salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

きれいはきたない、きたないはきれい。

2014-08-25
姿を変えた空っぽ

 シンガポール、シティ・ホール駅を出て、海のほうへとしばらく歩いていた。半年ほどまえのことである。焼け付くような海がわからの日差しはぼくに、当時、豪雪に見舞われていた日本のことを思いやらせた。
 卒業旅行——響きの良い名前をつけられたこの旅行も、卒業できずにいたぼくにとっては、ただただ、空疎なものに感じられた。
 日差しから逃れるために、日陰を探しながら歩いていく途中、両脇に、木陰が満ちている理想的な緑道をもつ、だだっ広い公園が視界に広がってきた。公園ではつよい日差しのもと、寝転んで肌を焼く西洋人もいれば、サッカーをする黒人の親子連れ、また日本からきたであろう女子大学生の集団や、彼女らの二、三十年後を思わせるマダムたちが互いに写真を取り合っている。当然、中国人観光客たちも相変わらず大きな声で、喧嘩しているように会話を繰り広げていた。ともかく、この公園は賑わっているようだった。
 緑道のなかを進んでいくとまもなく、かの有名ホテル、マリーナベイ・サンズが左手に見えてきたのだが、しかし、その存在に気づくと同時に右手には、大きな石碑が立っているのにも気がついた。多くの観光客がマリーナベイ・サンズを写真におさめているなか、ぼくはこの石碑のほうへと向かっていた。海がわを背に立つこの石碑の陰にとけ込むように、正面に立ってみる。見上げた先には「OUR GLORIOUS DEAD 1914-1918」という文字が書かれていた。もちろんこの字面から、第一次世界大戦における戦没者の慰霊碑だということは明白だが、これが、いつ建てられ、なぜここにあり、そしてどんな兵士たちへ向けられたのものなのか、いまだにぼくは知らない。
 それ以上に、この石碑を前にした際、そのずっと向こうに見えるマリーナベイ・サンズとのコントラストに、ぼくは途方もない距離を感じた。それから突然、意識がまばらになった。あまりにも、目のまえの石碑が遠い存在だったからである。いや、こういってもよい。遠くに見えるマリーナベイ・サンズのほうがむしろ、近い存在だった——。

 「無名戦士の墓と碑、これほど近代文化としてのナショナリズムを見事に表象するものはない。これらの記念碑は、故意にからっぽであるか、あるいはそこにだれがねむっているのかだれも知らない。そしてまさにその故に、これらの碑には、公共的、儀礼的敬意が払われる。……(中略)……これらの墓には、だれと特定しうる死骸や不死の魂こそないとはいえ、やはり鬼気せまる国民的想像力が満ちている。(これこそ、かくも多くの国民が、その不在の住人の国民的帰属(ナショナリティ)を明示する必要をまったく感じることのない理由である」
(ベネディクト・アンダーソン『定本 想像の共同体——ナショナリズムの起源と流行』白石隆・白石さや訳)

 B・アンダーソンは、これに続く文章のなかで、宗教的想像力についてふれる。人間の生や死、またはあらゆる苦難への想像力に満ちた解答や説明、あるいは意味の付与をなす宗教が、ある特定の「聖なる言語」——聖書におけるラテン文語、またコーランにおけるアラビア文語——をとおして人々のあいだに広がることで、この神聖性が宿る言語で結ばれた、古典的共同体が形成されていったという。
 しかし、この共同体は近代へとうつる流れのなかで、次第に衰退していく。たとえば、それまでは、つながりのない二つの出来事が、神によって垂直に意味付けがなされることで因果が生まれ、あるいは歴史の計画——いまなお続く中東での紛争が、(たとえそれが建前であろうとも)その因果や歴史の計画に縛られているように——が可視化されえていたのに対し、近代ではそれを偶然としてさらりと流してしまう。この時間や暦の上の偶然性は、しかし、近代以降の出版資本主義の発展により添う形で、人々の意識に「均質で空虚な時間」をもたらすことになる。
 アンダーソンのあげた例を参考にすれば、たとえば、新聞におけるマリの飢餓についての報道のあと、数か月のあいだ、この問題に関する記事が紙面から消えたとしても、ぼくらは誰ひとり、一瞬たりともマリが消え去った、あるいは飢餓がそのすべての国民の命を奪ったなどとは思わない。むしろ、ぼくらはこの新聞の小説的構成によって、登場人物としてのマリの次の出番を確信しているという。この「あいだ」に流れる時間、つまりゆっくりと進行していく新聞上すみの日付の更新、すなわち「均質で空虚な時間」に、ぼくらはつながりを想像している。
 新聞のこうした側面の一方ではまた、「あの日ではなくこの日の、何時から何時までのあいだに、消費されるだろう」ものとして大規模複製——一日だけのベストセラー!——がなされることで、同時的に、かつ大勢の人たちが、共通の言語をとおして日々情報にふれていることがわかろう。このとき、この大勢の読者の顔を、ぼくらは知らないながらも、その存在を想像上において確信しているというのだ。こうして新たな共同体は、想像上にあらわれてくる。

