ろうとして、雑居ビルひしめく裏道を走っていたら、薄汚れたビルの配管に、イタズラ書きを見つけ、自転車を止めた。
しかし、よく見ると、それは単なるイタズラ書きではなく、私が、いや日本の国が、目標とすべきテーマを示唆した箴言(しんげん)だと思った。正に神々しい言霊(ことだま)が、この配管に降臨したのである。
 その言霊とは――。
「ヒト・ト・シテ…」
 私はここを私の聖地にすることに決めた。

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中川 越
中川 越

なかがわ・えつ/ もの書き。園芸などの趣味から野球やサッカーなどのスポーツまで、いろいろな実用書を企画したり、文章構成を担当したり、近代文学の作家の手紙を紹介したりしています。子供の頃の夢は野球の大リーガー。次にバスケットのNBAを目指しました。樽の中で暮らしたというギリシアのディオゲネスは、二十歳を過ぎてからの憧れです。

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