2012-09-8
老詩人と太宰治と紫陽花
玉川上水の太宰のそばに咲く紫陽花 2012-6-20撮影
六月のことである。自転車に乗って、三鷹の老詩人の家に、ヘチマの苗を届けに行った。三年前、根岸の子規庵で六粒タネを買い増やしたヘチマだ。今年は実生の苗が三百も育ってしまい、捨てる勇気がわかず困り果て、あちこちの知り合いに引き取ってもらうことにしたのだった。
根岸の子規庵とは、台東区根岸の正岡子規の家。現在も保存、公開されている。動けなくなった子規が病床から庭の景色が楽しめるよう、いろいろな植物を植えた。その中にヘチマもあり、私が手に入れたヘチマは、その頃のヘチマの直系のタネということである。つまり、子規が見たヘチマであり、その親友の夏目漱石も見たかもしれないヘチマだ。
私は子規についてはあまり知らず、ファンとはいい難い。同じヘチマでも、サカタのタネのものより、由緒があって興趣も湧くだろうと思った程度の動機だった。
ヘチマをやる数年前には、近くのホームセンターでメダカを六匹買い、少し増やしてメダカの学校の先生になろうと目論んだところ、うっかり数百匹に増やしてしまった。分校開設のつもりが、予期せぬマンモス校になり、エサやりやらゴミとりやら水槽の掃除やらで、一日の大半が費やされる深刻な事態となった。おまけに、水槽の水の自然浄化に役立つだろうと、近所の小川から採取してきたタニシ数匹、そして、やはりホームセンターで求めたホテイアオイ数株が、思わぬ爆発的な繁殖力により増殖し続け、手が付けられなくなり、家人にだからいわんこっちゃないと痛罵されるという、大変苦い経験があった。
ヘチマを届けた老詩人の家では、今年は緑のカーテンを何で作ろうかと思案していた矢先だったと歓迎され、おいしい高級茶のもてなしを受けた。私はよい気持ちになり、例によってつい調子に乗った。こんなふうだった。
「柿木の横あたりに、ネットを張って、いただいたヘチマをはせせたらどうかしら、ヒロシさん」
老詩人の妻は翻訳家であり、また詩作も行う才子で、育ちのよさがすぐに想像できる美しい声音と言葉づかいの持ち主である。
「そうだね」
老詩人が、静かに穏やかに答える。
悠揚迫らざる時間に包まれた、気品あるひと時である。
私も仲間に加わりたくなった。
「うちにも、狭い庭に柿があって、もう五十年近くたちます」
「そう、柿は甘いでしょう。この柿は、甘いんですよ」
夫人はにこやかに応じてくださる。いい感じだ。下衆な自分も以前から、この知的で穏やかな空間の一員であったかのような錯覚に陥る。
そんな心地よさにひたるうちに気が緩んで、私はいつもの嫌な癖が発作的に出てきた。鏡のごとく静まる水面には小石を投げ込みたくなる。または、新雪におしっこの心境である。
「まあまあ、うちの柿も甘いんですけど、もっと甘いのは、盗んだ柿ですね」
夫人の明るい表情が瞬時に曇った。しまったと思いながらも、私は衝動を、もはや抑え切れなくなっていた。
「盗んだ柿の中でも、もっとも甘いのは、僕の住む団地の隣にある修道院の柿です。この柿がまたおいしい。背徳の味っていうものでしょうか……」
私が私から離れて暴走する。夫人のあからさまな怪訝な表情も、「まあ、そんなことしちゃいけないわ」という誠実な戒告も、私をさえぎる力として役立たなかった。
詩人はまるで部外者であるかのように、私に賛成も反対もせず、うつむき加減にニヤニヤしているだけだった。
二杯目のお茶は、とうとう注がれることはなかった。
帰途、またもや軽口を叩いて人を不快にさせてしまったことを後悔し、自転車のペダルを踏み込む度に自分を責めた。
私はなぜ夫人の清潔な公徳心のキャンバスを、汚そうとしてしまったのだろう。その原因を捜索した。
