2011-01-12
2006年マドンナ「コンフェッションズ・ツアー」
なんと2ヶ月ぶりの投稿、
まずは、明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします♪
突然だけど、人間はいつも、微力な波動を発している。
その周波数お互いに感じ取って、人はコミュニケーションしていると思う。
気の合う人といるとき、その周波数を合わせるのは
すごく簡単なのだけれど、
あまりウマが合わないなあ、と思う人と話したりする時は、
その周波数をチューニングして、なんとか波の合う場所を探し、
コミュニケーションしたりすることになる。
例えば、満員電車で人が近づき過ぎて不快に感じるのは、
この波動を邪魔されたくないからだし、
フラを踊るとき、自分の手と身体の間に握りこぶし1つ分の隙間を空けるのは、
その間に、自分のテリトリーがあると考えているからだ。
この周波数は、他にも、バイブレーションという言葉でも呼ばれ、
場の空気は、この周波数や波長で成り立っている。
こう仮定すると、音楽がどうして、
人の心に入っていきやすいのかがわかる。
人が発する波長は、とても繊細だから、
日々に追われてつい見落としがちになるけれど、
それが音楽の形をとると、もっとわかりやすい「空気の振動」として、
はっきりと身体に脳に、心に響くからだ。
これまでたくさんのライブに足を運んだけれど、
このバイブレーションが最高潮に達した時に、
人間がまぶしい光を発する光景を見たことがある。
それは、2006年、マドンナの「コンフェッションズ・ツアー」だ。
その時、実に13年ぶりの来日公演で、
マドンナのライブを見たのは初めてだった。
私の席はステージから一番遠い、ステージ正面のスタンド席だった。
マドンナは豆粒のようだったけれど、その代りに、
会場中をぐるりと見渡すことができた。
あの広い広い会場で、本当に全ての観衆が、
マドンナのパフォーマンスに反応し、応え、
心を震わせ、全身全霊が躍っていた。
その輝きはなんと、会場一帯に光となって現れたのだ。
それは照明なんかではなくて、本当に客席のあちらこちらで、
フラッシュがバチバチとたかれるような、強烈な光だった。
特に日本公演は、お客さんがクールで大人しいと言うけれど、
日本もやるじゃん!と、嬉しい思い出いっぱいになった。
そのコンサートで、会場中の周波数がバッチリと合った。
それを先導していた「指揮者」がマドンナで、
知らない国の知らない人々を率いて、まとめ、
まぶしすぎる光を生み出した。
しかも、それをマドンナは、常に意識的にやっている。
その証拠に、曲の中でも、ドキュメンタリーの映像作品の中でも、
繰り返しこの「光」について語っている。
このライブ、私人生で最高のライブだったかもしれない。
音楽的にとか、演出どうこうとかを超越して、「凄まじい」ライブだった。
ふとした時、もう一度、あの光に会いたくなる。
「ねじまき鳥クロニクル」で、間宮中尉が井戸の底で見た光みたいに
あるかないかわからない強烈な光を、
いつも人は待っているのかもしれない。
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