2011-06-3
親の運命、子の宿命
一身上のゴタゴタで、3年半ぶりに古巣の大阪に戻ってきた。東京にいても関西弁丸出しの自分だったくせに、こっちに戻ると四方八方大阪弁だらけという環境にいちいち反応してしまう。やはり「言語は耳から」ということか。堂島のビジネス街でいっぱしの企業のお偉いさんが「ま、そういうことやさかい、案上よろしゅう頼んまっさ(そういうことなのでよろしくお願いします)」などと、もっちゃりとした大阪弁でモチを付くように商談を交わす様子を見ると、「ああ、これこれ、この感じ」とほくそ笑んでしまう。
昼の日中、超高層ビルがひしめくオフィス街で企業サラリーマンと肩を並べて歩いているホームレスの姿など、大手町や丸の内で1度も見かけたことがないが、ここではそういうミソもクソも一緒くたに煮込まれて何が何だかわけがわからなくなるグダグダ感が仕事でも商売でも生活でも人間同士の関係でも「軸」としてある。社会の表と裏、世の中の上と下、人の良さとえげつなさ、ありとあらゆる洗練とタブーが混然と一体となって「何が悪いねん」とトグロ巻いて大阪湾に浮かんでいる絶妙なバランス感覚が、沈みそうで沈まない大阪の魅力だと嫌々ながらも信じて疑わないわたしである。
と、そんな大阪私感はさておき、最近、まわりの親子、家族を見るたび「いい時代になった」と考えさせられる今日この頃。というのも近頃、わたしのごくごく親しいシングルマザーの友人に新たなパートナーができた。ということは、必然的に彼女の息子、12歳の彼にとっては、今までの母親と2人の生活に新しいメンバーが登場したことになる。職場でも仕事でも恋愛でも結婚でも、人と人が織りなすドラマの展開がどうなるかは「人による」としか言いようがない。中でもとくにその相手次第で幸と不幸、天国と地獄が真っ二つに分かれる最たるケースは、親の再婚ではないだろうか。
東京を離れる前に彼女の家に親しい友人達と集まり、「いい人が現れて、ほんまによかったなぁ」と根掘り葉掘り経緯と現状を語り合ったわけだが、そこでひとりしみじみ痛感させられたのは「時代の進歩」、「生活の洗練」、昭和と平成のセンスの違いであった。母親の新しいパートナーに対しても気負いなく自然体で接する12歳の彼のどこにも暗く鬱屈した心配な陰はなく、それは周囲で見守る大人のひとりとしては何より一番喜ばしく安心なことである。そしてそれはひとえに彼自身の性格とパートナーの人柄によるところが大きく、何より、俗世的なドロドロ感とは無縁の明るくほがらかな天然気質の彼女の性格・感性・センスなればこそ。
母親に新しい男性が現れ一緒に暮らすことになる。その家庭状況、パターンは自分の昔と同じなのに、そこに流れる空気感、イメージ、見え方が、比べものにならないくらいまったく違うのである。ひとことでいえば垢抜けてる。というか、自分の頃に充満していたあの重苦しい「ワケあり感」がまったくない。これが時代の進歩、洗練なのかと、つくづく「いい時代になった」と感慨深く思い染まされるわけである。
自分が彼女の子どもと同じ境遇だった頃の、あのジメジメとカビ臭い生活は、相手の男の質の悪さに加え「昭和」という時代のドクドク脈打つ生々しさが多分に影響しているような気がしてならない。なにしろ平穏で幸せで何の問題もない再婚家庭などおよそありえなかった時代である。今なら「新しいパートナー」みたいなさらっとした言い回しがあるが、その頃は「内縁の夫」か「母親が連れ込んだ男」か、妙にどぎつくやらしい言葉しかなかったので、そういう家の子どもは、周囲の目に応えるかのように、自然に問題があるような振る舞いにならざるえなかったわけである。なぜなら、わたしのまわりで、わたしと同じようなワケありな家庭環境にある同級生は大抵グレるかヤンキーになるか、見るからに「問題だらけ」の道に走るのがお決まりだった。あるいは女子の場合「わたしは母親のようにはならない」みたいな反面教師の逆行から、やけに結婚願望が強いヤンキーが多く、中学を卒業後、近所の銭湯でばったり出くわすとお腹が大きくてビックリ!みたいなことも1度や2度ではなかったりする。何にしても、多感な十代の子どもが新しい父親や母親を受け入れ、適応する「やり方」にはその子どもの個性というものが如実に表れるものである。
わたしはとくにグレることはなかったが、それは、バイクで暴走したり夜な夜な集まって外でたむろするような夜行性のヤンキー活動やヤンキッシュな服装にまったく魅力を感じなかっただけのことで、それでも家の中では「自分のポジション」を誇示するために必死に立ち回っていたように思う。