唯一思い当たるのは、夫人に怪訝な顔をされ、戒告を受けたときの、小さな快感。私の非礼は、叱られたいという潜在する欲望によって、発揮されるのかもしれないと思った。母は女は、いつも私を叱り、人間の輪郭を知らしめる…、嗚呼。
そんなことを考えながら、フラフラと自転車を漕いでいたら、老詩人の家からほど近い玉川上水に出た。
江戸に飲料水を送るために人工的に掘られた、幅二メートル余りの小川が玉川上水で、今はでっかいコイがたくさん棲みつき、川岸の左右は、ケヤキ、カシ、ナラ、アオギリなどの雑木ですっかりおおわれている。沿道は車の往来も少なく、季節の草木の表情が楽しめるので、私に好都合な自転車散歩コースになっている。
この川の現在の主は、開削の指揮をとった玉川兄弟ではない。太宰治だ。昭和二十三年六月十三日に、三鷹駅とむらさき橋の中間あたりで、愛人とともに入水し、この川の主となった。
そういえば太宰も、親族、知人、友人、先輩、女性に、よく叱られていたようだ。薬物中毒、そして度重なる自殺未遂。その他醜聞数々。私に比べて迷惑の規模が破格に大きいから、叱られ方もさぞかしきつく、落ち込み方も相当だったに違いない。
そしてその作品群は、陰陰滅滅というのが、もっぱらの評判だ。私の知る東京育ちの気風のいい料理屋の女将は、なかなかの読書家である。その女将に太宰評を聞くと、「あんな女々しい暗い話、気が滅入っちゃうよ。嫌いだね」。愛人を作り、薬物を乱用し、心中に失敗して生き残ったり、文学賞の受賞を選考委員に女々しく懇願したりなどといった、恥ずべき破廉恥、不道徳な経歴は、太宰の人間性のみならず、作品さえもおおい尽くすイメージとなってしまったようだ。
しかし、それにしては、人気がありすぎはしないだろうか。蓼食う虫も好き好き、という解釈では到底説明できない、絶大な人気をいまだに誇っている。そして今後も未来永劫、変わらぬ人気を保ち続けると、私は物書きのはしくれ生命をかけ、自信を持って予言する。
なぜなら私は太宰の作品が、色鮮やかな希望の文学だと思うからだ。確かに太宰はいつも叱られ泣いていたかもしれない。扱うテーマは哀しいかもしれない。けれど、私には彼の作品が、少しも暗くない、湿っぽくない、女々しくない、堅苦しくもないのである。彼の心根は実に明るい。彼の作品は、さわやかで軽快、しなやかでユーモアに満ち溢れ、雄々しく立ち、弱い者の心を誰よりもていねいにいたわっていると、私は強く感じる。私は頭がおかしいのだろうか。世間の頭がおかしいのか。どっちかである。
太宰を知るためには、太宰を読めばいい。そうして黙っていればいい。言葉でできた十本の指で、太宰をすくい上げようとすれば、太宰はなんなくその指の隙間から、するすると逃げていってしまうのである。
私は用あって太宰についての評論や研究書をいくつも読んだが、太宰を私にとってうれしく伝え、太宰の「列車」より面白いものは、一つとしてなかった。
太宰のたった三千字余りの小品「列車」は、読むのに十分もいらない。十分もかけずに、正しく太宰にたどり着くことができる。
あるいは未完の遺作「グッド・バイ」がいい。落語より愉快だ。太宰を、「人間失格」「斜陽」「晩年」から始めると、誤解する。代表作は、「親友交歓」、「令嬢アユ」、「女生徒」…、そんな気もするがいかがだろう。このへんから始めるのがいいと思う。
私が推す作品はいずれもすぐに読める短編で、この場所でご紹介したいほどだが、ここでは、私が何十年も前に触れ、今も大好きな一文を示すことにする。
「美男子と煙草」という小文だ。この一文により太宰は私に、ひとつのメルヘン、清潔な希望を教えてくれた。
