2013-04-17
わかめとひじきと髪の毛
生まれたときから今まで、私には信じて続けていることがある。
「体(思考)は食べたものでできている」
ほかにも、いろいろあるけれど、信念や考えはあっさり時代や流行とともに変わるもので、たとえば、「騙すよりは騙された方がいい」という母の教えを素直に信仰していたが、今は「騙されないように注意して生きる」ほうを選ぶ。もともと「騙す」には頭の回転がとびきりよろしくないとできないことだから、波ひとつない瀬戸内の海をみてぼーっと育った頭には、難しいことと思われる。
本当は「騙すよりは騙された方がいい」ほうが、なんだか聞こえがいいような気もするけど、やはり「騙される」のは大変だ。
まるで騙された経験があるような口ぶりで、期待をさせてしまったら申し訳ない。たとえ騙された経験があっても、公にするのはきっと勇気がいることだろう。
もうひとつ、例を挙げるならば
「愛があればだいじょうぶ」
夢見がちな少女のころは、愛があれば、不良少年だって立ち直るし(→金八先生の影響)、宇宙人とだって仲良くなれる(→E.T.の影響)と思っていた。
いや、正しくは今も「思っている」。
けれど、自分にそれができるかどうかは別問題だということに、気がついた。不良少年(という存在がもう、いないかな?)と向き合うような場面をさけてしまうだろうし、宇宙人が目の前に現れたら、きっと、逃げる。
言葉を信じるには、実践できる、もしくは実践しようと試みる資格が必要なのだと思う。
というわけで、前置きが長くなったが私が自信を持って、信じているといえるのが
「体(思考)は食べたものでできている」
小さい頃(たぶん小学生に入る前頃)、私の髪の毛は赤毛だった。
母親の髪の毛は黒々と多かったので、薄くていまは確認するのも難しい父親に似たのだろう。
「黒髪は女の命」と思った母親は、このままではまずいと、私にひたすらわかめとひじきを食べさせた。努力の甲斐あって、私の髪は黒くなり、母も満足げだった。
今年も春に採れたわかめとひじきが届いた。
最近、白いものが目立って困っているので、昔のように毎日食べ続けてみようか。
ともあれ、このわかめとひじきを食べると、まるで瀬戸内の波のない海をぼーっと見ているように、私の心は穏やかになる。
左がわかめ、右がひじき。
思わぬ落とし穴! 父は毎日のように食べているが、髪の毛はもう…><
現在の様子はこちら。
1件のコメント
「体は食べたものでできている」とは信じていましたが、なるほど、体を元に思考は生まれるのだから、瀬戸内のわかめとひじきを成分とする思考や感受性もあるわけですね。そうして考えると、人をだます人は何をたべ、だまされる人は何をたべなかったのか。あるいはその逆なのか。興味深い視点ですね。
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