2015-01-25
あの透明の獲得まえへ
—読書伴奏文
「これまでずっと、いつだって、僕はこの白っぽい起伏に包まれていたのだ。
血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い」
「限りなく透明に近いブルーだ。僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。そして自分でこのなだらかな白い起伏を映してみたいと思った。僕自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたいと思った」
(村上龍『限りなく透明に近いブルー』講談社)
戦後の福生を舞台とし、「ハウス」とよばれる元米軍住宅で日々、酒、薬物、乱交、暴力、米兵との交流に明け暮れる若者を描いたこの小説のなかで、僕(=リュウ)は決意した。これが村上龍氏、本人の決意ならば彼はこの小説で、「限りなく透明に近いブルー」なるものを描き出そうとしたのだろう。
「飛行機の音ではなかった。耳の後ろ側を飛んでいた虫の羽音だった。蝿よりも小さな虫は、目の前をしばらく旋回して暗い隅へと見えなくなった」
冒頭文にある「飛行機」や「旋回」といった言葉が、この小説の舞台が福生であることを知らないぼくらに、そのイメージを喚起させる。
続く文章では、部屋の天井の電球からテーブルへ、テーブルの上の灰皿、ワインのボトルからボトルのラベルへ、グラスに注がれたワインからワインの表面にうつる天井の明かりへ、そして、絨毯にめり込んで見えないテーブルの足へと、ぼくらの視線を上下にやる。
「正面に大きな鏡台がある。その前に座っている女の背中が汗で濡れている。女は足を伸ばし黒のストッキングをクルクルと丸めて抜き取った」
上下に動く視線には奥行きが与えられ、その先には女性の姿があらわれる。背中の汗、伸ばした生足…。
米軍の飛行機が飛び交う空、外的アメリカ、超自我。抑圧された地上、外的アメリカに屈し、反発し、復興を遂げてなお行き場のない自我。地下にまで侵食してくる内的アメリカ、薬物、酒、乱交、沸き起こるリビドー。純な日本性などまぬけなことはもう言ってられない。視線の上下運動は世界を映している。
遠近法の先に見えるものはなんだろう。
淡々とつづく細密な描写、客観的といわざるをえない、ときに冷酷なまでの描写、因果関係など排した物語が進んでいく。
リリーは『パルムの僧院』の開いたページに煙草の煙を吐きかける。その後リリーはリュウを甘い声でベットに誘った。『パルムの僧院』は絨毯の上に投げ捨てられて。
『パルムの僧院』とは、リアリズム文学の源流とされるスタンダールの代表作だ。
煙でくもったリアリズム、投げ捨てられたリアリズム。
リュウが求めているのは完全な「透明さ」ではない。「限りなく透明に近い」ものだ。
オキナワは本物のジャンキーだった、彼は腐っていた。目は黄色く濁り、服は汚く、臭う。腐ったパイナップルさえ食べてしまえる。
内的アメリカの侵食は、腐敗にも近い。薬物や酒が身を滅ぼすように。そして作者は彼にオキナワという名前を与えたのだ。
リュウはオキナワにヘロインを打たれた。強烈な吐気と、その後にやってくる快感。身体の自由はなくなり、身をまかす。「自分」があいまいな存在になっていく。快感を味わえる。自分のなかにあるものすべてを吐き出すことを抑えれば。
ヨシヤマは、嘔吐のあとには女が欲しくなるといった。リュウは同意し、抱くよりも殺したくなると答える。ヨシヤマもそれに応え、こう付け加える。
「首をこうぐっとしめてな、パッと裸にして、棒なんか尻に突っ込んでさ、こう銀座なんか歩いてるような女な」
黒人との乱交パーティでは、女性たちはモノのように扱われていた。それはときに痛みを伴う。いや、女性たちだけではない。
黒人女に跨がられたリュウは、ジャクソンに殴られた際、口が切れて血が流れ出したにもかかわらず、ジャクソンは口に性器を突っ込んできた。リュウは必死に吐気を耐えていた。ジャクソンはそのまま射精し、リュウはピンク色になった液体を吐き出す。
その後、リュウは黒人女のなかで果てた。
嘔吐、射精は、放出は、侵食への反発であると同時に、その先の支配さえ意味する。けれども内的アメリカのもとで、リュウは何を吐き出すのだろうか。
リュウには、吐き出すものなどなかった。
日が経つにつれ、彼は虚無感につつまれていった。そうしてついに、彼は虚無感のうちで気が狂ってしまう。薬や酒ではなく、虚無感のうちで。
彼はその際、乱交パーティが行われる前に訪れ、カプセルを百錠近く置いていったグリーンアイズと呼ばれる黒人男性のことを思い出す。その男はリュウにこう語りかけていた。
「いつか君にも黒い鳥が見えるさ」
そうして、リュウのもとにも黒い鳥がやってくる。
「リリー、あれが鳥さ、よく見ろよ、あの町が鳥なんだ」
「鳥は殺さなきゃ俺は俺のことがわからなくなるんだ。鳥は邪魔してるよ、俺が見ようとする物を隠してるんだ」
