2014-11-5
神話作用Ⅲ—伝えたい人
「答えはひとつじゃないからね、だからうんと勉強しなくちゃならない」
これは、祖父の教師としての教師への反抗だった。言いかえれば制度内での制度への反抗だ。彼は神話的制度の「そもそも」の歴史の構造を理解し、しかしそれでもなおその枠組みにいなければならない現実を受けいれていた。
それに気づくことができたのは、まだぼくの雑巾がけが直線的だったあのころに、渡してくれた本に再会し、先の言葉がふと想い起こされたからである。
その本には、日本の数々の民話や不思議話がのせられていた。時代は多岐に渡り、なかには最近のものもある。
たとえば、宇和海周辺の「ねずみ騒動」や襟裳岬を中心とした「とど」という「海のギャング」についての当時の人たちの解釈、また塩原温泉付近の「赤滝」や、高山でのブロッケン現象、また那須湯本温泉付近にある「殺生石」についての昔の人の言い伝えなど、いまや科学的に解明されている話で構成されている。実際、巻末にはその解明の結果や解説が載せられているのである。そしてそれゆえにこの本のおもしろさが生まれる。
ここで、ぼくが享受すべきは、科学的解明のなかで示された解答をして、自分の知的好奇心を満足させることではない。
これからふたつの話を紹介しよう。まずは「赤滝」について、その赤さの所以は、日頃から山で動物たちを殺してまわる「小平太」という乱暴者の侍が、猿を殺した際にかかった血が拭いても拭いてもとれないことから、とある僧侶の言葉どおりに身を清めるため百日ものあいだ滝行を行い、その水が赤に染まった、というものである。ちなみにこの後、小平太の顔や身体からは血の色が消え、彼はもとの姿に戻った。だが一方で、水はその後も赤く染まったままであり、「血の滝の白行者」と呼ばれた小平太は、この滝を「血の赤滝」、川を「血の赤川」と名付け、「いつまでも、いのちの尊さを忘れないように」といった言葉を残し、この地——塩原温泉付近の山——を去ったという。そして、この「言い伝え」は、科学の進歩がこの不思議の解明を成し遂げるまでの通説だったといえる。
ところで、水が赤く見える、ただそれだけの事実に対し、人々が「血」を連想し、それから「命の尊さ」を思うのは、まぎれもなく「小平太」という歴史があるからだといえる。そしてぼくは、まさしくここに疑問を投げかける。
というのも、赤滝、と呼ばれる滝は全国に何カ所もあるからだ。もっと言えば、南極大陸には「血の滝(Blood Falls )」と呼ばれるものさえある。とすれば、この「言い伝え」における人々にも、赤滝に対してもともと「血」の連想があったのではないか。そして、この連想が人々に「命の尊さ」を喚起したのではないか。「小平太」の歴史とは、そのための口実にすぎないのではないか。つまり、この地の人々は、「赤滝」に「血」の連想を与え、「命の尊さ」という意味付けを行っただけのことではなかろうか。
ぼくは「小平太」ほど乱暴ではないので、彼自身の歴史の欺瞞性を問いただすことなどしない。見るべきは、後からとってつけられた物語であろうとなかろうと、あるいは、この地の人々が、「命の尊さ」を思う理由や背景がなんであろうと、「赤滝」というものに、「血」のイメージが附着し、「命の尊さ」という意味が象徴的に立ち現れている、という紛れもない事実である。このとき、赤く見える水、血が流れているかのような滝や川、そして——事後的であろうとなかろうと——「小平太」の歴史は隠蔽されて、「赤滝」は「命の尊さ」を直線的に意味するものとなる。ここに、神話作用を見ずにはいられない。
しかしいまや「赤滝」は、硫化鉄を含んだ水が、川床や岩を赤褐色に染めたことで、その上を流れる水が赤く見えるのだ、と説明される。ここに、「血」の連想や「命の尊さ」への思いの余地はない。つまり、「赤滝」という言葉に含まれていた「小平太」の歴史や、「血」や「命の尊さ」といった意味合いは消滅し、新たな説明がとってかわったのだ。情報の正否やノスタルジックな感情論などをいうつもりはなく、ただ、ひとつの言葉の意味が、その背景や歴史がいとも簡単に捨て去られ、いいかえれば、新たな意味がそれを捨て去ることで、新たな意味たりえる、そんな事実が現実としてあることが示されているのである。
しかし、まだ本当の意味で、捨て去られてはいないということは、「赤滝」にまつわる話が、この本に書いてあるということだけでわかるだろう。
ここでもうひとつ、「殺生石」の例をあげよう。これは那須湯本温泉にある溶岩のことで、この付近では、たえず硫化水素ガス、亜硫酸ガスが噴出していることから、生物に害を与えうるとされている。
