salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2011-12-3
わたしの「大阪ダブル選」
迷ったときは、大阪を見よ。

やっぱり「橋もっちゃん」の圧勝に終わった大阪ダブル選挙。客観的に冷静にこの結果を見れば、救世主的に現れた人気者に民衆が熱狂し、とんでもない悪政・失政に陥る歴史の常套パターンなのかもしれないし、民主政権以来長らく強力なリーダーシップ、決断力、実行力に飢えていた反動かもしれない。さらには、橋下維新は小泉改革の再来とでもいうべきリスキーな選択であり、大阪市民は民営化・解体・改革によって経済的な効率・利益・価値のみを追求し弱者を切り捨てる市場原理主義、新自由主義社会へ舵を切ったのだと警鐘を鳴らす知性と良識ある賢人の声を聞くと、「そうかもしれんなぁ」と、うむむと頷かされる。が、頭では理解しようと努めても全面的に承伏しがたいのは、わたしが「そこまで深く考えたら何もできへんやん!」と開き直るクセが強いアホな大阪人だから、かもしれない。

ただ、今回の選挙を通じて感じたのは、これほど大阪の人たちが心底迷うに迷い、考えに考えた選挙はいまだかつてなかったと思う。それは、小泉フィーバーや政権交代総選挙によって煮え湯を飲まされた経験から、橋下候補の人気・知名度・パワー・ノリだけで選んではいけない、おもろいだけで決めたらあかんと、大阪の人間にとってはこれ以上なくシバリのキツイ選択だったからである。

なぜなら選挙前、身近なまわりの友人知人と府知事市長選の話をすると、みな口々に「難しいなぁ〜」と頭をひねって考えあぐね、決めかねていた。
わたしの弟は、橋下市政になれば即解体のやり玉に挙げられる大阪市の水道局職員だが、それでも「おれはなぁ、迷うところやねん」と悩んでいた。
言うまでもなく水道局は一丸となって「平松市政支持」で固まっているのだが、自分としてはこのまま何も変えずにいいのかどうか、そこが「難しとこ」らしかった。

恋愛のグダグダ、夫婦のゴタゴタ、人間関係のイザコザ、ビジネス・商売の当たり外れなど、大抵のことは「何が難しいねん!自分の好きにやったらええがな」と好きにする大阪の人々が「難しなぁ〜」と考えあぐねることなど滅多とない。大概、考えれば考えるほど、悩めば悩むほど、真剣に思い詰めれば詰めるほど「どうでもよくなってくる」のが通常健全な大阪思考である。わたしも思いっきりそうだ。それが、こんなにも「難しなぁ〜」と苦悶をおぼえ葛藤させられるということは「好きだけで決めたらアカン」自制の念がものすごく働いたということで、大阪の人にしたらこれほどしんどい作業はなかっただろう。かわいそうに。

わたしは、今回、橋下市長を選出した多くの市民は、彼が掲げる都構想や改革に過大な夢やロマンを抱いたわけでも、「何とかしてくれ、変えてくれ」とすがりつくあなた任せの依存でもなく、「そこまでやりたい言うヤツにやらせたい」「おまえが先頭立ってやってくれ」という同輩同志的な信望で一票を投じたような気がする。つまり、ここ大阪では最初から「やる気のあるヤツ急募!」だったということだ。

何しろすでに破綻状態の財政赤字、もはやあたりまえに思わないとやってられない不況と不景気、企業本社機能の相次ぐ東京移転ですっかり空洞化したビジネス経済、働き世代の人口流出など、これほど都市機能崩壊の危機的状況にあっても、果てしない地盤沈下が叫ばれても尚、「笑われへんなぁ」と笑える街、大阪。さらには低所得世帯、失業者・ホームレス人口・生活保護受給者数・離婚率・児童虐待件数ともに全国ワーストトップという日本の難題・タブーを独り占めしたような衝撃のヒューマン・ドキュメンタリー・シティOSAKAである。そんな大阪の地場で這いつくばって生きている者、この地でこれから働いて、稼いで、家族を養い、生きていかねばならない者にとっては、ここで「変えない」という選択はなかったように思う。

選挙中、喫茶店や居酒屋、スポーツクラブなど、街のしゃべり場では必ずと言って良いほど「橋下か、平松か」の選挙談議を耳にした。そこで意外だったのは、温厚で知的で紳士的な「平松さん」が大阪のおばちゃんや女性陣には、なぜか不人気だったことである。「橋もっちゃん」のこともそこそこ悪くコケ下ろすものの、最終的なおばちゃんたちの判断合意は
「けどなぁ、わたし、平松さん、どうも好きになられへんねん」。
完全な勘違いでも、おばちゃんたちはおばちゃんたちなりに真剣に揺れる想いがあったようだ。
一方、男性陣の方は、60代以上の支持を集めた平松さんの得票率にも表れているように年配の人ほど「橋下徹が大嫌い」なようで、真っ当な政治観から橋下改革の危うさを語っているインテリ風の老紳士もいたが、わたしが耳にした大方のおじん達の論評は、血気盛んな若武者に対する嫉妬じみた文句だったりもした。そして一番多く聞かれた声は「せやけど、こんなえげつない大阪を変えようと思ったら、橋下くらい根性ないと無理ちゃうか」「せやなぁ」というベタな会話だった。

でも、わたしは、自分が街で見聞きした人々の悩ましくもツッコミどころ満載の思考としゃべりがある限り、どう転んでも大して変わらない大阪であり続けると信じられる。そうなると大阪女の選択肢は、改革でも維新でも何でもええから「やりなはれ〜」しかないのである。

大阪は「日本の縮図」といわれる。商業、金融、貿易、産業経済の発展はつねに大阪から始まっただけに、衰退していくのも大阪が先なのだ。古くから商売の都で慣らしてきただけに、資本主義、市場主義の煽りをいの一番に食らわされる運命になのかもしれない。橋下市政誕生が大阪再生への突破口になるのか。それともさらなる格差と停滞を招くのか。いずれにしても、大阪はやってみる。それが全国の方々に、日本社会がこれから進むべき方向を示す手本になるのか、はたまた「わしらみたいになったらあかんぞ〜」みたいな反面教師になるのかはわからないが、この先、総選挙や知事選など政治選択に迷ったときは「大阪の背中を見なさい」と、下から力強く言っておこう。

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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