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そらのうみをみていたら。

2011-06-8
photographerたかはしじゅんいちさん
「内観の刻」—序<後編>

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現在(2011年6月8日〜6月20日)新宿高島屋の美術画廊で写真展「内観の刻—序」を開催中のたかはしじゅんいちさん。

その準備に追われながらも、時間を作り出しては東北へ足を運んでいた。
「新潟から物資を送る支援をしていたはじめのうちは、写真でできることはまだ先だろうなと思ってたんだよね。でも、震災後3週間くらいして初めて宮城に入ったとき、自衛隊が泥だらけのアルバムを建物があった場所の前に思い出の品々と共に並べてあって、被災した人たちがもし生きていたら自分の写真を探しに来れる様にって。岩手に行ったときは、避難所で知り合ったばあちゃんが笑顔で、「私なんか持ってこれたのこれだけだよ」ってアルバムを見せてくれた。ああ、写真ってこんなに大事なんだ。正確には写真じゃなくて思い出なんだけど。思い出があれば、人はがんばれるんだって、現地に行って初めて気がついた。」

そこでたかはしさんは、代表として組織しているエンターテインメントに特化した支援活動「Buckup Center Japan」の一環として、未来のためのアルバムづくり「hope for the future」を開始した。

「ある小学校の入学式を撮らせてもらったんだ。そしたら、その子たちの卒業式を撮りたくなった。瓦礫の山になってしまった町を見た時、ここにビルが建つのを見たくなるのと一緒。新潟から物資を送ったり、炊き出しをしたときに言われたんだけど、次いつ来るかわからないと期待ができない。定期的に出来ませんかって。月一の炊き出しでもその一日が判れば残りの日にちをおにぎり1個で我慢出来るからって。だから、俺らの活動は最初っから定期的にすることを決めた。最低でも3ヶ月に1回、写真を撮ったり一緒に遊んだりする。撮った写真は、その場で渡すのではなくて、3ヶ月後に持って行くの。繋がる事、孤立を防ぐ為に。」

アマゾンのwishリストを活用して、震災に強いフエルアルバムを100冊。そしてサッカーボールや風船、絵本など現地の人たちが実際に欲しいものを聞いて集めての支援も行っている。

「フエルアルバムはいいんだよ、流行ってないけど(笑)。変色しないし、雨にぬれても平気。手書きのメモとか入れて自由にレイアウトするのが楽しいんだよね(笑)」

5月末には、お好み焼きの材料500人分を用意した。
宮城県の女川で自らも被災しながら、子供たちのためにお好み焼きとたこ焼きを焼いてる日本食の料理長を支援するためだ。

「日本食のレストランでマグロをさばいていた方なんだけど、俺はものすごくそのオヤジに感情移入しちゃったんだよね。彼が子供を元気にしてくれると、周りのばあちゃん、じいちゃんが元気になる。だから俺は彼の行動をサポートしたいって。俺の妄想では、今無料で炊き出しをしている彼が、1、2年後に店を作って、今お好み焼きを食べてる人たちがお客になる。そのとき、俺も彼の料理を食べたい。だから、そのときのために彼が震災前に使っていた愛刀、包丁をプレゼントしたんだ。」

たかはしさんが、料理長に感情移入したのは、1991年のNYでの事件も関係している。当時27歳だったたかはしさんは、レストランを経営している友人とアパートをシェアしていた。その頃のたかはしさんは遊び盛りで、お金がなくなるとお酒を飲ませてもらったり、ご飯をごちそうしててもらっていた。いわゆる兄貴のような存在だったという。
そこに、強盗が入って二人とも襲われた。そして、ルームメイトは二度と起き上がることはなく、たかはしさんだけが息を吹き返した。
「俺が死ねばよかったのにってずっと思っていた。10年間忘れられなかった」