しかし、「赤滝」のように、この科学的解明以前の長い歴史においては、平安時代、ときの天皇に寵愛された玉藻の前と呼ばれる女性についての言い伝えがある。実はこの女性、白面金毛九尾のキツネの化身であり、このキツネは親ギツネを天皇のために殺されたことを恨み、女に化けて御殿に入り、その復讐を目論んでいたという。しかし、このことを当時の学者、安倍晴明によって暴かれると、天皇の家来たちはこのキツネを殺そうと、弓矢をとってこれを追った。追われ、追われたキツネはついに那須野の湯川の河原にあった大きな石の上で取り囲まれることになったのだが、そのときキツネは彼らに向かい、「わたしはこの石の上で、おまえたちの射た矢にささって死んでいくが、誰でも、この石に近づく者があったら、これから何百年に渡って呪い殺してやる」と言った。この言葉どおり、家来たちの射た矢が突き刺さり、キツネは死んだが、その後何人かの家来たちが、このキツネの皮を都に持って帰ろうと、この石に近づくとなんと、彼らはたちまちにのびあがり、死んでいくのである。
ここにおける神話作用は、「殺生石」に「呪詛」あるいは「神術」的なるもの——「神秘性」とでもいおうか——という意味表象が共有されている、ということだ。また、こうも言える。「神秘性」という概念が先立って、「殺生石」、または「化けギツネ」という言葉や説明を必要とした、と。であれば、「神秘性」を意味するものであれば、実は「殺生石」の「言い伝え」などでなくてもよいことになる。つまり、これだけ意味に満ちていた「殺生石」ですら、「神秘性」をあらわす空疎な一記号に陥ってしまうのである。いいかえれば、「殺生石」または「化けギツネ」といった言葉や意味は、もはや盗み出されてしまったわけだ。
しかし、この「言い伝え」が、千年以上の時を経て、科学的解明によって破壊されてもなお、この「殺生石」が観光名所であるということは、単なる科学的な知的好奇心からくるものであるのだろうか。ぼくはそうは思わない。いまもなお、千年以上ものあいだ人々に抱かれ続けてきた「神秘性」への憧憬や畏れからくるものだろう。それは、いまだに「殺生石」と呼ばれ、また能の演目でもこれが扱われ、そして心霊スポットとしても、この地がもてはやされていることをみればわかるはずだ。
こうしてみると、この本から享受すべきは、きわめて現実的な科学的解明のもと、神話的言葉、または説明が虚構であると是認しながらも、しかしだからこそ、あらゆる神話作用を見つめ続けなければならないということだ。「現実的な」、この思い込みさえも、「科学の絶対性」という神話作用のうちで生まれているものかもしれないのだから。——そして、これらすべてを相対化することがぼくなりの唯一の反抗なのだ。
いまや空っぽになった「赤滝」や「殺生石」を冷笑するでもなく、虚構のうちで意味となった「命の尊さ」、また「神秘性」を否定するでもなく、また確かなものと見える「科学」を信奉するでもなく、ただ言葉につきまとう神話作用を見つめ、すべてを相対的に受け入れなければならないのだ。
「答えはひとつじゃないからね、だからうんと勉強しなくちゃならない」
言葉の脆さ、意味の儚さ、そして永遠にぼくらをのがしはしない「神話作用」を、祖父は知っていた。けれども、「先生の言うことはきちんと聞きなさい」という彼の言葉は、それでもなお受け入れるべき現実に、彼自身が神話化された「教師」の立場として直面してきたことをあらわしている。
……だからこそ、先生の言うことはきちんと聞きなさい……だけど、ただ隠された、盗まれた意味たちを、言葉たちを、歴史を、神話作用からとりもどせ……。神話化された「教師」ではなく、ぼくにとって唯一無二の「教師」たる祖父は、この本をとおしてそう告げた。
——祖父が死んだ何年か前のある朝、彼は急な寒気を訴え、みるみるうちに顔色を悪くし、ふるえがとまらなくなった。父は急いで車のエンジンをかけにいき、ぼくは祖父を背に乗せ車まで運んだことがある。帰省した折のことだった。そして帰省した折のことでよかった。
あのとき、祖父はちいさな子どものような軽さだった。孫が祖父をおんぶする。よくある孫と祖父の映像だろうか。
上京以来、会うたびに言われた「大きくなったなあ」という言葉を鬱陶しく思っていたぼくも、その日の午後、入院が決まった祖父の病室に行った際に言われた、「大きくなったなあ」というひとことは、なんだか別の言葉にきこえた。
「おじいちゃんが小さくなったんだよ」
いつもの冗談を言えば、祖父は「いや、ゆう君が大きくなったんだ」と、誇らしげに言った。——鬱陶しく思っていたあのときの言葉とは別の言葉、別の意味、別の映像、別の響き。そう、答えはひとつじゃない。だから、うんと勉強しなくちゃならない。(完)
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