salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

きれいはきたない、きたないはきれい。

2015-02-25
残りの0.1%、
きいてほしいことがある
—マトリョーシカ・ジャーナリズム

(はじめに:前回の記事に「続き」はありません。そう思ってくださっていた方がいたら、すみません、アレで完結してるのです、なんと。もし続きを求めるのならば、英国の三枚舌外交(1915-17年)以来の、中東地域に住む罪のないイスラム教徒の方々の当事者意識に寄り添ってみてください)

【マトリョーシカ・ジャーナリズム:外皮に被われた、あるいは表層的な視点だけではなんだかモノ足りないから、彼女の服を脱がせてみよう、当事者意識に寄り添ってみよう、そんな感じ】

ではでは、ちょっとばかり長いですが、お付き合いくださいませ。


※マトリョーシカちゃんはもう出てきません
(撮影:見上徹 by iPhone)

「子供が見てもわかるような相撲」

 横綱の発言はその後波紋をよんだ。
 初場所の優勝から一夜明けた、先月26日。横綱・白鵬が宮城野部屋で行われた会見でのことだ。

「横綱、大記録を全勝で決めたというのは、いかがですか?」

記者からの質問に、横綱はうかない表情でこたえる。

「あぁでも・・、疑惑の相撲がひとつあるんですよ」

それは十三日目の対稀勢の里戦をさしていた。
(9:00〜)

 立会いを制した横綱は、土俵際まで一気に攻め込んだ。そのまま寄り切ろうとする横綱に対し、稀勢の里は小手投げをうつ。両者ともに体勢を崩して倒れこんだ。
 内容は圧倒的に横綱優勢だ。スロー再生を見ても稀勢の里の左腕が、横綱の右腕よりも少しだけ早く土俵についている。
 しかしツウな見方をすると、それ以前にすで横綱の右足の甲が返っていた。この点で、審議のなかで横綱を負けとする意見も出たらしい。
 けれども、横綱優勢という内容から総合的な判断を下し、取り直しがなされたという。

 会見で、横綱はこう続ける。

「子供みればわかるような相撲だもんね。・・・なぜ、取り直ししたか」
「肌の色は関係無いんだけどね。土俵に上がってまげを結ってるなら日本の魂。みんな同じ人間・・・」

これに対して、ぼくが敬愛する「日刊スポーツ新聞社の元相撲担当記者」佐々木一郎氏はこうつぶやいた。


 
同感だった(リツイートしちゃったしね)。
 100%言ってはいけないことだった。みっともない、横綱としてあるまじき発言。品がない。ステキじゃない。
 というのも、白鵬が尊敬してやまない元横綱・大鵬は以前、物言いで取り直しになった取組が、実は誤審だったことをうけ、こう発言していたのだから。(※この誤審は「世紀の大誤審」とよばれ、その後ビデオ判定導入のきっかけとなった)

 「横綱が物言いのつくような相撲をとってはいけない。自分が悪い」

 たしかに、99.9%、白鵬が悪かった。白鵬だって、わかっているはずだ。そして、横綱なら、するべき発言、するべきでない発言をわきまえるべきだった。あんなこと、言っちゃマズかった。

 でもだからこそ、残りの0.1%について、ぼくの話をきいてほしい。見苦しい発言だったけど、でもわからないでもない、というのがぼくのホンネなんだ。

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 白鵬 翔、本名ムンフバティーン・ダワージャルガルは、言わずと知れた「平成の大横綱」。15歳でモンゴルから来日し、翌2001年、16歳の3月に初土俵をふむ。以来、今日に至るまで、休場を除いて負け越したことは’01年5月場所、’02年7月場所の2回のみ。
 「一晩眠るたびに強くなっている」と言われた白鵬は、周囲の期待通りに番付を駆け上がり、19歳の2004年5月場所に入幕、1年と経たずに三役に昇進。’06年にはすでに大関に、’07年には現在の地位である横綱に昇進した。

 さらに2010年に同じモンゴル出身の元横綱・朝青龍が引退して以来、’12年9月に日馬富士が横綱昇進を決めるまで、一人横綱として活躍した。
 しかしこの一人横綱としての二年のあいだ、角界は大きな危機に直面していた。2010年5月に起きた大相撲野球賭博問題、そして翌年の八百長問題である。
(これらの問題に関して、ここではあえてふれません。ひとつだけ言わせてもらうと、当時、相撲協会の体質を「古臭い」と非難していたマスメディアの体質が、正直カビ臭かった)

