salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

きれいはきたない、きたないはきれい。

2015-01-5
ふたつの入口、ひとつの出口
—読書伴奏文

 赤松啓介は、自著において、前近代的な農村の文化や風習にふれながら、「夜這い」については多くを著さないばかりか、「淫風陋習」として斥けた柳田國男を批判した。

 たとえば、柳田は『遠野物語』(一九一〇年)において、夜這いの場面を描いている(「七九」)。
 長蔵という男が夜、妻の待つ家に帰ってきた際の話だ。長蔵は門を入ると、人影に気づく。「ヨバヒト」(夜這いをする者)と疑い近寄るが、このヨバヒトは逃げるどころか、玄関のほうへ向かった。長蔵は「腹立たしく」思い、その方へ進んでいくが、ヨバヒトはついに玄関に入ってしまった。しかし、長蔵が玄関に入ると、そこには何者もいなかっただけでなく、中の障子も「正しく閉して」あった。長蔵はここで初めて「恐ろしく」思う。何歩か下がり上を見上げれば、「玄関の雲壁にひたとつきて我を見下すごとく、その首は低く垂れてわが頭に触るるばかりにて、その眼の球は尺余も、抜け出でてあるように」いるではないか。
 「ヨバヒト」はこうして妖怪のように描きだされ、ぼくらに怒りや恐れの対象として捉えさせる。「ヨバヒト」はいうまでもなくネガティヴ・センスをはらんでいる。

 ところで、赤松は『夜這いの民俗学』(一九九四年)の中で、こういっている。

 「明治政府は、一方で富国強兵策として国民道徳向上を目的に一夫一妻制の確立、純潔思想の普及を強行し、夜這い弾圧の法的基盤を整えていった。……(中略)……都市や新興の工業地帯の性的欲求のために遊郭、三業地、淫売街などの創設、繁栄……(中略)……そうした資本主義的性機構の発達によって巨大な収益を期待した。
 これに対して農村地帯で慣行されている夜這いその他の性民俗は、非登録、無償を原則としたから、国家財政に対しては一文の寄与もしなかった」

 当時、官僚であり、農政学者でもあった柳田は、農村における「夜這い」、彼のいう「淫風陋習」を取り締まり、かつ中央集権に向けた法や制度を整備していく立場にあったことはいうまでもない。

 けれども柳田は、それによって近代化以前の農村の文化や風習が失われていくことにも、問題意識をもっていた。描かざるをえないものが、彼にはあった。

 『遠野物語』が発表される四年前、一九〇六年には夏目漱石による『坊っちゃん』が発表された。
 無鉄砲で江戸っ子気質な坊っちゃんは、近代化の中で整備された「(物理)学校」で学び、地方(愛媛県)の学校で数学教師となったが、まもなく街鉄の技手となる。
 明治維新後、中央集権化を進めていく中で、不可欠な学制や鉄道敷設など、坊っちゃんを取り巻く環境、また彼の立場を支えうる制度はまさに近代性を持ちつつも、当の本人は江戸的なものをもっている。この両義性のあわいでのゆれ動きこそ、彼を街鉄の技手ならしめた。ならば、柳田もひとりの坊っちゃんにほかならない。

 つまり、柳田は、「官」であり、「民」であった。彼は、近代化の波に支えられながらも、それに抗っていた。彼は、前近代を打破しながらも、それを踏襲していた。彼は、中心にいながらも、周縁にいた。
 柳田は、二つの極を行き来しては、そのあわいで引き裂かれ、あるいはこれらを合わせようとした。また、このことは彼の生涯の課題ともなった。『遠野物語』は、その出発点にあたる。

 「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。この書のごときは陳勝呉広のみ」

 本書の冒頭に掲げられたこの言葉はまさに、柳田自身がもつ両義性における可能性の中心にあり、革命の宣言だった。ここから柳田にしかできない学問が、行動が、革命がはじまった。 

 『遠野物語』では、山が異界として浮かび上がってくる。その異界は、農村に住む人々の信仰の対象となっていて、またさまざまな怪奇現象——近代科学では説明のつかない出来事——が起こる場であった。特に、平地と山におけるある境界が、ちょうど生と死の境界となることは多くみられる。
 たとえば、「九一」において、鳥御前、と呼ばれる鷹匠が、連れの男と山に入り、別れ別れになった際の話だ。

