salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

きれいはきたない、きたないはきれい。

2015-07-25
主観的、あまりに主観的Ⅱ

 いつも通り、「白線の内側までお下がりください」とアナウンスが流れた。ぼくのまわりにいる人たちは皆、黄色の点字ブロックの内側に立っている。そこでぼくは、白線いっぱいにまで踏み込んでみた。すると先ほどまで隣に立っていた年配の女性が、斜め後ろから心配そうな表情をこちらに向けたーー。

 友人が自衛隊に入隊してから久しい。彼は、とある事情が重なって、しばらくのあいだ自衛隊に身を置くことを決断したのだった。その「しばらく」が「いつまで」なのか、いまは誰も知らない。

 世間ではどうやら、「安全保障関連法案」が「多数決によって決められた」ことを、「戦争法案」が「強行採決された」、と言うらしい。
 なにも、与党の肩を持ちたいわけではない。むしろ、言わんとすることもわからなくはない側の人間だ。けれども、言葉の問題だけは、どうしても譲れない。

 こんどの「戦争法案」は、今後「徴兵制度」に行き着くらしい。すると、次世代の子どもたちが「戦争」に赴くそうだ。それなら、順調に「徴兵制度」に向かってほしい。そのほうが真正面から「反対」の声をあげられるから。
 こんどの「強行採決」が、本当に民主主義の崩壊を意味するものならば、むしろありがたい。これだけ、多くの人々が立ち上がることを知ったから。

 言葉にできる問題が、本当に目に見えるのであれば、世界は明るい。


(撮影:見上徹)

 悲惨なのは、「志願兵制度」が目に見えないところで順調に進んでいる現実だ。ある人は経済的な事情を乗り越えるため、またある人は漠然と抱く満たされない現状から脱するため、「この道」を選んでいる。「志願」とは、良くも悪くも自らの意志で「この道」を肯定するものなのだ。
 悲惨なのは、眼前に広がる景色が「この道しかない」この国のあまりに貧相な現実だ。

 いつか、無理やりに「徴兵」されるのではなく、自らの意志として「志願」せざるをえない状況に「反対」の声をあげなければならなくなったとき、対峙する相手はいったいどこにいるのか。そもそも「志願」という形態そのものを否定しなければならないとき、そんな状況下で肯定できるモノはあるのだろうか。そして、手遅れになったとき、いったい誰が声をあげることができるというのだろう。

 いまこうして、戦争法案や強行採決、または徴兵制などとレトリカルな批判を続けているあいだにも、いつか真正面から意見するための、大切な言葉を失う人々が増え続けている。そうしてあとになって、また、責任の所在でつまらない議論を永遠と続けるのか。

 こんどの「戦争法案」に対しても、「強行採決」に対しても、形式的に打ち勝っている意見はあまり耳にしない。レトリカルな印象論、あるいは悲劇の物語に感情的になった声の大きさだけが増している。それに対して、感情の劣化を来した人々が下品な言葉で応戦し、小さな声はかき消されていく。

 ここ最近、過激さと過激さが、過激さを増幅させているーー。少々、耳障りだ。

 個人的に、政治的な話はあまり好きではない、そもそも、たいして興味もない。けれども、これだけ多くの人たちが本気になって議論し合える話題もない。それなら、できる限り冷めた共通言語で話すことはできないのだろうか。「真意」や「本音」とやらを持ち出し始めてもキリがない。

 だからこそ、形式的に打ち勝つ共通言語を探さなければならない。「白線の内側までお下がりください」と言われたら、「白線の内側まで」なら足を踏み出してもいいのである。黄色の点字ブロックを踏み越えた人が、いかに逸脱した人間であるかのように見えても、彼は白線を踏み越えてはいない。ならば、あたかも白線を踏み越えたかのような言葉を使うべきではない。なぜならそれは、共通言語ではないからだ。

 友人を「この道」から脱線させる悪友として、主観的、あまりに主観的なぼくの解答は、「白線の内側」であれば、もはや「どの道」でもかまわない。

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1件のコメント

毎日繰り返されるゲームのテレビCMは、戦いの模様です。人は戦いが大好きです。人殺しも大好きです。マッハで飛ぶ戦闘機ほど、セクシーなものはありません。巨大なエネルギーを一瞬のうちに発揮する爆弾もまたしかりです。自分が死なない限りにおいて、傷つかない限りにおいて、人は戦争が大好きです。儲かるし、快感です。そうした心性が、自分の中に、多くの人たちの中にあることを前提にしないと危険です。戦争をするための知恵ではなく、しないための知恵を、頭のいい人たちには考えてほしいものです。けれど、戦争をしないための知恵は、お金にならないから、頭のいい人たちにはつまらないのでしょうか。

by EN - 2015/07/26 1:22 PM

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福田祐太郎
福田祐太郎

ふくだ・ゆうたろう/留年系男子。1991年生まれ。宮城県仙台市出身。ライターとしての一歩目に、大人の道草にまぜてもらいました。大学では文芸を学んできましたが、「それ、なんになるのよ」と非難囂々のなか、この場にたどり着きました。

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