salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

イシコの歩行旅行、歩考旅行、歩行旅考、歩考旅考

2011-11-27
「四次元が見える方(パクセー/ラオス)」

何も見えないところを見ながら話している方というのは世界中、どこの国、どこの街に行っても、たいてい一人くらいは見かける。世間的には脳の障害を持った方とかたずけられてしまう。パクセーの街にも、そんな中年女性をここ何日か同じ場所で見かけている。昼下がり、ホテル近くの食堂でビールを飲みながら、彼女の姿をしばらく眺めていた。元は白かったであろうシャツは、どす黒く汚れ、ところどころ擦り切れてしまっている。巻きスカートは模様らしきものが見えるが、これまた元が何色だったのかさえわからないほど汚れている。足元は裸足。手には何が入っているのかわからない頭陀袋を持ち、一見、乞食のようなスタイルである。

食堂の対面は市場になっており、その市場の門の日陰に彼女はいつも座りこんでいた。座りこんでいるだけではなく、どこか宙を見ながら誰かと話している。たいてい怒っているような口調だ。時折、何か神妙な顔をして語り合っているように見えることもある。僕には相変わらず何も見えないが、彼女には何かが見えている。世の中では幻覚というのだろう。しかし、最近、本当に幻覚なのだろうかと思うときがある。不思議なのだが神妙な顔をしているときの彼女は優しい聖母のように見える。そんな時、ふと、人間の感覚が進んでいくと彼女のように見えるのではないだろうかと思い始める。三次元で見えることではなく、何か違う世界の物が見えたりするのではないかと。

まだ言葉も発しない小さな子供は、僕らには見えない何かを見て話したり、笑ったり、泣いたりすることがある。幻覚などではなく、あれは間違いなく見えているんだよと意味深なことを言った大学教授がいた。彼曰く大人になるに連れ、様々な社会の常識が、その能力を徐々に衰えてさせるのだそうだ。もし、そのまま大人になることができれば、その感覚を持ち続ける人が多く現れる可能性はあるとも言っていた。その話を聞いてから日本だろうが海外だろうが、宙を見つめてしゃべる人達への見方が変わってきた。時に少しうらやましく思うときもある。テレビや映画、本や写真などのように誰でも見られるものではない。彼らにしか見えないものである。

いったい今日の彼女は何を見ているのだろう。想像しながら、コップにビールを注ぐ。注ぎ終えて、再び、彼女を見ると視線があった。ドキッとするような目だった。彼女は、にやりと笑った。
「見えないんだ?残念だなぁ」
とでも言っているようだった。

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ishiko
ishiko

イシコ。1968年岐阜県生まれ。女性ファッション誌、WEBマガジン編集長を経て、2002年(有)ホワイトマンプロジェクト設立。50名近いメンバーが顔を白塗りにすることでさまざまなボーダーを取り払い、ショーや写真を使った表現活動、環境教育などを行って話題になる。また、一ヵ月90食寿司を食べ続けるブログや世界の美容室で髪の毛を切るエッセイなど独特な体験を元にした執筆活動多数。岐阜の生家の除草用にヤギを飼い始めたことから、ヤギプロジェクト発足。ヤギマニアになりつつある。

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