 これらの問題によって相撲人気が低迷し始める。だがこれはきっかけにすぎない。というのもそれ以前にも低迷の流れはあったからだ。

 ひとつは朝青龍の存在だ。彼は土俵上でのガッツポーズや決着がついた後のだめ押し、また土俵外での不祥事など、「横綱としての品格」をしばしば問われていた。

 たとえば、朝青龍が横綱に昇進する前、角界には貴乃花という力士がいた。
 彼は、それまで日本人に愛されてきた「お相撲さんは力持ちで、優しい」といった理想を体現するかのような力士だった。また取り口も正攻法、倒した力士をいたわる姿や誠実な語り口、まさに「横綱としての品格」を持っている力士ーー(言葉を選ぶべきだが)純日本的な「横綱」だった。

 しかし、彼の引退後、今日に至るまで日本人横綱は誕生していない。
 そのあいだ、もっとも横綱に近いとされていた元大関・栃東に、好角家は期待を寄せていた。彼の取り口もまた正攻法で、唯一朝青龍と互角に渡り合える力士だった。けれども怪我が多く、その後横綱に昇進することなく引退を余儀なくされてしまう。
(つけ加えておくと、栃東が2006年初場所に優勝して以来、日本人力士はいまだに優勝していない)

 そうして次第に、「第二の貴乃花」を待望する人々が増えていった。

 「品格」を問われる朝青龍の存在。「モンゴル出身」という言葉に植えつけられてしまったネガティヴ・センス。ヒール役としての横綱・朝青龍。彼を倒す「第二の貴乃花」を待ちわびる声・・。

 こうした流れのなかで、「第二の貴乃花」の待望の声と「モンゴル出身」の負のイメージが大きくなっていったことを、ここで一度ふまえていただきたい。

 そんななか、朝青龍に連勝する力士が白鵬だった。白鵬は、「モンゴル出身」という言葉に負の印象を与えてしまった朝青龍に、とりわけ敵意を示していた。
 白鵬は、白鵬なりに日本の国技としての相撲について誠実に考え、取り組んでいた。そのため、そうした白鵬の姿勢を評価する声もあった。
 けれども、対朝青龍戦での土俵上でのにらみ合いや、またときに出てしまうだめ押しなど、朝青龍的なふるまいをするたびに、やはり批判されることも多々あった。日本人力士のなかにも、朝青龍的ふるまいをしてしまう人だって、少なからずいたにもかかわらず、だ。となれば、「朝青龍アレルギー」なるものが白鵬にも向けられていた、とも言えるのではないか。

 そこで朝青龍の引退は、しかし、皮肉なことに人気低迷に拍車をかけることとなる。というのも、「第二の貴乃花」の熱望と、悪役・朝青龍の存在は、わかりやすい「正義と悪の勝負」として非常に消費されやすかった。もちろん、朝青龍の一人横綱を快く思わない一定数の人々は離れていった。だが、この「わかりやすい楽しみ」を消費する人々が一定数いたのも事実だったのだ。

 だからこそ、朝青龍引退後の白鵬は一人横綱として奮起した。彼は、「朝青龍アレルギー」を払拭するため、また当時の角界を盛り上げるため、ぼくたちには到底理解できないほどの努力をしていたのである。離れたいったファンを増やしたい、観戦に来てくれたファンには最大限に楽しんでもらいたい…。あの63連勝という大記録も、そんななかで生まれたのだ。

 一人横綱のあいだの白鵬の成績は目覚ましいものだった。全15場所中10回優勝、225戦中202勝。
 また、これまでの連勝記録では、63連勝のほかにも43連勝、33連勝、30連勝、25連勝、23連勝という記録を残している。さらに現在も24連勝中だ。

 そんな白鵬の思いや実績とは裏腹に、彼の連勝を止めた力士に日本人の多くが「第二の貴乃花」をみた。それが現大関・稀勢の里である。稀勢の里とは、これまで白鵬の記録的連勝を三度も止めており、日本人力士の中では実力・成績ともにトップ、いま一番横綱に近いと注目されている力士である。彼もまた取り口が正攻法であり、横綱相撲として評価が高い。

 一方で白鵬は、立会いにおける張り差しなど「横綱らしからぬ」乱暴なワザの多用や、またときに出てしまう「朝青龍的ふるまい」で、次第に評価を落としていく。いくら成績をあげても、だ。