 「ふと大なる岩の陰に赭き顔の男と女とが立ちて何か話をして居るに出逢いたり。彼らは鳥御前の近づくを見て、手を拡げて押し戻すようなる手つきをなし制止したれども、それにもかまはず行きたるに女は男の胸にすがるようにしたり。事のさまより真の人間にてはあるまじと思いながら、鳥御前はひょうきんな人なれば戯れてやらんとて腰なる切刃を抜き、打ちかかるようにしたれば、その色赭き男は足を挙げて蹴りたるかと思いしが、たちまちに前後を知らず。連なる男はこれを探しまわりて谷底に気絶してあるを見つけ、介抱して家に帰りたれば、鳥御前は今日の一部始終を話し、かかる事は今までに更になきことなり。おのれはこのために死ぬかも知れず、ほかの者には誰にもいうなと語り、三日ほどの間病みて身まかりたり。家の者あまりにその死にようの不思議なればとて、山臥のケンコウ院というに相談せしに、その答えには、山の神たちの遊べるところを邪魔したるゆゑ、その祟をうけて死したるなりといえり」

 「山の神たちの遊べるところ」、すなわち異界への侵入が、死に結び付いているのか。同じく山に入った「連れの男」は、死ぬことはなかった。山の神の領域に踏み入れなかったからだろう。だとすれば、この領域を隔つ境界はつまり、生と死を分かつものでもある。山という異界は、人に死がもたらされる領域であり、そしてそれは神の領域なのだ。
(実際、こうした山の神による祟りのほかにも、山人による誘拐や神隠し、雪女の言い伝えなど、農村に住む人々の、山に対する畏怖の念を抱くゆえんはある。)

 けれども『遠野物語』はそれだけでは終わらない。いうなれば、人々にとって、山は死と密接に結びつく一方で、生を与えうる存在でもあったのだ。
 「六三」では、小国の三浦家の「今より二三代前」の魯鈍な妻が、「マヨヒガ」とよばれる山中の幻の家に訪れ、三浦家の繁栄をもたらした。彼女が訪れたマヨヒガには、「朱と黒との膳椀」が数多く取り出されており、彼女は「もしは山男の家では無いかと急に恐ろしくなり」、家に帰ったという。その後、

 「また或る日わが家のカドに出でて物を洗いてありしに、川上より赤き椀一つ流れてきたり。あまり美しければ拾い上げたれど、これを食器に用いたらば汚しと人に叱られんかと思い、ケセネギツの中に置きてケセネを量る器となしたり。しかるにこの器にて量り始めてより、いつまで経ちてもケセネ尽きず。家の者もこれを怪しみて女に問いたるとき、始めて川より拾い上げし由をば語りぬ。この家はこれより幸運に向い、ついに今の三浦家となれり」
(※ケセネとは「穀類」の総称)

とされる。この「魯鈍」な妻は無欲であったため、その恩恵を受けたのだが、つづく「六四」に出てくる(三浦家繁栄のゆえんを知った)村人は、欲を持ってマヨヒガに訪れたため、失敗に終わったという。ここに、ひとつの道徳的教えをみるのもけっこうだが、しかし、生、あるいは生を可能ならしめる繁栄を与える山の姿をみてもいいのではないか。それは、前述したとおり、山が死をもたらすものでもあるからだ。

 たとえば、『遠野物語』の終盤には、こうした両義性が集約されうる場が提示される。「ダンノハナ」とそれに相対する「蓮台野」である。「ダンノハナ」とは、「壇の塙」すなわち「丘の上にて塚を築きたる場所」であり、「境の神を祭るための塚」とされる。「蓮台野」についても、「この類」のものだと、本書の発表一ヶ月前に刊行された『石神問答』の中でふれられている。

 「一一一」において、

 「昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追ひやるの習ありき。老人はいたずらに死んでしまふこともならぬゆゑに、日中は里へ下り農作して口を糊したり。そのために今も山口土淵辺にては朝に野らに出づるをハカダチといい、夕方野らより帰ることをハカアガリというといえり」

