salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2011-05-18
愛より深い内田裕也と樹木希林 

世に美しき夫婦愛なるものがあると聞く。「合わせ物は離れ物」のごとく離婚・再婚を繰り返し繰り広げる親や身内のゴタゴタを目の当たりにしてきたおかげで、それがいったいどうものか皆目見当もつかず、夫婦愛をテーマにした小説ドラマに感動して涙したような憶えもまったくない。いわばそれは、あるところにはあっても自分には手の届かない別世界の高みであって、それこそご成婚50年目にして「感謝状を」「努力賞を」と互いの労苦をねぎらい、いたわり、尊敬し合う天皇皇后両陛下のお姿が、唯一なけなしのイメージなのである。だから、そんなものは望むべくもない雲の上の話、もはや神の領域なのである。

と、夫婦についての貧しい私見を述べたところで、今日の本題、内田裕也と樹木希林。リクルートの結婚情報誌・ゼクシィのCMで「夫婦って何なんでしょうね?」「ロケンロール!」と、他人にはさっぱり意味不明の夫婦の機微を見せつけてくれた2人。「ふたりらしいハッピーウェディング」をサポートするゼクシィ的には、夫婦の数だけ夫婦のカタチがあるという「ふたりらしさ」を象徴するカップルとして内田裕也と樹木希林ご両人にご登場いただいたのだろうが、大層な制作費をかけて作り込んだCMよりも、「内田裕也 交際女性へのストーカー行為で逮捕!」「逮捕されてよかった、離婚は考えていないー樹木希林」という事実の方がよっぽど強烈に「ふたりらしさ」をアピールする皮肉な結果に。とはいえ、今回の事件でもっともインパクトをもって伝えられたのは「夫ひとりを奈落の底に突き落とすわけにはいかない」という樹木希林のさすがの貫禄、器量の深さである。そしてそれをまた巷の女性誌では「本当の愛」とか「妻の鑑」とかもっともらしい美談仕上げに飾り立てるのがイラッとくる。

何しろ世間の常識・通念とは程遠い独自の感覚・独特の感性でやり合ってきた内田裕也と樹木希林。新婚の頃は、2人揃ってパンク・ロックなヌード写真を披露するほどぶっ飛んだ仲の良さを見せていたような記憶がある。その挑発的でスリリングでエキセントリックなツーショットは、さながら「俺たちに明日はない」のボニー&クラウドか、カート・コバーンとコートニー・ラブのようだった。きっと、いいときはむちゃくちゃいい2人なのだろう。そして— あれから30年。暴力、浮気、女性スキャンダルと、どう考えてもラクではない夫・内田裕也と別居はしても離婚はしない樹木希林。

過去に1度、内田裕也が希林に黙って離婚届を出したのをかぎつけ、役所に駆け込み訴訟までして阻止したほど、離婚だけは死んでも許さないのが希林の流儀である。それ以外のことは何でも自由におかまいなし。女が好きなら好きなだけ好きにすればいい。但し、離婚だけは好きにさせない。それはなぜか。たぶん、内田裕也のとんでもない性格、言動、行動、生き方の責任を取れるのは自分を置いて他にはない揺るがぬ自信と覚悟ゆえのことではないか。

以前、『徹子の部屋』か何かのインタビューで、「内田ほど何をしでかすかわからない、これほど退屈しない人間はいない。まあ好きといえば内田裕也という人間のすべてが好きなんでしょう」と語っていた樹木希林。いやいや、その「好き」というのがいかに難儀で厄介な感情か。それはもう「嫌なところ」を知りすぎたあげく、誰よりその人間のことを理解してしまった報いかバチか、関西弁でいう「自分、たいがい好っきゃな〜」の性癖か。それゆえ樹木希林が絞り出すように口にした「好き」と、「好きだから一緒にいたい」などという「好き」を混同して、いいように解釈してはいけないのである。波に船をさらわれた漁師がそれでも「海が好き」というのと、「海が好きだから海の見える場所で暮らしたいよね」というのでは、「好き」という言葉は同じでも、そこに渦巻く感情の曼荼羅模様の複雑さがまったくもって違うわけである。

わたしは、樹木希林が別れないのは、愛というより意地だと思う。ここで会ったが百年目、貴様が死ぬか己が死ぬかでしか決着のつかない「やけくその意地」で一緒に居る。それが愛だというのなら、愛ということで結構でございます。という投げやりなやっつけ仕事が、天から請け負った夫婦の共同作業ではないか。

