salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

〜日常は、劇場だ!〜「勝手に★ぱちぱちパンチ」

2011-03-6
憧憬のアラスカ、星野道夫さんについて想うこと

あれはまだ自分が学生のころ。
時代はバブル絶頂期で、豊かなマテリアル、豊かなマネー、豊かなライフ。豊かすぎるくらい豊かでキッチュな世界の価値観が、日本中を覆いつくしていた。

一方で、その反動からか、“ナチュラルグッズ”や“アースカラー”などという言葉が広まり始め(まだ“エコ”はなかった)、ことさら自然主義やリサイクル運動が盛んになり、一部の人々は、「マイ箸」を持ち歩いたり、商品の過剰包装が問題になったり、ファストフードのハンバーガー容器が、発泡スチロール製のBOX型から紙包みへと変わっていったのも、この頃だったと思う。
当時、日本中の山地や森林の至る所で、自然保護団体と地元の開発業者や議員が進めるゴルフ場開発との戦いが行われていた。
(言うまでもなく、圧倒的なお金と権力の力で、その殆どはゴルフ場になった。今でも飛行機で日本上空を飛ぶと、下に見える余りにも多いゴルフ場の数に毎回驚く。山地以外の平坦な土地に突如広大な緑が見えたら、その殆どはゴルフ場である)

そんな中、ようやく日本でも動植物や自然保護への関心が高まり始めた機運からか、アメリカから自然やオーガニックなものをテーマにしたショップ『ネイチャーカンパニー』が進出し、大都市圏にて店舗展開を始めた。
(残念ながら、デフォルメされた可愛いもの好きの日本人にはリアルすぎる動植物グッズは受けなかったのか、或いはまだ時期尚早だったのか、その後数年でショップは日本から完全撤退してしまった)

私が通学で利用するターミナルのモールにも、その『ネイチャーカンパニー』はあった。
数年前に、アメリカのシアトルで初めて『ネイチャーカンパニー』を見て以来大ファンになっていた私は、大学の授業が半日しかないときやバイトまでの空き時間を、よくこのお店で過ごした。

そこに置かれた自然をテーマにした本、グッズ、人形、学習用品、ポスター、ぬいぐるみ、ハーブティーなどの飲食物から洋服まで、いくら時間をかけても見飽きることはなかった。
美しい色、形、動植物をモチーフにしたウィットに富んだグッズは、限りなく私の想像力を刺激し、まだ見たこともない未知なる大自然に対する大いなる憧れをかきたてた。
特にお気に入りは、写真集だった。宇宙や惑星の写真から、山や海、植物や動物のありとあらゆる書籍が店舗の奥まったコーナーに集められており、さながらその一角は図書室のような雰囲気でゆっくりと楽しめるようになっていた。

私はいつもそこで、すでに有名だった岩合光昭さんの写真集「おきて」を何度も飽きもせずに眺めた。実は岩合さんは、奥様の日出子さんのエッセイ「アフリカポレポレ」の方を先に読んでいて、それから夫である動物写真家の光昭さんを知ったのだ。
そこには、生き生きとした、そして時にのんびりだらだらとしたライオンが、サバンナの中、自然の圧倒的な力と掟の中で生きる姿が、写しだされていた。
いつか絶対に自分もアフリカへ行き、そこに生きる野生動物の姿をこの目で見たい!と、その写真を開くたびに固く心に誓ったものだった。(そして、実際にその機会が訪れるのは、それからまだ十数年先のことになる…)

その日もまた同じように店内の写真集のコーナーで物色していると、今まで気づかなかった一冊の本が目に付いた。
大きな角がまるで前衛舞踏の人間の手のように空に向かって伸びている、シカの写真が表紙だった。裏表紙を見ると、恐らくそのシカの群れだろうか、とんでもない規模の広さで、大地を移動している姿を捉えた空からの写真があった。
表紙の折り返しは一転し、美しいコケや小さな植物の写真で、それはロマンテックとも言えるくらい可憐で魅力的な色彩を放っていた。
急いで中身をパラパラとめくると、幻想的なオーロラの夜空や、厳冬の自然の中で生きる動物たちが写されている。そして写真のページと交差するように、そこに生きる人々のポートレイトと、その写真家のものと思われるエッセイが記されていた。

