salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

そらのうみをみていたら。

2010-12-8
好きが執着に変わるとき

「健康のために酒とタバコをやめるぐらいなら死んだほうがいい」と豪語していた父が、先日、タバコをやめたそうだ。

どうしてやめようと思ったのか気になって父にたずねてみた。

すると、「なんとなくよ。最近は吸いよる人もおらんなったし、高くもなったしな」という。

…けっこう、あっさりしたもんだ。

頑固で意地っ張りな父は、突然、なにごともなかったように変化してしまうことがある。

「執着」「意地」「こだわり」…どのあたりが境目なのだろう。

感じとしては

よくないこと 「執着」>「意地」>「こだわり」 いいこと

という印象を受ける。

父の例でいうと、

「自分の人生、好きなものを食べて飲んで(吸って)、好きなように生きたい」とタバコや酒を嗜んでいた。それが近年、高血圧気味になって医者からタバコは控えたほうがいいと言われたが、「先生、そんなんで好きな生き方をやめたくないんよ」と言っていた。今回の値上げのときだって、「絶対やめない」と、値上げ直前には3万円分もの買いだめをしていたそうだ。

父は毎日、血圧を抑える薬を飲んでいる。最初はもちろん、血圧のためにタバコをやめるなんてつまらない、と思っただろう。高血圧はタバコだけが理由ではないし、やめたところで改善するとも限らない。だけど、毎日、薬を飲み続けるうちに、どこかで「きっとやめたほうがいいな」と思い始めたのだろうと思う。

そうは思いながらもやめられない。「好きなこと」が「執着」に変わるとき。

「好きなように生きる」こだわりのひとつがタバコだっただけなのに、「やめたほうがいい」と思いながらタバコを吸うことは、もう「好きなように生きる」ことではなくなっているのではないだろうか。

でも「好きなように生きる」という代名詞だったタバコをやめてしまうことは、自分の大切にしてきたことを自ら否定してやめてしまうような気がしてしまう。

だから、簡単にやめてしまうのが嫌だったのかもしれない…

なんて、タバコの話が大袈裟になってしまったけれど。

「執着」というのは、ネガティブなイメージで、「よくないとわかっているけど、やめられない」という言葉がついてくる。

でも「執着」しているときというのは、本当のところは「よくない」とは思ってなくて、最初に「好きだった」「大事にしていた」ことを簡単に捨てたくない、手放したくないという思いがあるのではないかな。

執着をしないためには、「好き」「大事」だと思ったそのときと、現状の自分や環境の変化を見直してみるといいかもしれない。「好き」が同じように満たされるものなのかを確かめてみると、意外と簡単に「違う」と自分に納得がいく気がする。父がタバコをあっさりとやめたように。

まあ、タバコはやめてもよかったと思うけれど、「健康のために酒をやめるぐらいなら死んだほうがいい」と死ぬまで意地をはれる体でいてもらいたいな。

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魚見幸代
魚見幸代

うおみ・ゆきよ/編集者。愛媛県出身。神奈川県在住。大阪府立大学卒業後、実家の料理屋『季節料理 魚吉』を手伝い、その後渡豪し、ダイビングインストラクターに。帰国後、バイトを経て編集プロダクションへ。1999年独立し有限会社スカイブルー設立。数年前よりハワイ文化に興味をもち、ロミロミやフラを学ぶ。『漁師の食卓』(ポプラ社)

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