salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

きれいはきたない、きたないはきれい。

2015-02-5
ある女性の重ね着を一枚一枚脱がせてみたいと思った老人
—マトリョーシカ・ジャーナリズム

 彼女はひどく寒がりで、家でもつねに服を着込んでいた。外に出るときはその上に何枚もコートを重ねる。

 彼女は細身で、美しい顔立ちをしていた。一方、日に日に重ねる服の量はふくらむばかり。彼女の目はなんだか怯えていた。そして何かを恨んでいるようでもあった。

 彼女の名前は、マトリョーシカ。赤い服を好んでいた。

 マトリョーシカは15歳のとき、19歳年上の男性とある約束をした。彼女は彼を信用した。これから先きっとうまくいくんだ、そう言って彼女は目を輝かせていた。
 1年後、男性は彼女を裏切った。でも彼女は気づいていなかった。男性はこの裏切りを、その後もずっと秘密にしていたのだから。
 彼女が17歳になったとき、男性はまた彼女を裏切った。こんどは彼女に伝わるやり方で。それは、彼女を最も傷つけるものだった。
 これら明らかなる男性の矛盾は、その後彼女の心に大きな傷跡を残した。

 それから彼女は寒がりになった。
 彼女は服を着込んでいくたびに、どんどん心を閉ざしていくようにもなった。ときに暴力をふるったりもし、また家族さえも理解できないような将来の夢を語った。友達もだんだんと少なくなっていった。みんなは彼女を異常だと思った。
 事実、彼女は異常だった。でも、彼女にとって、あの裏切りほど異常なものはなかった。彼女を、恐れ、嫌悪し、ときにねじ伏せる周りの人々の対応こそ、彼女にとっては異常に思えた。
 彼女と彼女の周りの人々は、反目しあい、次第に事態は悪化した。もう、誰にも止めることはできなかった。傍観者たちはああだこうだと議論しあって満足しているようだ。何かにつけて例を示し、慢心する若者だってここにいる。どうすればよかったのか、どうしていけばよいのか、やるせない気持ちだけが蔓延していく。

 彼女の服が脱ぎ捨てられて、あの細身のきれいな身体が露わになれば、きっとみんなとわかりあえるだろう。そう言ったのはアイソーポスと呼ばれる老人だった。この老人は天を仰ぎ、どうにかならんか、とつぶやいた。

 その声を聞きつけたのは、ボレアスとアポロンだった。
 彼らは老人の意図はともかくとして、ただマトリョーシカの服を脱がせることに、躍起になった。
 ボレアスは自慢の力強さで、アポロンは自慢の心広さで、互いに競い合った。

 ボレアスを前に、マトリョーシカの目はやはりどこか怯えていて、またどこか疑いをもっていて、またどこかで怒りをもっていた。彼女はさらに服を着込んではふさぎこむ。彼女はまた、あの裏切りを思い出したのだ。あの男の顔が、なまなましく浮かび上がってきたのだ。

 けれどもアポロンを前にしたとき、彼女の表情は少し緩んだ。雲ひとつない空の下、穏やかで、暖かな彼の表情を前に、それまでうつむいていた彼女が少しだけ、上を向いた。アポロンはそっと彼女に歩み寄った。

 明くる朝、老人はいつものように隣の村へと向かっていた。そしていつものように、村と村とを分かつ目印である大木の陰で、腰を下ろして休憩する。ぼんやりと空を眺め、大きくあくびをしたのち、ぼやけた目を手でこする。老人は、この大木から見て正面の草場に目の焦点をあわせた。草場には、赤いコートが落ちていた。
 どうにかなりそうじゃ。赤いコートを拾い上げ、老人はもう一度天を仰いで、そうつぶやいた。

 しかしながらボレアスもまた、依然として諦めてなどいなかったのだけれども。

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福田祐太郎
福田祐太郎

ふくだ・ゆうたろう/留年系男子。1991年生まれ。宮城県仙台市出身。ライターとしての一歩目に、大人の道草にまぜてもらいました。大学では文芸を学んできましたが、「それ、なんになるのよ」と非難囂々のなか、この場にたどり着きました。

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