そういえば以前、大阪ローカルの朝の番組で、たむらけんじが近所で噂のキテレツ人間を訪問レポートするコーナーがあった。そこで登場したのは、女装が趣味という70歳のじいさんで、外出するときはTシャツにチノパンという普段着の上から「ブラジャー」をつけるのが、さりげない女装なのだそうだ。近所の小中学生から「おかま屋敷」と呼ばれる自宅には、場末のパブかキャバレーのステージ衣装さながらにケバケバしく毒々しいドレスがぎっしり並び、かれこれ40年以上、家の中ではつねにドレス姿で過ごしてるという。しかし注目すべきは、女装の楽しさ、解放感、気持ちよさを意気揚々とブラジャー姿で語るジジィ、いや、じいさんではなく、その隣でニコリともせず無表情で黙って座っている女房である。「ちょっとちょっと奥さん、どうなんですか〜? 自分の愛する旦那がこんなブラジャーつけてウロウロして〜」と、たむけんがマイクを向けると、眉ひとつ動かさず痛恨のひと言。

「愛してたらイヤですけど、愛してへんから平気ですわ」

そこまで言われて「ひどい言われようですわ〜」と苦笑するジジィの情けなさと相まって、夫婦というものの「食えなさ」をあらためて痛感させられた次第である。

自分のイヤな性格をイヤだイヤだと嫌悪してもそれが自分と開き直ってあきらめられるように、相手のイヤさも「それがあんたや」となるのに25年。むしろそのイヤさが抜けて妙にやさしく丸くなったら「死ぬんじゃないか」と心配になる境地に達するまで50年。あとは自分と相手の境目が見えなくなり、人から見たときジジイとババアの見分けが付かなくなれば夫婦修行も一丁上がり。そこまで精根尽きるまで付き合えば来世では会わずに済むというのが、死後の世界のGメン‘75、丹波哲郎上人の教えである。樹木希林が何が何でも別れないのは「(内田とは)来世では絶対会いたくない」というやけくその信心からなのかも。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

12件のコメント

面白かったです(^-^)
三年前に 親父が死んで
今だに 毎日、健康ランドにパートに行く
今年で 70才の 俺の、おかん…
おまけに、独り住まい…
最近、50代の彼氏が 出来たそーです…
元気なやっちゃ〜…てか、妖怪や…
女は強いわ‼
昔は、飲んだくれの親父の面倒を
一生懸命、夜 働いて、支えてた おかん…
やっと、自分の人生、楽しめてるんやろか(^-^)
ずっと 元気で 長生きして欲しい…

ババァ万歳です!

by 秀虎 - 2011/05/24 12:42 PM

恋するオカン、何とも言えないバイタリティ
ですね。うちの母も、今際の際までちゃっかり
彼氏がいましたわ(苦笑)
秀虎さんのコメント読むたび、染みついてるものが
一緒のような親近感を痛感します(^人^)

by 匿名 - 2011/05/26 6:22 PM

昨日、おじいちゃんかおばあちゃんかわからなくなったカップルを見て思うところがあり共感。内田ご夫妻のことも私は自分の為の「執念」を感じます。愛情も色々ですからね。

テレビで京都のお豆腐屋さんを訪ねていました。結婚53年。「この人のこと好きやと思ったこと一度もありません」という言葉すごいと思いました。

「知性」で検索して過去の記事に遭遇。以前、工事現場でハンマーを振り上げていた中年の顔に知性が光っていたことが忘れられません。もう三十年も前のほんの一瞬の出来事です。

by 東京のおばちゃん - 2011/07/04 1:30 PM

東京のおばちゃんさま

お初にお読みいただきまして、ありがとうございます。
「この人のこと好きやと思ったこと一度もありません」といいながら一緒に居る
「わけのわからなさ」が、わたしもたまらなく好きです。

by richun - 2011/07/04 1:53 PM

裕也さんにとっては、地獄だったでしょう。
こんな追い詰め方されなければ 
曲のイメージも変わってもっと殖えていたと感じます。

by  邂 逅 - 2013/04/10 8:27 PM

[...] 出典 http://salitote.jp 「内田裕也の全てが、好きです。全てが…。」 [...]

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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