 つまり、白鵬が奮起し、活躍すればするほど、稀勢の里への期待がふくらんでいったのだ。

 たとえばあるとき、取組前の土俵上で、白鵬と稀勢の里の激しい視線のやりとりが繰り広げられたことがあった。お互いが、お互い負けるわけにはいかない相手ーー。
 ふたりのボルテージがぐんぐんとあがっていくにつれ、観客もどんどんと盛り上がっていく。もちろん、観客のほとんどは「第二の貴乃花」に期待をよせていた。すると、会場からは稀勢の里コールがわき起こった。会場は稀勢の里一色となり、誰もが彼に声援を送る。
 いざ取組が始まると、立会いは稀勢の里優勢の左四つ、得意の右からの強烈なおっつけで前に攻め込んでいく。一瞬のスキを見た白鵬が半身で逸らし、左下手からの投げに出た。だが右脇をきつく締めていた稀勢の里が上手でまわしを強く握り、彼もまた投げに出る。
 この激しい投げの打ち合いの末、白鵬に土がついた。
 大鉄傘が揺れんばかりの歓声、そして座布団が舞う。それから万歳三唱がどこからともなく起こり始める。
 このとき、誰も白鵬のことなど気にかけていなかった。純日本的な「第二の貴乃花」が「モンゴル出身」の横綱を倒した。それが気持ち良かった。それだけのことだった。

 その後も「白鵬 対 稀勢の里戦」は同様に盛り上がり、誰もが白鵬の負けを望んだ。

 そして、先月の初場所も例に漏れない。

 中でも印象的だったのが、六日目の対遠藤戦だ。
 遠藤は、ここ一年のあいだで注目されるようになり、昨今の相撲人気の再興に大きな影響を与えている力士である。彼もまた「第二の貴乃花」的存在であり、取り口はごまかしのない正攻法の横綱相撲。対稀勢の里戦同様に、会場からは遠藤コールがわき起こった。
 対して白鵬は厳しい顔つきで向かっていく。立会いでの張り差しから、暴力的ともよべるかち上げで遠藤の身体を起こし、さらに顔面への強烈な突っ張りで、遠藤をまったく寄せ付けずに圧勝した。
 非常に下品な相撲だった。横綱相撲とは呼べまい。きっと多くの人がそう思うであろう相撲だった。
 一方、負けた遠藤といえば、張り差しもかち上げも、顔面への突っ張りも、ただ受けるがまま。「第二の貴乃花」は、たしかに「第二の貴乃花」らしい。

 この場所の白鵬は、とくに下品さが目立っていた。

 だが一方で、次第にぼくはこう考えるようになる。横綱相撲を取ることよりも、負けるわけにはいかない何かがあるのか、そうだ、あの大鵬の優勝記録の更新がかかっているのか。あの、尊敬してやまない大鵬の。

 ならば、対稀勢の里戦では絶対に負けるわけにはいかなかった。

 十三日目の対稀勢の里戦。いつもどおり、会場は稀勢の里が勝つことを望む声援ばかり。白鵬にとっては優勝記録のかかった大切な一番、これに勝てば優勝が決まる。多くの人々が記録更新を目の当たりにできるかもしれない一番であるにもかかわらず、しかし、その多くの人々は横綱・白鵬の記録よりも、純日本的な「第二の貴乃花」による「モンゴル出身」横綱打倒を望んでいる。

 ーー思えば前々からそうだった。

 連勝記録を叩き出せば出すほど、稀勢の里による連勝ストップが望まれていた。

 優勝を重ねていくにつれ、栃東以来の日本人力士の優勝を、貴乃花以来の日本人横綱の誕生を、待ちわびる声が大きくきこえてくる。

 さらにいえば、努力によって培われた圧倒的な強さに対し、有識者からは、日本人に強い力士がいないだけ、と順当な評価をもらえない。

 自分の努力で記録を作っても、お客さんはそんな自分が負けることを望んでいるのか。
 自分は「朝青龍アレルギー」を払拭するために、日本を愛し、相撲を愛し、「横綱としての品格」を深く考えてきたつもりだった。

 でも、お客さんが望んでいるのは、日本人横綱だった。

 たとえば日本国籍を取得しないことも非難されてきた。
 しかし、オリンピックのメダリストでモンゴルの国民的英雄の父は、日本国籍の取得に難色を示している。子である自分もまた母国の英雄だ。母国の人々は、自分の活躍を誇りにしてくれている。母国の人々は自分の帰国を待ちわびている。日本国籍の取得など、簡単に決断できることではない。

 そういう背景も知らない人々が、ここ十数年のあいだにすっかり根付いた「第二の貴乃花」の期待と「朝青龍アレルギー」のもと、自分が負けることを望んでいる。

 だからといって負けるわけにはいかない。憧れの元横綱・大鵬の優勝記録を越えるまでは。

 大鵬は、ウクライナ人の父と日本人の母のもとに生まれた。彼もまた「純な」日本人ではなかった。けれども彼は国民に愛されていた。だからこそ、彼の記録を塗り替えたかった。母国と同じように愛する日本で、どうしても認めてもらいたかったーー。

 先場所はその記録がかかった場所であり、そして対稀勢の里戦こそが記録をかけた一番だったのだ。どうしても負けるわけにはいかなかった。なにより、「第二の貴乃花」として評価の高い大関・稀勢の里に勝って記録を作ることこそが、重要なのだから。
 横綱相撲をとることよりも、この勝負に負けるわけにはいかない。