サバイバーズギルト。生き残った罪悪感がずっとあったという。

「きっついんだよね。生き残るのって。あんないい人が死んだのにって、その料理長のオヤジも同じ様な事を言うんだよ。俺はNYの事件のとき、半分、あっち側に行ってて、すごく気持ちよかったの。包丁で切られたことすら覚えてなくて、痛みもなくて、暗闇の中がすべてで満たされている。幸せだなあって。そしたら、いきなり首根っこつかまれて、ばーっと外に引き戻された。気がついたら、上で心臓マッサージをしている人と酸素マスクを押し当ててくる人と注射を打ってる人がいた。意識が戻ってからは首は痛い、頭は痛いで…もう絶句でしたよ。10年忘れられなかったけど、でも今は、残った人が思う程、死んだ後は、苦しくないんだって思ってる。そしてみんなあの気持ちの良い所に行っているなら心配ないなって」

今回の震災で、後ろを走って逃げていた人が流されたとか、流れて行くトラックの中の人と目が合ったけど、助けられなかった…とそんな話を当たり前に聞く。自分は精神科医でもなんでもないから、それらに対してなにかできるわけではない。けれど、一緒に遊んだり、話を聞いたり、写真を撮ったりしながら、生き残った人たちと共に歩んでいけたらって思う。

震災直後の支援活動や現場を訪れたことをとおして、久しぶりに生き死にのことを考えた。これらの経験はフォトグラファーとしての活動に、新たな道を見いださせてくれたと言う。

「いい写真を撮ればいいという風にはもう、世の中なっていない。これからはプレゼンテーションや情報コーディネート能力が必要になってくる。そういう意味では写真ビジネスはふりだしに戻っている。新しい表現のしかた、お金の稼ぎ方が必要になる。文脈が変われば、俺たちも変わっていかないといけない。そのことを考えることができた。」

年齢やキャリアとともに重ねた経験値は強みにもなるけれど、一方で自分を不自由にする重りにもなる。高く飛びたかったら、ゆるめないといけない。

「柔軟なおやじじゃないと楽しくやってけない時期にきたなって感じだね(笑)」

アートは豊かさの象徴だというたかはしさん。音楽、絵、写真…。プラスαの感度、感性に働きかけられるものは人に何かを伝えられると思っている。でも、それは救うためにつくっているのではない。自分の中を掘り起こす作業だから、自己探求でもある。だから、アーチストはエゴイスティックだとは思う、と。

私はたかはしさんの作品に触れると、自分の奥のなにかが蠢く。
たいした例でなくて申し訳ないのだけど…、昨年末に同じく新宿高島屋で行われた人形見(ヒトガタミ)展にうかがう前に、ちょっと仕事でうまくいかないことがあった。こんな気分で写真をちゃんと感じられるだろうかと思ったけれど、画廊に足を踏み入れてすぐに感度は上昇、はっきりいって、そのときの出来事など、どうでもよくなった。いや、どうでもよくないのだけど、全然違うところから、そのときの自分や状況を感じることができた。
閉じていた何かが開いて動き出す…というか。

いま私が「考えても考えても答えがでない」ことは、どんなところから蠢きだすのか。今日から始まる写真展。それが楽しみでしかたがない。

<インフォメーション>
「内観の刻ー序」

会場:新宿高島屋10階美術画廊
住所:東京都渋谷区千駄ヶ谷5-24-2
会期:2011年6月8日〜2011年6月20日
時間:10時〜20時(6月11日と6月18日は20時30分まで。最終日16時まで)

Artist Talk
2011年6月12日 17時~
「今」の写真に対する想いや今後のビジョンなどをお話されます。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

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魚見幸代
魚見幸代

うおみ・ゆきよ/編集者。愛媛県出身。神奈川県在住。大阪府立大学卒業後、実家の料理屋『季節料理 魚吉』を手伝い、その後渡豪し、ダイビングインストラクターに。帰国後、バイトを経て編集プロダクションへ。1999年独立し有限会社スカイブルー設立。数年前よりハワイ文化に興味をもち、ロミロミやフラを学ぶ。『漁師の食卓』(ポプラ社)

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