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ソウルふるフード

2012-08-7
写真家Ontoshiki

彼はチャイニーズ系オーストラリア人。
6年前の2006年に日本へやって来た。そして今年8月、次のステージを目指してフランスへ旅立つ。

フォトグラファーネーム、Ontoshiki

今回、彼の話を聞いてみたかったのには、2つ理由がある。
ひとつは、なぜ日本で写真活動をしているのか? もうひとつは、その作品に笑顔がほとんどないこと。


「black rain」


「i left my heart in venice」maya murofushi , makeup/hair/styling: victoria deleske.

スナップ写真を撮ってもらったとき、彼は「Don’t smile.」と言った。
私は「笑わない」のが苦手だ。
編集の仕事をしていると撮影時に「笑うのが苦手」という場面によく出合うが、私は逆に「笑わない」ほうが難しい。
だいたい、シリアスな私の顔なんて、だれがみたって面白くもなんともない。
だから、彼に「Don’t smile.」と言われてとても困った。
困ったときも、凡人は笑ってしまうものである。

Ontoshikiさんはマレーシアに生まれ、9歳で家族とともにオーストラリア・ブリスベンに移り住んだ。学校卒業後はオーストラリアの大学で働き、その後は政府の金融システム関連の仕事に就き、安定した生活を送っていた。

でもなにか物足りない…。

その頃、オーストラリアに移住してきている日本人と出会う機会があった。彼らは育った環境も言葉も違う土地で毎日楽しそうに暮らしている。彼らとの交流の中で、日本の文化に興味を持つようになり、なぜオーストラリアに来たのかと尋ねてみた。

答えは「人生を変えたかったから」。

それがとても羨ましかった、とOntoshikiさんはいう。

「自分の夢はなにか? この人生でなにをすべきか。自分のsoulを見つけたい。でも、まるでソファでテレビを観ているような心地のいい生活のままでは、変化をすることができないと思ったんです。東京でなにをみつけることができるかわからなかったけど、踏み出すなら今しかない、と思って26歳のときに東京に出てきました」

成田に降り立ったとき、空気が違っていた。
最初に向かったのは浅草。
駅が複雑で、大きな荷物を持ったまま、いきなり迷ってしまった。けれど、そこには違う世界があった。
新しい国。新しい言葉。新しい街。新しい文化。新しい人々。
目に映るものすべてが、刺激的で素晴らしかった。

記憶を、記録したい。
だから、写真を撮ろうと思った。

「そのときはコンパクトカメラしか持ってなかったんです。でも自分がどんな風に感じているかをもっと表現したいと思い、お金を貯めて一眼レフを買いました」

その後、独学で写真を学び、毎日の生活風景や花、人々などを撮り続けた。そして作品を自身のウェブサイト「Ontoshiki Photography」で発表するようになる。
facebookページはこちら。

私は作品を見るより先にご本人と会っていたので、彼の作品を興味深く見たが、ウェブサイトで作品を先に見た人は、後に彼に会うと驚くという。
「僕があまりに普通なんで、初めて会うとみんな、びっくりしますね。作品から想像すると、もっと刺激的なタイプだと思うみたい」

普段は接点のない、まるで小説や映画に出てくるような世界が、彼の作品の中には映し出されている。確かに、そのインパクトは強い。


「The Dahlia Hotel with Zakuro」


「The Dahlia Hotel」


「last call for kabukicho」

でも冒頭にも書いたが、私が一番気になったのは、作品に笑顔がないこと。
率直に尋ねてみた。

「僕は人の憂鬱な表情にミステリーを感じるんです。人々は悲しみや苦痛を抱えていても、普段は表情に出しません。でも、それを感じられる瞬間に、美しさがあると思うんです。僕にとって、それは“幽玄”なんです」

そして彼は私に、「あなたは幽玄をどう理解しているか?」聞いた。

私は答えられなかったが、彼は「きっと知っているはず」と言った。

「不完全なもの、それが日本の美だと思います」とも。

Ontoshikiさんは昨年の東日本大震災の後、東北を訪れている。
「なぜだかはわからないけれど、導かれるように、東北に向かいました。多くの人が、改めて人生を考えたように、僕も考えた。そして東北でなにかをする必要があると思った」

そのとき、ある印象的な場面に出合ったという。
「宮城県の荒浜に行くと、一本のラインがありました。片側はビルも何もかもが壊れて、戦争の後のようだった。一方、反対側には穏やかな風景がそのままある。そのラインのところで、5、6人の僧侶が祈りを捧げていました」

そのときの経験により、Ontoshikiさんは写真がもつ、もうひとつの意味を見つけたという。
「人々が災害にあっているとき、撮影をすることはつらく悲しいことです。でも、そこには現実がある。それを伝える力がある」


「girl in fukushima」

この8月、Ontoshikiさんは本格的に写真の勉強をするため、フランスへ旅立った。
人生3度目のターニングポイント。
「ふたたび、新しい言語、文化、人々と出合えると思うとワクワクしています。見たことがないものを見たり、経験することは本当に面白い。旅をしたり、違う国で暮らすことで、自分自身を見つけることができる。日本に来て、私はそれを学んだんです」

自分が望む未来は、ただ待っているだけではやって来ない。今、自分で幸せだと思う道を選ぶことで、未来をつくることができる。

よく耳にする言葉、ではある。
あとは「やる」か「やらない」か。

「日本にきて、自分はなにがしたいかわからなくて、ずっと考えていました。そして、自分の中にある宇宙の深さを感じたんです」

多くの成功者が言うように、失敗を恐れずに、あきらめずに少しのことでも続けていくことに価値があると、今、思うようになった。

新しいスタートに、不安はないというOntoshikiさんに聞いた、最後の質問。

恐れているものはないのですか?

「…人との関係が近くなるのが怖い。家族でさえ、そうなんです。なぜかは自分でもわからない。けれど、人を傷つけたくないんだと思う。自分自身の心も。フレンドリーな距離をキープしていたい」

だから、写真を撮るのだという。

「写真は、僕にとって人との関係を近づけるものなんだと思う。お互いに理解し合えるし、刺激をし合えるものであると思うから」


「these days」

Ontoshikiさんが笑顔の写真を撮るときが来たら、また話を聞いてみたい。

『人々心々—にんにんこころこころーの花なり。いずれを真とせんや。ただ、時に用ゆるをもて、花と知るべし』By 世阿弥

(人はそれぞれ面白い、美しいと思うものが違うのでこれが正解と言うものはない。その時に受け入れられるものが正解である。)

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Yukiyo Uomi
Yukiyo Uomi

魚見幸代/編集者。愛媛県出身。東京在住。大阪府立大学卒業後、実家の料理屋『季節料理 魚吉』を手伝い、その後渡豪し、ダイビングインストラクターに。帰国後、バイトを経て編集プロダクションへ。1999年独立し有限会社スカイブルー設立。数年前よりハワイ文化に興味をもち、ロミロミやフラを学ぶ。『漁師の食卓』(ポプラ社)

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