小文とはいえ全文は長いので、最後だけを示す。戦後、路上にたむろする戦争孤児と太宰を写真に収めるといった雑誌の企画で、上野に行ったときの話だ。煙草を吸う孤児は、十歳そこそこの少年たちだった。
上野公園前の広場に出ました。さっきの四名の少年が冬の真昼の陽射(ひざし)を浴びて、それこそ嬉々として遊びたわむれていました。私は自然に、その少年たちの方にふらふら近寄ってしまいました。
「そのまま、そのまま。」
ひとりの記者がカメラを私たちの方に向けて叫び、パチリと写真をうつしました。
「こんどは、笑って!」
その記者が、レンズを覗(のぞ)きながら、またそう叫び、少年のひとりは、私の顔を見て、
「顔を見合せると、つい笑ってしまうものだなあ。」
と言って笑い、私もつられて笑いました。
天使が空を舞い、神の思召(おぼしめし)により、翼が消え失せ、落下傘(らっかさん)のように世界中の処々方々に舞い降りるのです。私は北国の雪の上に舞い降り、君は南国の蜜柑(みかん)畑に舞い降り、そうして、この少年たちは上野公園に舞い降りた、ただそれだけの違いなのだ、これからどんどん生長しても、少年たちよ、容貌(ようぼう)には必ず無関心に、煙草を吸わず、お酒もおまつり以外には飲まず、そうして、内気でちょっとおしゃれな娘さんに気(き)永(なが)に惚(ほ)れなさい。
私はそのまま自転車を走らせ、太宰が入水した場所に行き、そのそばに咲く紫陽花を見つけた。
紫陽花。色鮮やかな小さな花々が集まってこんもりと丸い花房は、メルヘンの花束だ。長雨に泣き濡れて哀切を加え、さらに冴え冴えとした精彩を放つ花群れの美しさは、太宰の作品に重ね合わせることもできる。滴る青、紫、紅、そして純白。太宰の透明な涙に映る色だ。六月に生まれ、六月に逝った太宰は、こんな花束に囲まれて生まれ、この花束に送られて旅立ったのだろうか。
折しも、蝶々がユラユラ飛んで来た。羽を取り戻した天使…。君はダザイか? 梅雨の晴れ間に愉しそう。
紫陽花の向こう、生い茂る草木の間の暗がりの奥に、黒く光る川面が見えた。川面は眼下に遠く、岸よりも三メートル余り低い。太宰の当時の川面は岸から近く、しゃがめば触れることができた。彼岸が近すぎたのか。臆病な太宰は、今のこんな深い谷には飛び込めなかったに違いない。またもや未遂に終わり、いろいろな人に叱られたことだろう。
「あんな下品な後輩は、もう連れてこないくださいね、ヒロシさん」。老詩人もまた、今頃叱られているだろうと想像した。
3件のコメント
太宰治に”おもしろい”というイメージはなかったんですが、たぶん本当におもしろいんでしょうね。10分もかけずに読める「列車」を読むことにします。・・・・・・太宰といえば「人間失格」「斜陽」と思っていた人間より。
☆★☆ 祝い・連載 ☆★☆
こんにちは。
コラム連載開始、おめでとうございます。
“おめでとう”が、適切かどうかは???
お祝の言葉が見つからず、とにかく、おめでとうございます!!
うむむ…。背徳の味から太宰に至るとは。
ヘチマだメダカだと来るから、知り合いの、小さい小さいエビを増やしてブリーダーだと悦に入っている男のことを思い浮かべ、梨木香歩の「f植物園の巣穴」はどんな話だったかなどと考えておりましたが。
たいへん興味深く読ませていただきました。太宰治の明るい未来や、にじむユーモア、ご紹介の短編群も拝見したいと思います。
太宰人気は、しかし、どうしてなんでしょうね。みなさん「斜陽」「人間失格」くらいを紐解くところまでのようなのに。
川端康成でも「掌の小説」を読み返す方が少ないのと似たようなものかしら。
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