2015-09-25
インタールード
(撮影:見上徹)
重たいドアを開こうとする白のセーター。袖にはぶらさがるほつれた糸とわずかな汚れ。まだ間に合う。代わりにドアを開いてあげるフリをして、その糸をおもいきり引っ張った。
そういえば彼女は今日、ぼくの質問には一度も答えなかった。いや、一度だけ、ビールを飲むかたずねたとき、重たそうに頭をヨコに動かした。
店内は焦げ臭い香りで充満していた。虹色の髪をした女が、景色が逆さまになった、と声を荒げ、胃液を吐き続けている少年は若い男女たちに腹部を蹴り込まれていた。シャンパンボトルを床にたたきつけた大男は笑いながら泣き、そして怒っていた。
引っ張ったその糸は、思ったよりも長く続いていった。途中でちぎれることなく、するすると続いていった。
あるところまできて、彼女の腕は締め付けられる。
店を出て、彼女は家で寝ている子どもを心配し、電話をかけたようだった。ぼくの前では、初めての出来事だ。
袖の汚れが一瞬、キラリと輝いて見えた。
振り返るといままでいた店からは火がのぼり、サイレンの音が遠くの方から聞こえてくる。彼女はその光景を目の当たりにして、道端に膝をついた。熱気が立ち込めて、彼女はゆっくりとセーターを脱ぎ出した。しかし、締め付けられた袖から腕を抜くことはできずにいた。心配そうに眺めるぼくを見て、これでいいの、と首をタテに振った。
「言葉がたくさんあると気づいた日から、なんだか自由になれたと思ったの。でも違う。言葉は不自由なもので、私の自由は奪われていた」
「それでも今日、解放された気がしたの。この腕だけが締め付けられた。これがホントの自由みたい」
「スーパーマンはすぐそばにいた。こんな私を見てくれて、満足したわ」
「これでいいの」
「さっさと行ってちょうだい」
「バイバイ」
途切れ途切れに言葉を放ち、全身から一気に力が抜けていったのか、路上に横たわってしまった。
まだ間に合う。
ただし、ぼくが講じるつもりでいたとっておきの策は未完成のまま。元どおりにすることと、台無しにすることとの違いは何なのか、そればかりを考え込んで、完成にいたることはない。きっと彼女も同じなんだろう。完成にいたることは決してない。
出来損ないのシンボリックなデザインも、ある日突然、堕落した。いや、解放されたのだ。糸のほつれが、何も知らない人たちのパズルゲームの中へと引きずり込まれていったのだ。嘲笑の的として新たに得た別の生き方。分解されればきっと皆同じ。聴いたことのない音楽なんて、ぼくらは誰ひとり、誰ひとりとて聴いたことはない。
どこからか、長いイントロが終わると、リヴァース・クオモの声が聞こえてくる。ぼくはまだ、元どおりにも台無しにもせず、その中間で浮遊している。インタールードでぶつぶつと。
彼女もきっと同じなんだろう。完成にいたることは決してない。
2件のコメント
あいまいな言葉から、明確なものがはっきりと伝わってきました。I Was Made For You リヴァース・クオモを初めて聞きました。昔幸福駅がありました。到着すると幸福はありませんでした。インタールードにあるもの。浮遊に堪える訓練は、すべきなのかどうか。着地できない、しない魂と、久しぶりにデュエットがしたくなりました。
「おーい、火事だぞ!誰か来てくれ!」「行くぞ行くぞ!」「どうしたの!?火事!?」「うわー、こりゃヒドい」
そこに当事者はいなかった。いるのは野次馬だけだ。
その日から、たまにはコンタクトをしないで外に出てみようと思った。なにごともクリアに映る世界は、ちっとも魅力的じゃないから。
空も見ずに夜におはようと言っている人たちをしり目に、からっぽのクリアファイルを持ち歩いている。べつに刺激を選んだっていいじゃない。
いつか苦味が魔法のようにすっと消えていく、そんなコーヒーに出会えると願って。
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