2011-04-3
「小さな親切、大きな営業」
朝食後、二度寝を貪ると既に昼をまわっていた。眠っていただけなのに、お腹はきちんと空くものである。「働かざるもの食うべからず」という母の教えというより、小言を思い出しながらも、フロントに鍵を預けると外に出た。
屋台の脇を通り、大通りに出ようとしたときである。
「Are you Japanese?」
振り返るとイッセー尾形に似た中年男性が屋台の椅子に座っていた。手にはスプーンを持っている。ぶっかけ飯を食べている最中のようだった。
「I want to talk with you. Please give me five minutes」
懇願するように言う。僕の時間は腐るほどある。しかし、街中でこうして声をかけてきた人との出会いの中で、いい思い出が残ったのは自分の旅の中の確率で考えると十パーセント程度。それでも、その十パーセントの楽しさをついつい求めてしまう。負ける確率の方が明らかに高いのに望んでしまう賭け事のようなものなのかもしれない。
彼の隣の席に座った。それにしてもミャンマーの屋台のプラスチックの椅子はどうしてこうも座高が低いのだろうか。まるで銭湯で身体を洗っているような気分になる。
「Do you have a lunch?」
と言われ、一瞬食べようか迷ったが、まだ彼の素性がわからないので、コーヒーだけもらうことにした。彼の名前は「コー」さん。襟なしの真っ白なきれいなシャツにロンジンと呼ばれるミャンマーの巻きスカート、そしてナイロン製の肩掛け鞄をかけていた。
仕事をたずねると旅行代理店をしているのだと言う。ガイドの勧誘に違いないと残りの九十パーセントだったことを確信し、早めに切り上げようと思った。
彼は使い込まれた革張りのノートを取り出した。中のページには今までガイドしてきた人達と一緒に撮った写真やコメントで埋め尽くされている。日本人の方も何名かいて、それぞれの名刺も一緒に貼られていた。四国の中小企業の社長から岐阜の大学の教授まで、日本人だけでも、かなり幅広くガイドしているようである。じっと眺めていると、
「where do you go?」
と聞かれた。本当はご飯に行くつもりだったのだが、先程、ご飯を遠慮した手前、咄嗟にインターネットカフェと答えた。それもまんざら嘘ではない。ミャンマー在住の知人の国連職員からメールが届いているはずなのだが、前日、店の通信状況の調子が悪く、見ることができなかった。この国では決して珍しいことではないようで、客は「またかぁ」的に慣れたように一斉に店を出ていった。
彼は、インターネットカフェの場所を詳しく聞いてきた。その後で、僕がもっと通信速度の速いところを案内してあげると言う。こういう時は要注意である。小さな親切から大きな営業に変わるパターンは多い。ただ、速い回線のあるインターネットカフェの店を知っておくこと自体は悪いことではない。彼についていくことにした。屋台の会計をしてもらうと彼は、さっと僕のコーヒー代まで払ってしまった。僕が払おうとすると、僕が誘ったからいいですというようなことを言い、受け取ろうとしなかった。「タダより怖いものはない」。母の教えが頭を過った。
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