salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

そらのうみをみていたら。

2013-10-5
魅惑の果実

2年前、世田谷の上野毛に住んでいた。東京に出てきて10回目の引っ越し先。最初に選んだのは井の頭公園。テレビドラマ『愛しているといってくれ』の舞台で、小さな井の頭公園の駅で豊川悦司と常磐貴子がホーム越しに鍵を投げ合うシーンに憧れた。それからお隣の吉祥寺に自由が丘、横浜元町……と田舎者のミーハー丸出しな街を選んでいた私だが、この引っ越しは、たまたま条件から巡り会った土地だ。
等々力渓谷の有名な等々力と、飛ぶ鳥を落とす勢いの二子玉川の間にある、地味な印象の駅。実際、駅前に特筆すべきスポットはあまりない。

ひとりでぶらぶらと散歩するのは大の苦手だが(だから、わざわざ出かけなくても通勤するだけで楽しい街を選んできた)、愛犬がいると歩きやすい道や緑のある道、美味しそうな匂いのする道を散策できる。
上野毛で最初に発見したのは、夫婦ふたりで営んでいる小さな老舗パン屋さんキャッスル。入ってみると、焼きそばパンやコロッケパン、カレーパン、きなこドーナツ…といった懐かしさ溢れるラインナップが並んでいた。
昼ご飯用に「焼きそばパン」か「コロッケパン」を悩んでいると、狭い店内にガヤガヤと3人の女子が入ってきた。くるっと一通り出ているパンをチェックした後、彼女たちのひとりが店主に質問した。
「シナモンロールはないんですか?」
すると
「ありますよ。さっき焼き上がったところですよ」と店主。
女子たちは「よかった〜!」とこぞってシナモンロールを購入して行った。
そのパン屋は駅からは歩いて15分ほどかかる場所にある。地元の人たちに愛されているのは十分伝わってくるが、わざわざガイドブックを片手に買いにくるところだとは思っても見なかった。
「私もください!」と焼きたてふわふわのシナモンロールを手に家に戻った。
あとから近所の美容院で知ったことだが、ここのシナモンロールは有名で、ミスチルの桜井さんや高倉健さんも好きで買いにきているという。
その後再訪したときに確かめると、棚の上のパンの奥に、サイン入りのミスチルのCDジャケットなどが置かれてあった。
そのシナモンロールはほぼ毎日売り切れになるようで、たまたま初めて訪れたときは焼き上がりの時間に行ったビギナーズラックだった。その後は、焼き上がり時間にうまく合わせることができず、なかなか買うことができなかった。
でも、犬を連れていることもあって、何回か行くと覚えてもらい、「わんちゃん、かわいいね。知り合いにも同じ犬種飼ってる人がいるんだよ」と声をかけてもらうようになった。
しかも!! 朝早めに行くと、前の日の残りを「わんちゃんにあげて」とおまけしてくれる。残り物だからといって商品価値がないわけではないのに、「わんちゃんに」だなんて謙虚な言い方は日本人の美徳だなあとほっこりする。
なんと温かい街。偶然出会った街なのに、なんだか誇らしくなる。

調子に乗った私は、ある日の夜、パン屋さんのすぐ隣にあるpubに入った。
ひとりで店に入ることは、それほど苦手ではない。ライターのような仕事をしていると、ひとりでご飯を食べる機会が多すぎて、苦手といっていてはご飯が食べられないことになるからだ。でもそれは仕方なく、という意味合いのほうが強い。だから近所で食べるくらいなら、すぐに寝転がれる家のほうがいいし、好んで女ひとり、飲み屋に行くことを楽しめる器量はもっていない。

なのに、入ってしまった。
足繁くパン屋に通っているうちに、隣のこの店の前に貼ってあるおすすめ料理「明太子豆腐グラタン」(たしか、、そんな感じの料理だったような)が気になったということもある。
けれど、店の扉の雰囲気は、気軽に入れるカフェとは一線を画したpub。

入ると、比較的思っていた通りの80年代の匂いのする内装で薄暗い。
マスターは、「いらっしゃいませ」といってくれたものの、先客の常連さんがこちらをみて「なんだ、知らない人か」という空気が伝わってきて、すぐに帰りたくなった。
でも今日の夕飯はここで食べると決めたのだ。

少し寂れた街にときどきある、喫茶店なのに創作ごはんメニューが豊富な感じのpub版で、メニューにはB級グルメがうなりそうな品が並んでいた。
とりあえずのビールと気になっていた明太子豆腐グラタンを頼んだ。

マスターはビールをサーブしてくれると、常連さんとの会話に戻った(グラタンの準備はしてくれていると思う)。こちらはひとり。どうしてもそちらの会話が耳に入ってくる。
聞いていると、どうも常連さんはこの近くで店をもっている人のようだ。
少し前にデパートの催事に出店して好評だった、というような話題をしている。
なにを扱っているのだろう?
もう少し聞いていると、その商売は季節もので、常連さんが働いているのは年の半分。残り半分は旅をして回っているそうだ。
それほど若い感じではない。恐らく40代くらい。それなのに、毎年長い旅に出られるなんて、なんだか理想的な生活だなあ。しかも半年で残りの半年遊んで暮らせるなんて、どんだけ儲かる商売や、と心の中で勝手に会話に参加していると「確かに半年は休みだけど、この半年は休みもないし1日中働いていますからね」とまるで私の声が聞こえたかのように、返事をしてくれる。