 あらゆる空間や時間の「あいだ」につながりを想像する行為、もちろんこれは宗教、あるいは出版資本主義にかぎったことではない。
 吉本隆明は、『遠野物語』の超現実的な描写について、村落に住む人々の共同の禁制という前提への意識が、この描写をリアルなものにさせるといった(『共同幻想論』)。そもそも、宗教における神の存在や、新聞からみる空間や時間のつながりもまた、つまるところはこうした前提なのだともいえよう。

 ばかげているのかもしれない。そもそも、何もない空っぽなものに、意味付けや想像をして、時間をあたえることなど。そして、そこに空間の離れた人々の意識があつまり、あつまった意識を確信することなど。
 もはや、そのもの自体とやらは、姿を変えてしまっている。それなのに、姿を変えたその対象はなぜか親近感をおびてやってくる。思えばぼくは、マリーナベイ・サンズを、以前から写真をとおして、あるいはテレビをとおして知っていた。なんとなくお高いイメージ、けれども外国人旅行客がどんどんやってくる。シンガポールに行けば、マーライオンの目線の向こうに、この建物は高くそびえ立っているはずだ、というように。——そもそもホテルというものの構造が、空っぽなもの、つまりは空室に、不特定多数の人があつまり、人があつまっているという前提が、さらに人をあつめていく、といった側面をもっている。ぼくの意識もまた、そんなところにあつまろうとしていたのかもしれない。
 だとすれば、いつ建てられ、なぜここにあり、そしてどんな兵士たちへ向けられたのものなのかさえわからない、あの石碑をまえにしたとしても、ぼくのような外国人観光客は、傍観者としての意識だけが芽生えるにすぎないのかもしれない。想像のしえなさ、意味付けのしえなさが、そしてあらゆる前提のなさが、この石碑をぼくから遠ざけたのだろう。

 この慰霊碑に、当時の敵国の人々は、「公共的、儀礼的敬意」を払ったのだろうか——。逆光で薄ぼけて見えたこの石碑の文字に、ふと思う。
 弾丸で訪れたシンガポールへの旅の帰り道、もう一度この石碑の前にやってきた。あたりは暗く、公園をはさんで海とは逆がわにある大通りからは電光がふりそそいでいた。目のまえには、あの石碑が先ほどよりも高くそびえ立っているように感じた。こんどは、石碑の文字がはっきりと見える。
 マリーナベイ・サンズには、たくさんの明かりがついていた。あの明かりひとつひとつに、宿泊者がいるのだろう。
 石碑とマリーナベイ・サンズのあいだには、一瞬たりとも同じ姿を見せることのない海が広がっていた。——目線を手前に引き戻す。公園に描きだされる木陰たちは、昼間とは逆のほうへとのびていた。

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2件のコメント

共同幻想は共謀幻想。ナショナリズムはお門違いのルサンチマン。歴史はすべて物語。現実はほつれ目の目立たない錯覚。これらはすべて自明。証明を求める者たちにつきあっていられるほど、僕らの時間は長くはない。特に僕の時間は。と思うのですが、いかがでしょうか。

by こうたくんのともだち - 2014/08/25 7:13 PM

コメントありがとうございます。
まったく同感いたしました。

対する他者の存在、といった無意識的な前提によって、おっしゃるその自明性が覆い隠されているとも思います。

「目線を手前に引き戻す」
見えてくるのは、なんだかあいまいなものばかりの先にたたずむ自分でした。

前回と同様、書いているとき以上に、文章について考えさせられました。
ありがとうございました。

by 留年系男子 - 2014/08/28 1:39 AM

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福田祐太郎
福田祐太郎

ふくだ・ゆうたろう/留年系男子。1991年生まれ。宮城県仙台市出身。ライターとしての一歩目に、大人の道草にまぜてもらいました。大学では文芸を学んできましたが、「それ、なんになるのよ」と非難囂々のなか、この場にたどり着きました。

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