新しいメンバーに対する防御策として、そいつの前で平気で全裸になって風呂に入る、風呂から上がればまた素っ裸でテレビの前にでんと座るなど、年頃の娘としては信じられない行動を常としていたところがある。それは、今までの母親と弟3人の安全な暮らしに侵入してきた男の他人に対する自己防衛であり、何があっても変わらない自分を保持するためにどうすればいいかと12歳の頭で考えたリスクヘッジ策でもあった。そうした無防備な振る舞いを自ら行うことで、再婚家庭の娘に起こりうる性的危険を回避しようと必死に考えた上の「振り絞った無邪気さ」なのである。
だから、被災地の子どもたちが震災にめげず元気に遊び回っているのは、単純に遊びたいからだけではない。きっと、子どもは子どもなりに「自分を失わない」ために懸命に、必死に、自分を守っているのだと思う。被災地の避難所で子ども新聞づくりをする小学6年生の女の子の「自分たちが元気に笑っていると大人たちが喜んでくれるから、もっと元気に頑張ろうと思う」という言葉を聞くと、今も昔も、子どもの野性に変わりはないと頼もしく感じられる。
彼女の息子である中学生の彼も、新しいパートナーの存在や生活の変化に複雑な感情はないわけはなく、あえて言わないまでも、それなりに色々な思いがうごめいているに違いない。ただ、自分を振り返って思うのは、自分が好きで望んだわけでも、覚悟して決めたことでもない状況に適応すべく、それでも自分を変えないためにあれこれ気を回したり、極端に思い詰める経験を子ども時分に味わっておくと、大人になってから世の不条理や人間のしがらみに対する耐性ができる。親の運命に引きずられる経験というのは、これ以上のものはないのではないか。いいか悪いかは別として。
何しろ子どもは、いいも悪いもすべてを吸収して成長する。いいことだけ与えたからといって立派に育つとは限らないし、親の与えたものだけがその子の養分になるわけでもない。親の知らないところで、親が考えもしないことを吸収して、突然変異的な成長を見せたりするから、子どもというのは得体の知れない未知なる生命体であり、楽しみだけど侮れない未来なのである。
たぶん平成の今も、親の離婚や再婚によって言葉にならない傷や寂しさや葛藤を抱えている子どももたくさんいる。けれども冷酷なようだが、子どもはある年齢に達するまではどうしたって親の性格、親の生き方、親の運命に引きずられるしかない。そして、多分に引きずり回されたからといってその傷や痛みが必ずしもその子の人生や人格を損なうことになるとは限らない。それもまた、ひとえに、親による、子どもによる、そこで出会う人によるものではないか。
いくら時代が変わろうとも人間の感情は変わらないし、変わりようがない。ただ、それを血がしたたる剥き身で「食え」と出すのが昭和なら、生臭い血ワタは落としてさっと炙るか、焼くか、煮るか、料理して出す方がいいよねとなるのが平成の洗練なのかもしれない。離婚、再婚、情夫、内縁、連れ子みたいな昭和のドロドロ感は、どう考えても「ない」に越したことはない。わたしが、それこそ松本清張の小説世界にあるような、戦争、貧しさ、差別という過酷で陰惨な宿命の鎖に繋がれた骨肉の愛憎地獄、先祖の因果に血塗られた怨念の系譜、抗えば抗うほど抜けられなくなる親子、夫婦、家族の呪縛渦巻く「昭和の物語」にたとえようもなく惹きつけられるのは、もしかしたら、あの魔物のような時代は過ぎ去った安心感を確かめたいからなのかもしれない。
3件のコメント
好きな文章です。
筆者のもっている根本のやさしさを感じます。
また良い声聞かせてね。
自分が、ガキの頃は ボケーっとして、
なーんにも 気にしてなかったな…
…今でも、他人には 興味がなく、いちいち
研究したりしない…
イヤな方向に考えて、ネガティブにならないのは
いいんだけど、たまに、孤独で淋しくなる…
冷静に振り返れば、それだけ、平和な日々だったのかも
しれない。
確かに、育つ環境によって、大きく左右されますわ。
家の子供らも、この貧乏生活にも、バッチリ対応出来てるし!
昨日も、風呂桶の底が、ヒビ入って 溜めたお湯が
どんどん減って、「おお騒ぎ」の「おおはしゃぎ」
最近、家では 「貧乏な生活」 と言うフレーズをやめて
「レトロな暮らし」
と、平成っぽく よんでいます(⌒-⌒; )
時間がある時にまとめて読ませて頂いています。
セクシュアルマイノリティの世界も昭和と平成ではだいぶ変わりました。
昔は都会の大きい書店まで行って薔薇族の文通欄をチラチラ立ち読みしては戻し、見ては戻し…悩んで結局買えず、ひとりジメジメしてました。
今はネットで簡単に同類をライトな感覚で見つけられる。いい時代になったと思うけれど、あのジメジメウツウツしたショーもない感情を思春期に持てたのは今となれば良かったと思っています。
またキレのいい文章を楽しみにしています。
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