「そうだよね。毎週のようにデパートに行ってるもんね。○○さんのところの栗はほんとに美味しいからね〜」

マスター!さすがわかってる!扱っているのは「栗」だったのか〜。
しかも「和栗」で、トウモロコシのように少しずつ扱う産地が変わって行くのだそうだ。
どんどんつじつまがあってきた。だから半年なんだ。

その頃注文していたグラタンがやってきた。常連さんの正体もわかったことだし、さっさと食べて帰ってその栗がデパートに行かなくても買えるのかどうか検索したいが、グラタンは食べるのにも時間がかかる。猫舌だし。
こんなとき、エセでなく(大学4年間住んでいたので関西弁は使える)、ほんまもんの関西人だったら
「栗を売ってはるんですか〜? 栗、大好きなんです。うちの田舎も栗の産地が近いです」
「へえ、どこですか?」
「愛媛です。中山というところが栗の産地で」
「おお!そこの栗、うちでも扱わせてもらってますよ」
とかなんとか、話が弾んだだろうに…。

ふうふう一生懸命食べていると、別のお客さんが入ってきた。
今度こそ、常連さんの待ち人だったようだ。客も増えて、話は定食屋のように置かれたテレビから映し出されている野球のことに変わって行った。どうもみんな、巨人が好きらしい。

さて。栗はいくらぐらいするんだろう。
ときどき駅前で見かける、京都のやきぐりみたいな感じなんだろうか。
食べたい。

栗のことで頭がいっぱいになっていると、栗屋さんは明日も早いからと帰っていった。正確な時間を忘れてしまったが、豆腐やさんと同じような時間から支度をするという話だった。

私もグラタンを食べ終えた。栗に心を奪われて、グラタンの話をしていないが、明太子と豆腐とチーズというおいしい味の組み合わせは想像していたが、そこにオリジナルと思われるまろやかトマトソースのようなものが間を取り持っていて、クセになるB級具合だった。

「ごちそうさまです」
と会計をお願いすると、マスターが
「さっきの人、栗屋さんなんですよ。この通りの先にあります。おいしいので食べてみるといいですよ」
と、またしても私の心を読んだようにアドバイスしてくれた。

翌日、開店時間に買いにいった。
昨日パブで見かけたね、なんて言われたら恥ずかしいなと思ったが、常連さんは奥で作っているようで、常連さんのお父さんらしき人が会計をしてくれた。

今年少し遅めの夏休みで実家に帰ると、早い栗をもらったと、うちでは定番の甘辛煮が炊かれてあった。
食べ過ぎたら夕飯食べられなくなる〜と葛藤しながら、家にいる間中、その栗をつまんでいた。

普段は存在さえ忘れているのに、目の前に出されると、こんなに好きだったのかと思うほど、心は踊り、口はもっともっと!と栗を求める。

実家から戻って1週間ほどすると、母から「またもらったから」と栗が送られてきた。

大喜びして、定番の甘辛煮を作った。
また思う存分、栗が食べられる!と思ったのに、なぜかそれほど箸が進まない。

飽きさせないほど、魅了するということは、それほど簡単なことではない。

ちなみに、上野毛の栗屋さんはこちらです。
くりはち

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1件のコメント

うちの近くには、休耕地なのに、何か作ってる風に見せかけるために、柿や梅やその他を植えて実を成らせ、収穫もせずに腐らせている畑がたくさんあります。あれはきっと、税金逃れのためなのでしょう。その類で栗林も近くには多く、今はたくさんのトゲをつけた栗の実が、道路際に落ちていたりします。それを一つ失敬して仕事机に飾ろうとしたら、つまみ上げるとき、思いっきり指先を刺されました。ウニはコンブを食べて育ち、おいしいから、あんなにトゲが生えているのです。栗もことさらにトゲがあるから、おいしくないはずがありません。あんまりおいしいから慌てて食べて、栗のイガをのどに詰まらせ、ひどい目にあったこともあります。茹でた栗を食べ、忍び込んだ虫もいっしょに食べることが、よくあります。栗を食べている虫は、やはり栗の味がします。小布施の北斎を見た後食べた栗落雁は美味しかった。香ばしい焼き甘栗は、食べ始めると止まりません。なるほど栗は、ソールフルフード。筆者のおかげで、今すぐに、栗が食べたくなりました。

by こうたくんの友達 - 2013/10/05 3:35 PM

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魚見幸代
魚見幸代

うおみ・ゆきよ/編集者。愛媛県出身。神奈川県在住。大阪府立大学卒業後、実家の料理屋『季節料理 魚吉』を手伝い、その後渡豪し、ダイビングインストラクターに。帰国後、バイトを経て編集プロダクションへ。1999年独立し有限会社スカイブルー設立。数年前よりハワイ文化に興味をもち、ロミロミやフラを学ぶ。『漁師の食卓』(ポプラ社)

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