2011-10-2
「老後はどこで過ごしたいですか?(ナコーンパノム/タイ)」
タイの片田舎でホテル暮らしをしている初老の日本人に出会った。近年、老後の生活をマレーシアやタイに移す人達が多いと聞く。現地で「フジサン」と呼ばれている日本人も還暦を超えて移住してきた。
彼は若い頃から、タイが好きで、会社が休みになる度にタイに足を運んだのだそうだ。
「通っているうちに老後はタイに住みたいと思うようになったんだよねぇ。しかもできるだけ日本人のいないところ。バンコクやチェンマイのように日本人会のような社会がある場所だとちょっと煩わしいじゃない?」
彼はそう言いながら、大好きなビールを一気に飲み干し、お代わりを注文した。
長野県で建築会社の社長をしていた彼は二年かけて自分の社員達の次の就職先を決めた後、彼らが納得する形で会社の財産を売り払ってしまった。そして長年の夢だったタイで暮らす準備を始める。
旅をするのと暮らすのでは全く違ってくる。その街の悪いところは、旅では笑って済ませられるが、暮らすとなるとボディーブローのように響いてくる。彼は、暮らす場所を意識して、その街の悪いところを注目しながら、タイ全土を駆け巡った。
彼が現在、住んでいるナコーンパノムという街は最後の最後まで候補には入っていなかった。彼の友人のタイ人から「ナコーンパノムは人の住む所じゃないよ」と言われていたからだ。タイ人の中には、ナコーンパノムなどタイの東北部の小さな街は田舎街として軽視する人も多い。
彼は暮らす場所を探す旅の中で候補の街をいくつか決めた後、バンコクに戻る前に、ふたりとナコーンパノムの街に立ち寄った。これが予想以上に気に入ってしまう。メコン川の朝陽は素晴らしいし、観光化されていないので人もすれていない。煩わしい日本人社会もないし、街の大きさもちょうどいい。一泊の予定は二泊になり、気づいたら一週間が経っていた。この街には悪いところが見当たらなかったのである。
悪いところがまったくないことで彼は逆に不安になった。いいところばかりに目を奪われ、街の空気に馴染んでしまい、気づいていないのかもしれない。そう思った彼は対岸のラオスに渡り、少し街と距離を置いて冷静に考えてみることにした。
しかし、三日間、考えた末、ナコーンパノムに住むことを決めた。再びナコーンパノムに戻るとすぐにホテルのオーナーと住む交渉を始めた。そして、メコン川が見え、街のシンボルの時計台も見える角部屋に住むことにした。
僕が出会った時にはちょうど一年が経っていた。今でも悪いところは見えてこないですかと尋ねると首を振りながら、
「ないねぇ…。あぁ、こんなに飲むと奥さんに怒られちゃうなぁ」
と言って三本目のビールを飲み干した。
「えっ、奥さんいらっしゃるんですか?」
驚いて聞き返すと奥様は日本で栄養士の仕事をしているそうだ。お互い好きなことをしながら老後を過ごし、どちらかに介護が必要になったとき、お互いの生家の長野県で助け合うことにしようと決めている素敵なご夫婦のようだ。ナコーンパノムには今のところ日本人は彼しか住んでいない。
6件のコメント
元滞在していたフロントのおばさんに怒られていたみたいです。その後、ホテル門前で大声で女を呼んでいました。僕がそこを通ると老人は逃げるように去りました。その後、女と川沿いで話していました。偶然、そこを僕が通ると顔を隠すように背けてました。
日本人会が嫌いな人だったら疲れている旅人のドアをノックするのは止めて、そっとしておいてほしいです。
夜10時にトイレを掃除したり朝3時に音楽をガンガンかけるので両脇部屋に案内された2人の疲れている旅人は強制的に朝3時に起こされるハメに。
最低限のマナーもないのか!
この老人が泊まっているホテルではフロントとグルで隣の部屋に泊まらせる。
元滞在ホテルでは日本人が泊まっているのを何らかの手掛かりで知って、ロビーでビールを飲みながらフロント連中と日本語混じりで話して日本人が引っ掛かって来るのを待って自分の部屋に呼び込んでました。
時間の余裕のある旅人ならよいのですが、夜に到着する旅人には迷惑です。
ましてや朝3時に音楽かけるなんて。
なお写真のほうは新しく来た旅人、町の人に公開。町の人には、よく飲む日本人だと言われてます。
管理人さんも、こんな老人じゃあなくてイサーンでイサーン人のために全身全力頑張っている日本人青年たちでもレポートすれば感動すると思います。
元滞在ホテルから自分のホテルに日本人を連れていくのに自分の自転車を積んでサムローに乗っていきました。
目と鼻の先なのに100バーツをフロントのおばさんが日本人に請求してました。サムロー運転手は、フロントのおばさんの旦那です。
だから、この老人とは皆グルで、何も知らない日本人はついていった訳です。
海外では日本人だとホッとするのかも知れませんが気を抜いたらいけないです。
他の日本人とも話したのだが老人は寂しいんだろう、それで日本人と接触したいんだろうって結論でした。
僕は老人に旅を邪魔されたり安眠を邪魔されたりでカンカンだったが、その日本人は管理人さんと同じく良い聞き手になっていたみたいです。
この老人の日本の故郷は、今では住宅も多くなってきてはいるものの山紫水明のすばらしい、この地を遥かにしのぐ田舎。そこに住む人たちも穏やかな感じの人が多い。
老人は、今にも倒れそうだ。できれば、早く、あのすばらしい故郷、家族の元にもどればいいのにと今では思っている次第。
ナコーンパノムは本当に景観のよい町だと思います。
特に西洋人に人気が高く寒期は西洋人だらけです。
富士山は もう自分の実家の小町屋に帰られたようです。
富士山の田舎も本当にのんびりとした田舎です。
僕も赤穂に暮らしたい。
老後は自分の生まれ育った街で暮らしたいものです。
ふじさんはナコーンパノムで3年過ごしたら実家の駒ヶ根市小町屋に帰国するといっていたので今は奥様と仲良く暮らしていると思います。
小町屋は
天竜川沿いの本当に小さな田舎で開発もスローなので良い田舎だと思います。
ふじさん 末永くお幸せに。
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