もう一度表紙を見た。そこには“星野道夫”という名前が書かれていた。

“星の野の道を行く男”。

なんて素敵な名前なんだろう。
こんな名前を持つからこそ、こんなに美しいオーロラの写真を撮れるのだろうか?
心はカンパネルラのように宇宙を彷徨い、スナフキンのように物事の奥深くを捉え感じ取り、それを写真という目に見える形として映し出しているのだろうか?
一人真っ暗な宇宙の荒野を旅する、孤独と真理と星々の生命を愛する男の姿が浮かんだ。もちろん、ギターの代わりにカメラを持って…。

少しドキドキしながらその写真集のページを、もう一度最初からゆっくりとめくった。
舞台はアラスカだった。
ツンドラの大地に住む動物、ヌー(トナカイ)、ムース(ヘラジカ)、グリズリー(クマ)、ワシ、クジラなど、今自分が生きている世界とは全く違う生き物の姿が、そこにはあった。
海辺を歩くクマの家族、ジャンプするクジラ、メスをかけて戦うシカ、そして、空を覆いつくすようなオーロラの下に張られたテントの光、私の心は一気にアラスカの空の下へと飛んで行った。

そして、何よりも私の心を打ったのは、その写真と共に載せられた、彼のエッセイだった。
そこには、極北の大地に暮す多様な人々の生活と文化、現代アラスカに生きる人々の苦悩と希望、挫折と再生、喜びと知恵、自然との共存の物語が記されていた。
それは、今自分が暮す世界の、豊かさや上昇を求める唯物主義とは正反対の、目には見えなくても人間や生き物にとって本当に必要な生への物語がちりばめられていた。
また、内容ももちろんだが、私はその文体の素晴らしさにも心を打たれた。
彼の文章は、一見シンプルで必要なことしか書かれていないように思われる。過剰な装飾や狙ったサービス精神などは全く感じられない。
けれども、余計なものはすべて削ぎ落とされているにもかかわらず、その行間から、彼の奥深く温かな内面がにじみ出ており、人の心の深いところに真っすぐに届く。
多くの話題の中で、自分が出会ったその土地に住む、インディアンや移住者、研究者や名もない人々や家族の人生を語っている。
どれほど内容が深刻で過酷なものであっても、逆に素晴らしい偉業について語るときも、気負いがなく、どこかユーモアさえ感じさせる。それは、品性と言ってもいいかもしれない。
何もジャッジしない、ただその体験、経験を語り人々に伝えるだけというスタンスを取りながらも、読む人々の心に残す足跡は、恐らく一生忘れられない特別なものとなるのだ。
それはそのまま、彼の撮る写真にも言えることである。

「こんな文章が書ける人は、本当に、本当に、ステキな人だ…。自分もこんな人になりたい!」
心をわしづかみにされた気分だった。

その日から、私は“星野道夫”と名のつくものにはすべて目を通した。
まだ、大人への入り口に差し掛かったばかりの私は、無意識に人生の手本となるような人を求めていたのかもしれない。
いつか自分もアラスカへ行こうと心に誓った。
そして、何よりも彼のような目線で人々を見、世界を捉えることのできる人間になりたいと思った。

それから数年後、社会人として忙しく働きはじめた私に衝撃的なニュースが届いた。
星野さんが、カムチャッカでクマに襲われ亡くなったと。
信じられなかった。
あれほどクマを愛し、自然を愛し、素晴らしい才能と人間性を持った人が、その動物に襲われて人生を終えるとは。
世界とは、生きるとは、命とは何なのだろう…。
計り知れない圧倒的な自然の不可思議さに、心が震えた。

