2015-06-25
今日はお休みしません
光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より繊毛が生え、
かすかにけぶる繊毛が生え、
かすかにふるえ。
かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。
(萩原朔太郎『月に吠える』より「竹」)
「ta-ke」の硬さ、「ha-e」のやわらかさ。「a-e」の音の連なりが充溢するこの詩の響き。
では「繊毛」を何と読もう。国立大学の試験ならば「センモウ」と解答欄に記入して、私立大学なら「ワタゲ」とでもテキトーに埋めてしまうか。
正しい読みは「センモウ」だ。が、この詩の響きは美しい誤読を誘っている。
この詩には、たくさんの人から、たくさんの解釈が与えられてきた。詩人・岡井隆はそれらを「繊毛論争」と名付けたりもした。
朔太郎のほかの詩にはよく、ご丁寧にルビがふられていることが多い。いや、ご丁寧、ではないのかもしれない。それは、あの時代に彼ほどまでに音やリズムに繊細だった詩人をぼくは知らないから。だからこそ、この「繊毛」にルビをふらなかった朔太郎の意識を、より繊細になって考えたかった。
解釈とは、彼の意識を規定することだ。しかし、ぼくはその方法をとりたくなかった。何を意味するか、それを問題としたくなかった。説明、というやつを極力排除してやりたかった。たしかに、説明ならばいくらでもできる。
だが誰かがこの言葉の読みを規定すれば、それは朔太郎の詩ではなくその誰かのものとなる。
朔太郎があるとき押し黙って過ごしていたとする。それを見た誰かが朔太郎を寡黙な青年と規定する。しかし、あるとき別の場で朔太郎がはつらつとした様子でいたとする。それを見たまた別の誰かが朔太郎を明朗な青年と規定する。では、このどちらの朔太郎を、朔太郎として受け入れたらいいのだろうか。
詩の解釈が、言葉の定義を厳密にするのなら、それは神話化に似ている。神話化とは言葉の泥棒だ。ならば、「センモウ」と読んだところで、はたまた「ワタゲ」と読んだところで、泥棒まがいにかわりはないだろう。
以前ぼくは『月に吠える』についての論考を、文芸批評家・安藤礼二氏に提出した。彼は折口信夫という巨人について、たくさんの論考を世に送り出してきた人物だった。折口の業績ほど既存の言葉で語ることを拒むものはなく、にもかかわらず、彼は折口と向き合ってきた。そして、一定の評価を受けてきた人だった。
だから、ぼくは朔太郎と向き合って、それを朔太郎の言葉として、彼に伝えてみたかった。
そうして導き出された答えはごく簡単なものだった。それはもう、詩の批評ではなくなった。むろん、解釈でもない。わずかばかりの熱をすくい上げただけ、名付けようもなく、そしてどんな奥行きも持たない反解釈への挑戦だった。
その答えとは、「繊毛」という言葉が漢字で書かれ、ルビがふられることがなかった事実、そしてその後の論争を生んだ朔太郎の記述があった、ということだった。朔太郎のうちで何らかの意図が有ったのか、無かったのか、これを区分けするのではなく、区分けそのものを包括してのみ込むことだった。一切の議論にシラけた視線を送り、一切の議論にノること、それが「繊毛」を読むことなのだ、と。そして安藤氏はぼくに最高の評価を与えてくれた。
言葉を書いた、その「書いた」時点ですべてを終わらせてしまえーー。
たとえば、益川敏英氏がノーベル物理学賞を受賞したとき、彼の喜びは実験によって彼の理論が実証されたところにあった。そして彼は言った。「その後のことは社会現象にすぎない」と。
ありふれたシンタクスによって語られる以前に沸き立つモノの存在を、ぼくは全肯定してやりたい。
〈大寒や見舞に行けば死んでをり〉
かつて高浜虚子がこう詠んだのも、そうしたある種の感情を語るでもなく、その意味を問うでもなく、その全体をのみ込むものだった。
見舞いに行った、死んでいた。それがどうした。次に行け。
1件のコメント
この間朔太郎の批評文を、古本で読みました。大したものでした。面白かった。友達の室生犀星が朔太郎を評した文章も、最近古本で読みました。面白かった。大したものです。批評は作品を超えることはないのがふつうですが、朔太郎の批評も室生犀星の批評も、作品は超えないまでも、十分肩を並べていたと思います。無論、詩と詩評は別のもので比べるものではありません。でも、肩を並べていました。どうしてなのか、よくわかりません。
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