「鳥が飛んでいる、窓の外を飛んでいる、リリーはどこにもいない、巨大な鳥がこちらへ飛んで来る。僕は絨毯の上にあったグラスの破片を拾い上げた。握りしめ、震えている腕に突き刺した」
「あの時、リリーの部屋を出る時、血が溢れる左腕だけが生きている気がした。血だらけの薄いガラスの破片をポケットに入れて、霧に霞んでいる道路を走った。家々は戸と窓を閉ざして動く物は何もなく、僕は巨大な生物に呑まれて、腸の中をぐるぐる回る童話の主人公なのだと、自分のことを思った」
黒い鳥は、リュウの自己意識を不安定にし、リュウが見る世界をあいまいにする。リュウや、リュウをとりまくすべてのものを一挙にのみこんでいく。
混血のレイ子は、中学時代の生物部で、白い薬品を葉につけると、葉脈だけが残ることを知ったという。
思えばリュウは、リリーの足に走る静脈を「きれい」といった。
薬物におぼれても、最後には静脈や血液は最後まで残るのだろうか。
だとすれば、血管が、血液が、リュウがリュウであり、リリーがリリーであることを感じさせるものなのかもしれない。
虚無感のうちにあらわれた黒い鳥、鳥という町に佇むリュウが、リュウとして、見ることができるものはあるのだろうか。
あのパーティの後、友人たちは黒人らとともにクラブへ出かけたが、リュウはリリーと真夜中にドライブをしていた。その際、米軍の飛行場で事故を起こし、雨のなかふたりは道路に放り出された。
そのとき、雷の青い閃光が辺りを、すべてを透明にした。
「透明になった彼方に一本の曲線が走っているのを見つけた。これまで見たこともない形の曲線、白い起伏、優しいカーブを描いた白い起伏だった」
気が狂ったリュウがグラスの破片を腕に突き刺し、リリーの部屋を出た際、通りがかった病院の向こうは明るくなり始めていた。ポケットからガラスの破片を取り出して、血を拭う。
血で縁どられたガラスを通して眺める景色の先に、あの白い起伏が見えた。
「影のように映っている町はその稜線で微妙な起伏を作っている。その起伏は雨の飛行場でリリーを殺しそうになった時、雷と共に一瞬目に焼きついたあの白っぽい起伏と同じものだ。波立ち霞んで見える水平線のような、女の白い腕のような優しい起伏。
これまでずっと、いつだって、僕はこの白っぽい起伏に包まれていたのだ」
「血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。
限りなく透明に近いブルーだ。僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。そして自分でこのなだらかな白い起伏を映してみたいと思った。僕自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたいと思った」
リュウがリュウであるゆえんの血、その血で縁どられたガラスを通してみる景色、リュウがリュウとして見る景色。決して透明ではないけれど、リュウにとってそれは限りなく透明に近かった。
虚無感につつまれ、鳥に飲み込まれた町のなかで、あるいは視線の上下運動が映し出す世界のなかで、すなわち、外的アメリカの抑圧や内的アメリカの侵食のなかで、遠近法の先に見たあの「優しい起伏」を、リュウは「他の人々にも見せたいと思った」。
虫の飛行、旋回ではじまるこの小説はこう締めくくられる。
「僕は地面にしゃがみ、鳥を待った。
鳥が舞い降りてきて、暖かい光がここまで届けば、長く延びた僕の影が灰色の鳥とパイナップルを包むだろう」
町を飲み込む黒い鳥、飛んでいる鳥、窓の外を飛んでいる鳥ではない。空からの抑圧ではない。暖かい光でわずかに明るさをもった灰色の鳥と、同じ地面に立とう。そして、腐ったパイナップル、地下からの侵食も、同じ地面の上で。
リュウの影、リュウの輪郭のうちに、すべてが包み込まれるように。
2件のコメント
外的アメリカと内的アメリカの間で苛まれるリュウ。その果てに彼が実感した、白く優しい起伏は、極限までに身体的な自己のありようを物語っている。人間のうちを駆け巡る理性は、もっと言えば情念すらも、結局は何も自己を語らない。
戦後と米軍基地を抱えた福生という、「埋め込まれた」空間。そこでリュウが気づいたのは、血管、血液、血で縁取られたグラスの破片に象徴されるように、私たちの自我が寄る辺とするところは、限りなく身体的な自己であるということだろうか。
リュウが見た、限りなく透明に近いブルーとは、人間が「そうでしかない」ことの確信なのかもしれない。
「僕自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたい」
自己というものを認識・確定するよりも、
他者への表現を通して感じてみたい、
ということかもしれませんね。
それも、透明の獲得まえに。
ステキな読書伴奏、ありがとうございます。
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