2012-02-10
八王子と八千代台
八王子の名前は、古来八王子社があった地域に付けられたことに由来する。八王子とは牛頭天王(ごずてんのう)の子どもの8人の王子の事をさす。牛頭天王は、私たちにも身近なところでまつられており、祇園神とも呼ばれ、祇園信仰の神様なのである。そう、祇園社、京都の東山の麓に位置する八坂神社の別名である。
そんな、昔からの神様が祭られていた八王子社が在った事から名を付けられた地、八王子。祭りの時期には街全体が盛り上がり、街には至る所に神社が点在していおり、歴史は脈々と受け継がれている雰囲気を街全体からどことなく醸し出している。名の由来となった八王子社は、その昔、深沢山と呼ばれた現在の城山の山頂付近にひっそりとたたずんでいる。
一方、八千代台。
八千代台は団地発祥の地である。元々は高津新田と呼ばれていた地域に、八千代台団地を作り、その完成後から地名を八千代台とした。八千代台の位置する八千代市は、団地完成後、順調に人口を増加させ、東京のベッドタウンとして栄えた。歴史としては、成田街道の中腹に位置し、成田山参拝の巡礼者の為の宿場町として栄えたくらいである。1957年に八千代台団地が完成して以来、55年の月日が流れ、今の八千代台には活気が足りなくなってきている様に感じる。働き盛りの人間は皆、都内へ出て行ってしまい、30代で団地に移ってきたであろう住人たちは80を超えている。1950年代に企画された車の普及を考えていない区画整理になっている為、道も狭い。
私は八王子に約2年住み、八千代台に現在住み1年が過ぎようとしている。同じ「八」が頭文字につく地名で、東京都内からの電車での距離も同じくらいの二つに土地。その二つの土地に私が住んだ事はただの偶然ではないような気がしている。
先日、石巻を訪れていた際に、牡鹿半島にいく機会があった。震災後孤立し物資もなかなか行き届かなかった地域、そして夏には台風が直撃し二次災害にあう。この地域を訪れていたときにある人からこんな話を聞いた。震災前から過疎化は進んでいた地域、元に戻ろうとして復興、発展を臨んでもむずかしい。復興するために、震災前の町に戻そうとするのではなく、新しいコミュニティーの再編や、地場産業の発掘をして活気のある町おこしに繋がる復興を支援したい。と。
八王子は都内の大学が校舎を競って作り、学生都市として発展した。いま、学生が減り多くの大学も校舎を都内へ戻しつつある。八千代台は高齢化が進み、駅前のデパートではベンチに座りながら一人弁当を食べる老人の姿を良く目にする。石巻に通う様になり、私自身、価値観が変わり、今まで見えてなかった事もよく見える様になってきた気がする。都市集中型の現在の日本、ヒズミがいろんなところで出てきだしている様に感じる。
八王子も八千代台も転機が訪れてきているのだろう。最近すこしだけ地域の為に出来る事を考える様になった。
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