私たち人間は、この地球上に生まれたからには、お金持ちであろうが、貧困であろうが、仕事をしていようが、無職であろうが、健康であろうが、病気であろうが、自然の生物としては同じであり、そこから決してはみ出ることは出来ない自然の一部だ。
苦しみや喜び、絶望や希望といった感情も自然の現象の一部であり、雨や風やお日様といった環境も、そこに生きる動物たちも人間と同じ自然という枠で生きる生き物であることに変わりはない。
明日をも知れぬ運命の中、与えられた環境で今を生きるという意味では、都会で生活する我々と野生の大自然の中で生きる動植物たちには、どこか通じるものがある。
だから、アラスカの川で上ってくるサケを懸命に捕るグリズリーの姿も、都会のオープンカフェでipadをしているビジネスマンの姿も、同じくらいワイルドで自然な光景の一部なのだと思う。

星野さんは亡くなったけれど、彼の本からもらうメッセージは、今でも私を勇気付けてくれる。
それは、彼の文章や写真を通して、ひいてはアラスカに生きる人々の物語を通して、なぜこれ程までに自分が惹きつけられるのかに繋がるものだ。
それはきっと、「たとえ何があっても、人生を肯定していこうとする力」であると思う。
真の知性とは、きっとその力のことをいうのだろう。
その力は、自然の営みやルールを本能で捉える動物とは違い、現代の社会で生きる我々人間が時として見失ってしまいそうな力だ。
だから、時々、確認せずにはいられない。
誰しも、人生に弱気になったとき、進むべき小さな道しるべが必要なときがある。
そんな時、彼の本はいつも私の背中をそっと押してくれる、大地の母がくれた“優しい風のような物語”なのだ。

星野さんが亡くなって、はや十数年。
私はまだ、アラスカの地を踏んだことがない…。

(龍村仁監督のドキュメンタリー映画「地球交響曲~ガイアシンフォニー~第三番」(1997年公開)で、星野道夫さんが取り上げられています。出演が決まり撮影に入る直前に亡くなられた星野さんを追悼する形で、一緒に旅する筈であったアラスカの地を撮影、エッセイにも出てくる沢山の友人たちも語りべとして出演しています。機会のある方は是非に!)

右:アラスカに生きる動植物と人々を綴った写真&エッセイ集“風のような物語” 左:美しい短編小説のように語られる珠玉のエッセイ集“長い旅の途上”(遺稿集)

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

2件のコメント

めちゃめちゃよかった!
次回 図書館に行ったら星野さんの本を借ります。
自分が普段漠然と感じていることを 凝縮する形で余すところなく写真や文章や何かの形で表現する人がいて、それに出会えたら、究極の幸せかな。
めっちゃ 借りたくなったわ~。

by kiki - 2011/03/09 10:16 PM

私も人生の迷路に入った時、星野道夫さんに出会いました。
もともと、山登りで植村さんの事は知っていたのですが、星野さんは植村さんの様な冒険家でもなく、カリブーやムース、アラスカの自然を上手に撮る人というイメージでした。自分は、マッキンリーに眠る植村さんに会いたくてデナリ国立公園まで1歳の長男、旦那、自分の母を連れて行きました。
 帰国してから星野さんのホントたくさん出会うにつれ、今度は彼に会いたくなり、フェアバンクスへ行こうと思っています。 
 今の日本、世界を見たらきっとびっくりしてしまうと思います。 
彼の生きた時代は、まだ、動物にも人間にもやさしい時代だったと思います。今は、人間が自分で住みにくくしているような気がします。

by paneterria - 2014/03/12 9:57 PM

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アラキ ランプ
アラキ ランプ

東京在住。映画と文学と旅行が好きな典型的文化系社会人。不思議なものと面白いものに目がなく、暇があってもなくてもゆるゆると街を歩いている。そのせいか3日に1度は他人に道を聞かれる。夢は、地球縦一周と横一周。苦手なものは生モノと蚊。スナフキンとプラトンを深く尊敬している。

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