salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2010-09-8
近すぎて見えない、
人と人との距離感。

お盆が明けてもまだまだ暑い8月の終わり。
2年ぶりに帰ってきました、わが街・大阪。
新幹線で新大阪駅に到着し、ホテルに向かおうと地下鉄に乗り込んだ瞬間、ほわ〜んと鼻先をなでる肉肉しいかほり。もしやと見ると、隣に座ったおばちゃん2人の膝の上に、お約束のように大阪名物『蓬莱の豚まん』が!
(この暑い最中にホカホカの豚まん食べようと思うか〜!!)と、心の中でつっこんだ瞬間、ああ、帰ってきたなと。
車窓から故郷の山や海が見えたときの何とも言えない郷愁を車内に立ちこめる「豚まんのかほり」に感じさせられるとは…。

TV番組の『ケンミンショー』じゃないけれど、その地域であたりまえに思っていることも他の地域ではそうではないところが何とも面白かったりするのだが、人間同士の場合、その「違い」を面白がるには、やはり程よい距離感が必要だと思う。それは実際の距離ではなく、気持ちの上での「間」。
今回、久しぶりに大阪に戻ってみて、あらためてそんなことを考えさせられた。なぜなら、そこは、人と人の距離感が異様に近すぎる町だったから。

どうも大阪の場合、「自分と他人は違う」という認識を上回る勢いで、「人間、一皮むけばみな一緒」という平等感覚がおそろしく発達してるのではないか。
たとえばタクシーひとつでもそう。こちらが乗車するやいなや、
「寒ないか?さっきのお客さんが冷やしてくれ、冷やしてくれいうもんやから。寒なったら、遠慮せんと言うてや」と、誰かと戸惑う馴染みよう。
そんなところに「運転手さんは、ずっとこの仕事してるんですか?」などと質問でもしようもんなら、「息子がニートで娘が出戻りで、女房は韓流、韓流ですわ」と誰もそこまで聞いていないことまでサービス満点に聞かせてくれる。他人から聞かれる前に、自分からお出しする。大阪流おもてなしの心である。

そんな運転手の話だけだと、なかなか人間味があっていいよねと笑えるものの、みんながみんな親戚のおっちゃんノリで懐いてくるわけでもない。
中には、「自分の家か?」というようなテンションの低さで、行き先を告げてもうんともすんとも言わず、ぶすっと不機嫌そうに黙りこくり「この辺でええか?」とさっさと降ろして去っていく、信じられないほど気分の悪い運転手もいたりする。

そういえば移動中の電車でも、異様に近すぎる距離感が原因の衝突事故に出くわした。
8人掛けの長いシートの両端に私ともうひとり女性が座っていると、停車駅でスーツケースに大荷物を抱えたダンサー風のおばちゃんが乗り込んできた。そして何やら、ドア側のてすりのある端の席に座っているその女性に
何やらしきりに目配せしている様子。と、その女性、「何か文句でもあるの?」とでも言いたげに、みるみる怪訝な表情に。
するとそのダンサー風のおばちゃん、つかつかとその女性の前に立ち
「わたしこんなに荷物があるから、端っこに座った方がいいと思うし、
ちょっと横にずれてくれません?」と、わかるでしょと。
それを受けたその女性も負けじと「そんなことあなたの勝手でしょ!わたし関係ないじゃないですか!ほんまっ、失礼やわ!!」
思いがけず、はねのけられたダンサー風のおばちゃん。そこまで命令したわけでもないのに、なぜそこまで拒絶されなくてはならないのか納得できなかったのだろう。「荷物があるから端の方がみんなの邪魔にならへんと思っただけですわ!別に、もういいですわ。悪いこと言うてすみませんね!」と、そこまで言ってその女性の横に座り、なぜか2人ともぶすっと険悪極まりない様子で隣り合って座っているのである。今会ったばかりの見ず知らずの他人同士とは思えない、親か姉妹か肉親レベルの感情のぶつけ合い、いがみ合いに、ただただあ然。しかも、平日昼間の空いた車内。どうせなら別の車両に移ればいいではないか・・・

なぜそんなに素のまま、ありのまま、あるがままを出せるのか。出してくるのか。たぶん、どうしようもなく好きなのだろう、人間というものが。
だから自分が思うことは、他人にもそう思ってほしいし、
そう思わないなら、そう思わないと思う心を見せてほしいと思う。
心の交流とか、そんな高尚なものではなく、いわば、心と心のぶつかり稽古である。不惜身命、満身創痍、そんな感じ。

「そう思うやろ? え、思わへん? なんで! だってそう思うやん、
だってわたし、そう思うもん」

という具合に、自分の思いを相手が「思う」と観念するまでこすりつけて、押し込んでしまうようなところが、自分にもなくはない。いや、非常にある。
誰彼構わずではないが、「これ!」という人には、胸襟どころか腹をかっさばいてでも見せ合わねば気がすまない性分だったりする。
そう、そこが悲しいかな、自分の中にある、「豚まん」的な感性なのだ。

見れば懐かしい。触れれば温かい。いいも悪いもなぜか笑えるふるさと。
でも、そこに戻りたいとも、帰りたいとも思わなかったのは、
それらはすべて自分の中にこれでもかと、それこそ肉汁たっぷり
染みこんでいるものだと、いやでも思い知らされたから。

帰りたい? 帰れない? いやいや、まだまだ帰らなくても大丈夫。
久しぶりの大阪で、そんな大人のセンチメンタルをこってりと
味わい尽くし、お腹いっぱい「また来るわ!」と東京に帰ってきた。
帰りたい場所がある、そんな自分をちょっとうれしく思いながら。

近すぎて見えない、人と人との距離感。

こんなものまで、そう「思う」のね・・・

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1件のコメント

>どうも大阪の場合、「自分と他人は違う」という認識を上回る勢いで、「人間、一皮むけばみな一緒」という平等感覚がおそろしく発達してるのではないか。

確かに大阪は人と人との距離感が近すぎる嫌いがありますね。一方で、東京は逆に遠すぎる感じがありますが。

by minisuke@粒谷区高円寺 - 2010/12/10 10:57 PM

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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