2012-01-26
視覚より嗅覚
以前ラグビーをするためにニュージーランドに住んでいた。先日から里帰りにニュージーランドへ行っている友人がツイッターを通じていろんな懐かしい写真を見せてくれる。
ビーチ、ニュージーランド特有のスナックのパッケージ、八百屋、スーパーマーケット、空、雲、普段何気なく生活の中に在った物の写真が視覚から記憶に訴えかけてくる。懐かしい気持ちになり、いい想い出をたくさん思い出す。デジタルが世界に普及し、写真も手軽にとり、手軽に共有できる様になった分、視覚から入る情報は格段に増えた。思い出や記憶を視覚的に認識できる形に残せるようなったことで、視覚から記憶に訴えられる機会が増えた。写真を見て本当にあの頃の気持ちまで思い出せる。
私がニュージーランドの地を初めて踏んだのは、2003年2月、私が大学在学中、真夏のニュージーランドだった。飛行機から見下ろす雄大な景色と自然の緑のあふれる大地は、ただただ美しかった。記憶は美化されていると私自身感じるが、写真にはおさめきれない美しさ、二度と感じる事のない高揚感を覚えたのを記憶している。
そして青々とした芝の「におい」。
「におい」にはいろんな「におい」がある。花の匂い、料理の匂い、汗の匂い、いい匂いだったり、臭かったり。私はラグビーをしている事も在り、汗臭い泥の混じったにおいにすごく身近な想いがある。ただ、いい「におい」ではないのでうれしくはないが、あの「におい」を嗅ぐと、学生時代のラグビーの記憶がよみがえってくる。
私にとって、ニュージーランドを初めて訪れたときにすった空気の青々とした「におい」は今でも忘れられない特別な「におい」である。北海道の空気と似ているが、やはりどこか違う。
あの「におい」を嗅ぐと、若い時代の私が夢に胸を高鳴らせながらニュージーランドに行った気持ちを思い出す。そして、今では家に帰ってきたという気分さえ感じる。両親が共に北海道出身という事もあり、私も北海道で生まれた。あの青々とした「におい」に、私の中のDNAのどこかに帰属制がもともと植え付けられているのかもしれないとさえ思う。
視覚に訴える写真、映像はどんどんデジタル化が進んでいるが、本来アナログなのが人間という動物である。「におい」は今のところデジタルにして距離や空間を超えて共有する事は出来ない。そんなにおいという物に私はいつも記憶を刺激されている。いまでも忘れられないあの青々とした芝のにおい。久しぶりに想いっきりニュージーランドの空気を吸いたくなった。
いつの日か「におい」もデジタル化されるかもしれない。ただ、私が生きている今は、アナログな「におい」にぬくもりを感じている。想いっきり「におい」をすい、想い出をたくさん残していきたい。
ニュージーランドのあの「におい」が懐かしい。
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