salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

きれいはきたない、きたないはきれい。

2014-10-5
神話作用I—伝えたい人

 祖父が死んでからまる二年の月日が経った。
 そこで、あらためて考えてみる。祖父の人生という物語の作者は誰なのか。もちろん、それはほかでもなく祖父本人である。だとすれば、ここにぼくが何を書こうと、それは読者としての言葉に過ぎない。
 それでもなお書こうと思うのは、幼いころに祖父からもらったある本を、最近もう一度読みなおしたからである。この本についてはあとでふれよう。

 祖父は、小さな農村にある家の長男として生まれた。祖父の父、つまりぼくの曾祖父は、教師であり、それも三十代で校長にまでのぼり詰めた人物だった。小さな農村から校長が輩出というのは、当時にしては珍しいことだったそうだ。というのも、当時の「教師」といえば、ある種「神」的な存在として崇めらるような存在だったからだ。
 そして祖父もまた「教師」となった。
 中学時代に起こった「戦争」では、長男であったことから軍による招集から免れ、仙台にある工場での労働力となったらしい。そして、祖父の「長男」としての自覚はこのころから芽生えていたのかもしれない。
 その後自らが志望し、また一次試験を通過した大学を、父の激怒、また断固反対によってあきらめたのも、こうした背景があったのだろう。父からの説得どおりに県内にある「旧帝大」へと進学し、順調に教師となったのである。——まさに鶴の一声だったという。
 その後、曾祖父と同じように、祖父も「校長」となった。
 国語教師として、また体育教師として、さらにときには生活指導の教師として、そして「昔ながら」の教師として、厳しくもあり優しくもあった祖父は多くの生徒たちに慕われていたという。実際、ぼくがおぼえているのは、退職後の祖父の姿しかないのだが、何十年と月日が経っても、「先生、先生」と教え子たちがたずねてきてくれた。とりわけ、当時不良学生であった方々からの信頼は強く、それは、良い意味でも悪い意味でも——息子であるぼくの父の言葉を借りれば——「打算とは無縁の一途さ」を持っていたからだろう。そして、その「一途さ」は、「校長」になるには充分すぎるくらいのものだったはずだ。

 人間味あふれる「神」的存在たる「教師」としての祖父の物語は、こうして括弧におさめられるような言葉の磁場から読み解かねばなるまい。それは、コノテーションの変化のありようを、誰よりも理解していたのが、祖父自身だったからだ。

 ところでぼくは、そんな祖父の「教師」としての姿を知らなかった。やはり祖父は、どこまでも祖父であり、彼自身、教師らしい姿を見せまいとしていたのかもしれない。
 しかしいま、祖父の言葉を思い出すたび、祖父は偉大な「教師」であったと思わざるをえない。それは、たくさんのわからないことをまえに、ぐずついているぼくにかけてくれた言葉——そしてそれはいつも同じ言葉だった。

「答えはひとつじゃないからね」

 しかし、ぼくは長いあいだこの言葉に甘えていた。甘えだと気がついたのは、祖父が死んだあとのことだった。それも、祖父の死とともによみがえってきた、先の言葉に続くこの言葉の真意を理解したときのことだった。

「だから、うんと勉強しなくちゃならない」

 だが、そのときぼくの目のまえにあった、「勉強しなくちゃならない」ことは、あまりに多すぎた。
「留年」は、そんなぼくに希望を与えた。視界が少しずつ広がっていく予感がした。
 祖父はきっと、いまごろこちらをにっこりと、ながめているのだろう。(続)

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福田祐太郎
福田祐太郎

ふくだ・ゆうたろう/留年系男子。1991年生まれ。宮城県仙台市出身。ライターとしての一歩目に、大人の道草にまぜてもらいました。大学では文芸を学んできましたが、「それ、なんになるのよ」と非難囂々のなか、この場にたどり着きました。

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