 そうして始まった一番、立会いから一気に攻め込み、稀勢の里を土俵下まで押し倒していった。内容は圧倒的に白鵬が優勢だった。けれども、稀勢の里が土俵際で放った小手投げによって、両者はもつれることになる。稀勢の里の反撃に、会場は盛り上がった。
 軍配が白鵬にあがると、審判部からは物言いがついた。審議の末に取り直しのアナウンスがなされると、会場は歓声に包まれた。

 ーーいままで、お客さんが自分の負けを望んでいることはわかっていた。でも、もしかしたら、いま目の前にいる公正であるべき「審判部」でさえも、自分の負けを望んでいたのではないか。自分が「第二の貴乃花」としての日本人横綱であれば、この試合も取り直しすることなく終わったのではないだろうか。

「疑惑の相撲がひとつあるんですよ」

 これは、白鵬がもう何年ものあいだ抱いてきた「疑惑」だった。何年ものあいだ溜め込んできた本音だった。

 誰よりも日本の国技を愛して、精進してきた。だけど、モンゴル人である、ただその一点だけで認めてもらえないのだろうか。

「肌の色は関係無いんだけどね。土俵に上がってまげを結ってるなら日本の魂。みんな同じ人間・・・」

 ーー0.1%、ぼくに言わせてほしい。白鵬に、こんなことを言わせないでほしい。白鵬に、二度とこんなことを思わせないでくれ。

 たしかに白鵬は下品な言動や行動をとることもある。だけど、国技館の観客だって下品じゃないか。

 下品な連中が思い描いている「あるべき相撲の形」があるのなら、白鵬、そんな「相撲」は愛さなくていい。

 白鵬がすれば「品格の問題」と言われてしまう失態も、日本人横綱ならば「あら横綱、粋だねェ」なんて言うんだろ、おい、クソババア。白鵬、そんな「粋」なんて気にするな。

 たしかに、今回の発言は、100%、言ってはいけないことだった。

 ただ、「子供が見てもわかるような相撲」という言葉、アナタ方が好むニホン人が言ってるわけじゃないんですヨ。
 アナタ方が白鵬を、ただ「朝青龍アレルギー」由来の「モンゴル出身力士」ゆえに認めないのなら、きいて。
 「子供が見てもわかるような相撲」という言葉、表現も、ただニホン人が嫌味として使う言葉、表現とは違う、ということくらいわかるよネ。
 アナタ方が白鵬を「モンゴル出身力士」ゆえに認めないのなら、「モンゴル出身力士」が使うニホン語だって、「モンゴル出身力士」ゆえに大目に見るのがスジじゃないの。

 たしかに、99.9%、白鵬が悪かった。

 だけど、この0.1%を理解できないのなら、モンゴル出身力士すべてを追い出せばいい。そうして相撲が、つまらなくなってしまえばいい。

 誇るべき日本人の姿、こうあるべき日本人の姿、そんなもので外国人にああだこうだと言うのなら、きいて。
 「誇るべき日本人の姿」を外国人に強制する日本人を、どうしたって誇りには思えない。「あるべき日本人の姿」を外国人に押し付ける日本人に、誰がなろうっていうんだい。

 なんでもあり、とは言わない。ぼくだって、継承すべき伝統や文化があることぐらい心得ているつもりだ。なんなら、平安時代の「相撲節(すまいのせち)」から戦国時代の「武術」としての相撲、それから江戸時代の「勧進相撲」まで、一度その歴史を三日三晩丁寧に説明したっていい。それ以後現在のカタチをとるまで複雑な道を歩む相撲の歴史も添えてあげるよ。
 でも、そんな退屈な話、聞きたくないでしょ。

 だから簡単に言わせてもらうよ。一回、判断基準に固定化したイメージを置くのは、よそう。そんなイメージなんて、あってないようなものなんだーー。

====================

 残りの0.1%、この0.1%をぼくは大事にしたい。この0.1%があるから、白鵬を批判できるし、これからも応援できるのだから。
 たしかに見苦しい発言だったけど、でも、わからないでもない。そんなふうに思ってくれる人が、この文章読んでひとりでも増えたらいいな。そしたらみんなで五月場所でも見に行こう。

 どっちのお相撲さんにも負けて欲しくない!ってみんなが思える、そんな取組が増えればステキでしょ。

   自称横綱審議委員・福田祐太郎より

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福田祐太郎
福田祐太郎

ふくだ・ゆうたろう/留年系男子。1991年生まれ。宮城県仙台市出身。ライターとしての一歩目に、大人の道草にまぜてもらいました。大学では文芸を学んできましたが、「それ、なんになるのよ」と非難囂々のなか、この場にたどり着きました。

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