salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

イシコの歩行旅行、歩考旅行、歩行旅考、歩考旅考

2011-05-29
「席がない(ヤンゴン→モウラミャイン)」

 前回の続きである。ヤンゴンからモウラミャインまで鉄道のチケットは手に入れたが、不安は残ったままだった。チケットの窓口の係員は、手元にある座席表の×の席のところに無理矢理、僕の名前を書き込んだだけだったからである。領収書と間違えそうな手書きのチケットには一応、アッパークラスD10と席の番号が入っている。

ミャンマーの鉄道はオーディナリークラスとファーストクラス、そしてアッパークラスと三つにわかれている。オーディナリークラスとファーストクラスは向かい合わせの四席のボックスタイプ。二つの違いは薄い座布団があるかないかだけである。アッパークラスは通路を挟んで一列と二列に別れた三列シートでリクライニングできる椅子が設置されている。今回、十時間の長旅では、ボックス席は辛そうだし、オーディナリークラスとの値段の違いも五ドル程度なので、アッパークラスを選んだ。

列車が到着し、改札口が開くと乗客は一斉に押し寄せる。人の波に揉まれながら、僕も自分の席へと向かう。とりあえず席があるのかどうか確認したかった。駅構内の案内板のようなビルマ文字表記ではなく、それぞれの車両に英語表記でOrdinary、First、Upperと書かれているのでわかりやすい。アッパークラスの車両を見つけて、中に入る。しかし、僕のチケットに書かれたDの列が見当たらない。そもそもアッパークラスは先程書いたように三列シートでA,B,Cのみしかない。

一旦、外に出て係員にチケットを見せた。彼はついてこいと手招きしながら案内してくれた。前の方の車両に通路を挟んで二列ずつの四列シートタイプのアッパーシートがもう一車両連結していたのである。その車両の一番前の窓際にD10があった。

席があったことで、ホッと胸をなでおろす。既に他の乗客は座っており、棚の上は荷物でびっしり埋まっていた。布団でも入っているのではないだろうかと思うような大きな荷物もあった。仕方なくリュックと小型のトランクを足元のスペースに置いた。荷物を置いてから一度、外に出た。出発前にトイレに行っておこうと思ったのである。車両に一応、トイレはついているようだが、その扉が「このトイレは開けたらビックリするよ」と僕に語りかけてきているようだった。再び係員にトイレの場所を聞くと駅の反対側に行かないとないというようなことを言われた。車両についているよと年季の入ったトイレの方向を指した。出発五分前の鐘も鳴っているので、トイレはあきらめ席に戻る。

席に戻ると、おばあちゃんが座っていた。席がなくても座ってしまう人達の話は耳にタコができるほど聞いてきたし、実際、自分自身も何度かそういう目にあってきた。イタリアの寝台特急では自分のベッドで眠っていた若者を引きずりおろしたこともある。しかし、これがおばあちゃんになるとなかなか言い出しにくい。苦笑いをしながら、頭をポリポリ掻いた。無下にもできないしなぁと思い、チケットを持って立ちながら目で訴えていると、おばあちゃんはニコッと笑って、立ちあがって後ろの車両に行ってしまった。

席に就くと同時に列車は動き始めた。窓から顔を出し、時計を見た。七時十五分まで、まだ2分程あった。遅れる電車は珍しくないが、定刻時間の前に出発する列車は初めてだった。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

1件のコメント

やっと見つけた席なのにちょっと席を外しただけでお婆ちゃんが座っておられて、無下にも出来ずにというところ面白かったです。目での懇願に気付いてもらえて良かったですね。
5月にヤンゴンからモウラミャインへ上等のバスで行き、帰りは列車でと思っていますが、そんなに揺れるのですね。トイレもドアが 開けてはならぬ と言っているようなのですね。つまらないけど、行きと同じバスで戻る方が良いのかな 溜め息をつきました。

by tabinakanotaeko - 2018/01/26 5:52 AM

現在、コメントフォームは閉鎖中です。


ishiko
ishiko

イシコ。1968年岐阜県生まれ。女性ファッション誌、WEBマガジン編集長を経て、2002年(有)ホワイトマンプロジェクト設立。50名近いメンバーが顔を白塗りにすることでさまざまなボーダーを取り払い、ショーや写真を使った表現活動、環境教育などを行って話題になる。また、一ヵ月90食寿司を食べ続けるブログや世界の美容室で髪の毛を切るエッセイなど独特な体験を元にした執筆活動多数。岐阜の生家の除草用にヤギを飼い始めたことから、ヤギプロジェクト発足。ヤギマニアになりつつある。

バックナンバー

そのほかのコンテンツ