salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2010-09-12
日本の会議スタイルを変える
It’s大喜利ミーティング!?

こんなことを言うと身近な友人などは「どこが?」と
鼻で笑うだろうが、こう見えてわたし、大勢の前で話したり
自分の意見を発表したりする「スピーチ」が何より苦手な小心者。
けれども、身内トークならおまかせ! の内弁慶なのである。

たとえば、いつもの広告仕事の場合。
あるプロジェクトがスタートするとまず「ブレスト」と呼ばれる
意見交換の場が持たれる。
ブレストとはブレインストーミングの略で、
メンバーそれぞれが頭に浮かんだことを自由に話す
いわゆるフリートークのようなもの。
1人の発想が誰かの発想を呼び、それがまた誰かの発想につながり、
みんなの思考が絡み合い、うねるように新たなアイデアが生まれる・・・
というアメリカ式の集団発想法のひとつである。

わたしはこのブレストなるものがどうも苦手で、
そこそこベテランと見なされるキャリア15年目にしても
いまだに上手く立ち回る術を身に付けられないのだ。
広告の世界で食べさせてもらっている身でそんなことを言うと
「あら、じゃあ多川さんはブレストに参加したくない。
仕事をしたくないってことね」とあっさり切られてしまっては
たまらないのでここで必死の弁明を。

わたしが苦手なのは、「思うことを自由に出し合う場」
といいながら、的外れの意見、使えないボケ、
ネガティブな本音などは絶対に許されない硬直した空気、
下手なことは言ってはバカにされそうなまじめな雰囲気、
何を言っても無反応かつ無愛想なメンバー構成。
そんな3つの「厳しさ」がセットになったブレストにご用心!
と、自分で自分に言い聞かせてるだけのこと。
そこのところ、くれぐれも寛容にご理解賜りたく(しどろもどろ)

そんなわたしも嬉嬉として思ったことを言える
好みのブレストというのがある。
それはその場に居合わせたメンバー誰もが
「さて、どうしたものか」と困った雰囲気を醸しつつ
「とりあえず先に、ドリンクでも頼みましょうか。
ぼくコーヒー、みなさんは?」と、
まずはひとときの緩和から始まるタイプ。
一方、「まず、商品のベネフィットについて、
そのあたりの抽出をコピーライターさんから」
えっ、まじ、わたしですか!? といきなり
凄まじい緊張でスタートするようなものは
できるだけ勘弁してほしいのだが、
基本、こっちのパターンが主流のようである。

緩和始まりか緊張始まりか、そこが気分が乗るか乗れないか、
ひらめけるひらめけないかの分かれ道。
「緩急(かんきゅう)宜(よろ)しきを得る」ごとく、
はじめはゆるやかに、サビの部分は激しくみたいな
テンポ、リズム、グルーブ感があってこそ、
右脳とて気持ちよく踊れるもんじゃないか。
ビジネスの場にも、「人をその気にさせる」「人を踊らせる」
演出があってもいいのではないか。

そういう悪ふざけが足りないのが今日の経済停滞の一因ではないか。
などと、自分のことは棚に上げて、マクロな視点で問題提起させて
いただく次第である。

大体からして圧倒的個人主義、破壊的自己アピール力を誇る
アメリカンならいざ知らず、みんなの思いに触れてこそ
初めて我を知るような奥ゆかしさが歯がゆい日本人には
日本人なりのグループ発想法があってよさそうなもの。
となると、ご存知おなじみの「大喜利」では。

大喜利ミーティングを仕切るのは、眼光鋭く時代を読む
リーダーなどではなく、ひとり一人のメンバーの持ち味を生かす
作法を心得た師匠的なMCが望ましく、そいつが丁々発止の名調子で
「さあさあ、できた方からお手をあげてちょうだいな」と
お題を振っていく。
振られたメンバーそれぞれに、「あっしなんかが言うのも何ですが」と
自分の役どころ、落としどころをわきまえた回答で場を沸かす。
それがまったくアイデアとは程遠いダジャレであろうと
「しょうがないねぇ〜グッふぉふぉふぉっ」
こりゃ参ったの高笑いで受け流し、
肝心の答えの良し悪しは置き去りに
座布団1枚取るか取られるかで一喜一憂。
組んずほぐれつ和気あいあいと結論など出ないまま、
お後はよろしく本日はこの辺で、会議終了ってなわけである。

そう、日本人のブレインストーミングの原点は「笑点」にあり。
問題の本質、核心をえぐるより、思い思いの道具を持って
そのまわりをぐるりと囲み、誰かが棒で突いたり、水をかけたり、
なんのかんのと面白可笑しく絡み合った後、帰る道々
「あいつが言いたかったのはこういうことなんじゃないか」
「いや待てよ、となると、こういう切り口もあるんじゃないか」などと、
ひとりになってようやく、ぽっと灯るひらめき。
そんな小心ゆえの小粒で小まめな発想こそが、
他の国々の追随を許さぬ日本人のコア・コンピタンス、
いにしえからのポテンシャルではないかと。

社内の公用語を英語にするのも立派だが、
それより社内会議を大喜利風にする方が、
日本独自の新たなアイデア、コンテンツが生み出せるのではないか。
そんなしょうもないことを思うのは、ゆるくほどけた茶の間の空気でないと
思ったことが言えない私だけか・・・。

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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