2011-03-2
悲しみに、ありがとう。
昨日深夜遅く、20年来の親友の愛犬ノブが息を引き取った。
ノブは、彼女がまだ神戸にいた13年前に、彼女の夫が飼い始めたラブラドール犬。その後、彼女は離婚。母ひとり犬一匹、支え合い慰め合う日々の中、今の旦那と出会い再婚。住み慣れた神戸から東京へ移り住んだ彼女も、今では2児の子どもを持つ母となり、かつて孤独にもがいていた日々がウソのような穏やかで賑やかな家庭を築いている。そんな彼女の人生に寄り添い従い、いつもそばで見守り続けていたノブ。
若かりし神戸時代は、おしゃれなドッグカフェの看板犬として鳴らしたノブ。筋骨たくましくしなやかな体躯で、六甲の山道を勇ましく駆け回っていたノブ。けれどここ数年、たまにノブを見るたび、白髪の増えた口ひげ、一層優しくうるんだ瞳、あくびをした瞬間に放たれる口臭のえげつなさに、老犬の悲哀と愛おしさを感じ入るものであった。
そんなわたしも幼い頃、ルルド(呼称ルルちゃん)というポメラニアンを飼っていた。ルルちゃんを飼い始めたのはわたしが4歳の頃で、それからずっとわたしたち母子3人と苦労を共に、わたしたちがようやく大丈夫となったときに、その役目を終えるかのように12年で亡くなった。6歳で両親が離婚してからというもの、子どもといえども容赦ない現実に叩きのめされることが多かった小学校時代。家で何かツライことが起こる度、慰めてくれたのはルルちゃんだった。何がどうとはわからないけど寂しいとき、悲しいときはいつもルルちゃんを連れて、近くの神崎川の土手に座り、じゃりんこチエさながらに「わたしは日本一不幸な少女や…」と、どっぷり悲観に暮れまくる少女時代。川沿いに建ち並ぶ化学薬品工場の煙突から濛々と吐き出される黒煙を見上げ、工場排水でギトギトに汚れきったヘドロの川を眺めながら、これでもかと暗く打ち沈むわたしが、「カワイイ!」と萌え立つ元気を取り戻せたのも、ひたすらルルちゃんが可愛かったからだ。母親が働きに出ていない夜でも、わたしと弟ふたり安心して眠れたのは、人が来たらキャンキャン吠えるルルちゃんがいてくれたから。
やがて、わたしも高校生になり、ルルちゃんを抱きしめて泣かなくてもいい一端の家庭に落ち着いたのを見て、ルルちゃんは逝った。
ノブもきっと、旦那と子どもに囲まれた彼女の笑顔を見はからうように、もう大丈夫と逝ったのだろう。
彼女の家でノブに最期のお別れをした帰り道、目黒通りを自転車で走りながら、よかったなと後から後から涙があふれて仕方なかった。彼女がここまで来れるまで一緒に居てくれて、もう大丈夫というときまで一緒に生きられてよかったな、ノブ。ほんまに物言わぬものは、どうしてこうもいじらしく、愛おしく、泣かせよるのか・・・。
命あるものはいつか死ぬ。形あるものはみな消える。会うは別れの始まり、サヨナラだけの人生はつらいにも程がある。しかも、それを失うことなど考えられないときにその存在を失うことほど悲しく痛ましいことはない。でも遠い昔、失うことなど考えられなかった存在が失われるとなったとき、悲しみながらも見送ることのできる自分でいられることは、もっとも感謝すべき不幸中の幸いなのかもしれない。これでよかった。そう思って見送り、泣けたら、こんなありがたいことはない。
ノブも、ルルドも、そしてわたしのお母ちゃんも、自分の役目はここまでと命を終えた。寿命というのは、その人間に与えられたというより、その人間を必要とする誰か、何かのために与えられたものなのかもしれない。なぜなら、その人の命の意味を知っているのは、その人によって生かされた人間でしかないから。
5件のコメント
ちょっと泣いた。
お互い、だんだん、出会う事より、別れる事の方が多くなる年頃ですね(^_^;)
別れるたびに、今、一緒に生きてる大事な人を、大切に想おうと、心に誓い、先週 40歳になりました(^_^)
ほんまに、失ってから気づく大切さは「歯」だけで十分やと、あるもんを大切にと想いつつも、「ある」となるとないがしろにしてしまう部分入れ歯の41歳です。。。
大切な人との別れは、やはり辛いですね。
しかし、与えてくれた優しさだったり思いやりは何とも言葉に表せないものです。感動しました!
別れは失って初めて気づくんですよね〜。
当たり前の事にあぐらかいちゃってたりの中年43才、
これからの人生耐えられるのか???
後悔しないよーにしなくっちゃ。歯は大事よね。二度と帰ってこない…
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