salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

きれいはきたない、きたないはきれい。

2014-10-25
神話作用Ⅱ—伝えたい人

 部屋には、祖父の遺影の代わりに、彼が幼いぼくを肩車している写真を置いている。いつ、どこで撮ったのかはわからない。けれども、この写真を見るたびに、昔からよく一緒に遊んでくれた祖父の姿を思い出す。近所の公園でのキャッチボール、朝のランニング、庭で練習した縄跳び、トランプ、オセロ…。よくある祖父と孫の映像かもしれない。
 しかし、時が過ぎれば過ぎるだけ、そうした記憶の具体的な映像や会話は忘れてしまう。時間とは記憶の泥棒なのか、いや記憶自身が記憶を盗むのか。断片的な記憶ほどおそろしいものはない。浮かびあがってくる祖父の人物像は、どうあがいても彼には近づかない。
 一方で、ぼく個人の内部には、言葉にはできないがとらえられている祖父の人物像がある。しかしながらそれを文面にしたとて、誰かにそれを完璧に伝達できることなどできないことも確信している。とすればすべて、時間や記憶の問題ではなく、言葉の問題なのだろう。

 言葉の問題といえば、祖父は言葉や文字については厳しかった。たとえば「ら」抜き言葉を許さなかったし、コンビニでも行けば、いまでこそ有名な「よろしかったですか」という言葉も許さなかった。許さなかった、というのも、その場で訂正し、説教をはじめるくらいだ。「そもそも…」、「もともと…」といっては起源へと遡るのである。
 ぼくには、そんな祖父の言いつけを守り、またときに周りの人たちを説教したくなることがある(説教される身の気持ちをよく心得ているので、もちろんしないけれど)。それは「貝」という漢字だ。「目」の下のふたつの点を、「目」の五画目、すなわち一番下の線につけろ、という言いつけである。ぼくは「もともと」字の汚い人間だ。だから、「見」と混同しないように、誰かの目にふれる文章を書くときは離すときもある。だが、これは「そもそも」象形文字で、割れ目のある子安貝、二枚貝を描いたものであり、当然離してしまえば「貝」は「貝」でなくなる(歯がゆいことに、パソコンやケータイでは点を離して表示せざるを得ない。機械なら説教してもいいだろうか)。

 話は変わるが、ぼくは幼い頃から剣道を続けていた。稽古の前には必ず道場を一直線に何往復も雑巾がけしていたのだが、小学五、六年あたりからきれいな直線を描けなくなっていた。
「ゆうたろう、おまえは性格が曲がってるんだな」
道場の先生からはドキッとする言葉を浴びせられる。しかし、この論理でいけば小学四年までは素直な子どもであったはずだ。
 強引に先の話に結びつければ、ぼくは、少なくとも小学四年までは、祖父のそうした言葉や文字の起源から成り立つ説明を素直に聞き入れていたことになる。実際、夕食の際に、祖父の長ったらしい説明が始まれば、ぼくだけは黙って聞いていた。一方、父は違う部屋に逃避し、母は明日の朝食の準備に入り、祖母は風呂に行く。姉といえば、もはや虎のように寝ている。
(余談ではあるが、姉は動物占いで「寝る虎」と診断を下された。占いを信じないぼくでさえこの結果は信用している。たしかに彼女は隙あらば寝、起きれば虎のような強さを秘めている。父はそんな彼女を「女帝」と表現し、ぼくはその「支配下」にあるといった。そしてこの悲運な階級制度は成人したいまもなお続いている。彼女が生まれた1986年のちょうど半世紀前の1936年、デール・カーネギーが『人を動かす』を発表したのも歴史的必然だった。彼女は無言のうちに「人を動かす」力を持っているのだ。皮肉にもこの本を知ったのは彼女の本棚にあったことからである。そう、女帝の支配はいまや確固たる理論に立脚している。支配化にあるぼくに、もはや逃げ道など残されてはいない。虎であり、女帝である姉のことを、世間の人は人当たりの良いすてきな女性、と形容するのをしばしば耳にするが、ぼくとしては都市伝説を聞いている心地さえする。——この括弧内の文章だけはさらさらと書けてしまうのは何故だろう!)
 もちろん祖父も、姉への説教などというあわれなことは一切しなかった(斬首刑が待っているのだから!)。だからこそ、ぼくにはありったけの正すべき言葉や文字の知識を教えてくれた(なにより、ぼくは雑巾がけで直線を描くほど素直な子どもだったのだから。そのころ姉といえば、そんなぼくを雑巾のように扱った!)。そして、それこそが、ぼくに「教師」や「学校」という「制度」の概念を歪めさせたのだった。それはいつも、「学校」では教えてくれない何かがあったからだ。
 だが、「昔ながら」の教師であった祖父にはいつも、「先生の言うことはきちんと聞きなさい」と言われてきた。しかし、小学五年のころ、いわゆる「先生いじめ」がぼくのクラスで起こった。子どもながらに、ぼくはその陰湿さが気に入らなかった。けれども他方では、「先生の言うことはきちんと聞きなさい」と祖父が言う、「先生」という完璧な存在は破壊されかけていた。完璧な存在ならば、「いじめ」に遭うはずもない。「そもそも」いじめられるような周りと違う欠けた、あるいは過ぎた何かを持っているはずもないのだから。
 それから進級し、六年生になり、担任が変わっても「先生いじめ」は続いた。いま思えば、いわゆる「反抗期」的な何かだったのかもしれない。もちろん、それで正当化するつもりもない。しかし、この六年生で目の当たりにした「先生いじめ」は五年生のときのそれとは様子が違った。完璧なはずの——もちろん五年生での経験から、ぼくはその完璧さへの懐疑を持っていたのだが——「先生」に非があったのである。体格の大きな活発な児童に対して、その身体の特徴や活発さを揶揄するようなあだ名をつけ、また自分の気に入った児童には特別扱いをする。ぼくが抱いていた完璧な先生像は完膚なきまでに粉砕された。