とされいるのだが、いうまでもなく、ハカダチは「墓立ち」、ハカアガリは「墓上がり」だ。「一一四」においては、「山口のダンノハナは今は共同墓地なり」と明記されていることもふまえ、老人を「追ひやる」ことは、「姥捨」と同義だろう。しかし、ここに「姥捨」という言葉がはらむ後ろ向きの印象は感じられないどころか、当然であるかのように語られている。それは、この場がほかでもなく生と死の境界のうえにあり、この二つの極は、別々のものでありながら、一体でもある場だからだろう。老人は死の世界に最も近い場で暮らし、日中は農村、すなわち生の世界で、作物を生産するのである。つまり、作物という生の源を与え、安住、あるいは安眠の地を得ているのである。それゆえに、生の世界にのみ住まう農民たちはその境界を踏み越えてはならない。

 さらにいえば、「ダンノハナ」という地名が、「山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺および火渡、青笹の字中沢ならびに土淵村の字土淵」や仙台にもあり、そして、「蓮台野」との相対する位置関係も、「外の村々にても(中略)似たりという」そうだ。
 近代日本とくくられてしまうこの時代において、いまだこうした前近代的な(といわれる)信仰は遍在していた。

 柳田は、こうした前近代的な農村における、あるいは農民による、山に対しての、「生」と「死」の混在、また互いに分裂しては、融合する、両義性をはらむ信仰に、目をむけていた。
 またそれと同時に、他の村々でも同様な信仰を見いだしたことで、近代化の波にさらわれた農村共同体の復興を目指したのである。それらはまさに彼自身の両義性のあわいの中で目論まれ、実行されようとしていた。

 柳田が企てた革命の出発点は、始皇帝の崩御ののち、無理矢理な中心化を試みた胡亥に対して、陳勝・呉広が疑問を抱いたように、明治維新後の西洋かぶれの近代化による中央集権化がすすむ「日本」に対する疑問の提示にあった。そしてそれは、「官」であり、「民」である柳田にしかできないことだった。
 ただし、その疑問は、懐古主義的なものではない。
 中心化と非中心化のあわいでゆれ動く彼自身の疑問である。そして、その疑問の提示は『遠野物語』でなされたのだ。

 だが、革命はまだ始まったばかりだった。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

4件のコメント

男は「夜這いか」と言ったきり、押し黙り、もう口を割りませんでした。彼は闇と山が大嫌いでした。でも、闇と山にもぐりこむための仕方は知っていたようです。そしてまた彼は、地図と占いを疎ましく思いました。無論彼はきれいできたないのですけど、その境目がにじんできたことが、ほっとすることの一つです。彼をそろそろ許してやろうと思うのですが、いかがでしょう。

by EN - 2015/01/08 12:46 AM

 夜這いのような性とは、山崎正和の言葉を借りれば「たまらなくいやらしく、しかもたまらなく魅惑的な存在」(『反体制の条件』)であり、本来的に秩序に回収されえない表象であろう。だから、ヨバヒトが柳田によって「妖怪のように」描かれたことは正しい。彼にとって性はカオスであり、ピュシスからのズレだからだ。
 柳田が描きたかったのは生と死を両義性としてさらけ出すことだろう。その意味で、先のような性へのまなざしと山の描写は一貫している。柳田の姿勢とは、近代化という太陽によって覆われているその過剰なサンスを、目を灼きつぶしながら視ることである。たまらなくいやらしい魅惑的な混在への、したたかな揺ゆたいである。

by AT - 2015/03/19 2:10 PM

ENさん
難しいですね。。
ぼくは許しても良いような気がします。

by 留年系男子 - 2015/04/01 11:58 PM

ATさん
「はじめにEXCESがあった」のかもしれません。

by 留年系男子 - 2015/04/02 12:01 AM

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コメント


福田祐太郎
福田祐太郎

ふくだ・ゆうたろう/留年系男子。1991年生まれ。宮城県仙台市出身。ライターとしての一歩目に、大人の道草にまぜてもらいました。大学では文芸を学んできましたが、「それ、なんになるのよ」と非難囂々のなか、この場にたどり着きました。

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