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カーペディエム~今日の花を摘め~

2011-12-1
トイレの神様

2010年の大ヒットソング、トイレの神様。「トイレ〜に〜は〜、それは〜、それは〜きれいな〜、め〜が〜み様が〜、いる〜ん〜やで〜・・・」というフレーズで良くしられている、植村花菜さんの楽曲。おばあちゃんとの思い出を綴った感動の一曲。

この曲のなかで、植村さん自身が小学生の頃、トイレ掃除が不得意だったとき、おばあちゃんにトイレの女神のお話を聞き、自分もきれいな人間になりたいとトイレ掃除を一生懸命やるようになったという下りがある。誰でもきれいなトイレを使うのは気分のいいことだと思う。それでも私にはどんなにきれいでも、どんなきれいな女神様が居ようとも使うことの出来ないトイレがある。

和式トイレ。

そう、あの男子用の小便器がそのまま横になったような形のトイレである。小さい頃から育った家のトイレはすべて洋式トイレだったこともあるが、大学時代にラグビーで怪我をしてアキレス腱を手術してからというもの、和式トイレで用を足すことが出来なくなった。

私には和式トイレが未だに至る所に存在していることが信じがたい。一つの基準として、田舎に行けば行くほど和式トイレの率が上がってくる。特に公衆便所で和式トイレしかないところは相当の田舎なのだろうと私独自の判断基準になっている。

そんな和式トイレについてスポーツ界では都市伝説的に語り継がれている逸話がある。和式トイレとスクワット(屈伸運動のトレーニング)。昔の人は今の若者と比べて足腰が強かったといわれることがある。それは、和式便所で、一日最低一回はフルスクワットをしているからであるという。それを10年続けると、3650回分のスクワットトレーニングをしたことになる、それが強靭な足腰のベースを作っていたという話である。なんともむちゃくちゃな。

和式トイレとは別に日本独自のトイレの発達がある。

ウォッシュレットである。

これは私にとっては本当に衝撃であった。ウォッシュレットに初めてであったのは10年以上前であるとおもうが、はじめはおそるおそる使っていた。いまでは、ウォッシュレットですっきりして水滴を拭き取るだけの清潔感と爽快感はきれい好きの日本の文化が生んだ一大発明であると感じている。

和式トイレとウォッシュレット。同時に存在し得ない二つの日本独自のトイレ文化がある。本当に窮地に追い込まれない限りは和式トイレで用を足すことのできない私であるが、日本独自の文化物としては価値があるのかなと少し考える。

私にとってのトイレの神様は、今やウォッシュレットであると言っても過言ではないかもしれない。いやはや、人間の欲と発明という物は神の領域にまで達しているのかもしれないと感じるのである。

一年ぶりに名曲「トイレの神様」を聞きながらそんなことを思った。

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西山淳哉(にしやん)
西山淳哉(にしやん)

15人制ラグビーというスポーツの中でもプレー人数もルールも多い競技をプレーしながら、試合後のビールが大好物。寂しがり屋の一人が好き、人見知りの出会い好き、矛盾した天の邪鬼。思考し迷走する企業チーム所属プロラグビー選手。独身。石巻に支援活動を展開中。

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