 ちょうどこのころからである。ぼくの雑巾がけがまっすぐいかなくなったのは。完璧な教師像から人間的な教師像を抱くようになったのは。と同時に教師や学校という「制度」にも疑いの視線を持つようになったのは。
 そしてこの「制度」への疑いは、中学に入って以来加速した。それはさまざな形でなされる「評価」によって。
 たとえば、学校という「制度」に縛られずとも、点数さえ取れるのであれば、学校という枠組みのみならず、全国的、または県内での評価がもらえる。だが、その評価とは、受験時にある「制度」の枠組みにおさまるための予行演習のようなものだ。ある程度の評価をもらったぼくを受け入れ、またその後のぼくを評価するのは疑わしい「制度」そのものなのだ。
 一方で、普段の姿勢や態度を基準とする評価とは、あの完璧さを破壊された「先生」によってなされるのである。たとえば、以前ぼくの祖父が校長をつとめていた学校に、新任として迎えられた教師が月日を経て、ぼくが通う学校の教師になったことがある。皆に厳しく接していたあの教師は、ぼくだけには遠慮していた。結局、それに対する違和感が点と線で繋がったのはずっと後のことである。どうやら、その教師を新任として迎え入れる際に、祖父の人情味あふれる措置がなされ、そのことへの感謝からぼくへの遠慮があった、ということをその教師から直接聞いたのだ。もちろん、このことについて祖父は生前、口を閉ざしていた。「教師」、あるいは「先生」とは、ぼくらと同じ不完全な人間にすぎない。
 皆、不完全な人間だ、そして不完全な人間が制度を作るのだ、だからわれわれはそれを受け入れなければならない。ぼくはこうした気持ちの悪い解答をあたえるつもりはない。

 問題は、ぼくの疑いを加速させた「評価」にある。それは、教師が、「評価」を下す運命にあることだ。教師や学校という制度への信奉や反抗はあれど、「評価」を下す運命は自明のこととしてやり過ごされている。児童、生徒、学生が、あるいは教師みずからが「評価」を拒んでも、しかし「評価」は彼らを拒みなどしない。「評価」は下されなければならず、下さなければならないのだ。
 この「評価」の歴史は、学校という「制度」においては1872年の学制の成立よりはじまる。しかし、それ以前よりいたるところで「評価」はなされてきたはずだ。そして、この「評価」とは、本質的に不平等をはらんでいる。つまり強者が評価を下し、弱者は評価を下される。こうして強者は強者として、弱者は弱者として、その地位を不動のものとする。この不平等の歴史の記憶を根こそぎ盗み出し、「制度」において「評価」を自明のこととした、という歴史さえももはや盗み出されたのだ。つまり、学校という「制度」のなかで、「評価」を下すのは教師であり、児童、生徒、学生ではない、という共有された認識が、その起源を問うことなしに平然となされている。
 このとき、「学校」「教師」そして「評価」という「制度」は、神話作用をぼくらに働きかける。

 だとしたら、祖父はどうして「先生のいうことは聞きなさい」と言ったのか。自らの保身のためか?いや違う。それならば、「制度」内で一応の満足が得られる知識や教養を是としたはずだ。しかし、彼は言った。
「答えはひとつじゃないからね、だからうんと勉強しなくちゃならない」(続)

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福田祐太郎
福田祐太郎

ふくだ・ゆうたろう/留年系男子。1991年生まれ。宮城県仙台市出身。ライターとしての一歩目に、大人の道草にまぜてもらいました。大学では文芸を学んできましたが、「それ、なんになるのよ」と非難囂々のなか、この場にたどり着きました。

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