2013-02-17
文字のない世界を想像してみる
今読んでいる本に、「もしも文字がなかったら、この社会は崩壊してしまうだろう」という一文がでてきた。これを見て、ふと考えた。もし今、文字がなかったら。一番最初に、もうSNSも、インターネットすらできないな、と思った。インターネットをつなぐ世界は、文字があってのコミュニケーション。このコラムも、Twitterのつぶやきも、Facebookに日々投稿される友達の記事も、すべてが空白になってしまったら…?
実験音楽家のジョン・ケージが作曲した「4分33秒」という曲があって、その曲は一応ピアノ曲ということになっているが、三楽章からなるこの曲はすべて無音で、ステージに登場した演奏家は、ただ楽器の前に座って何もせずにステージをあとにする。上演される時にはその場の空気、演奏者が醸し出すもの、その日集まった観客、その日の気候、時間帯など、さまざまな要素によって、その「音楽」が作られるわけだ。
感じる側も、その「間」を楽しむわけだけれど、今の世の中は、あまりにも左脳で処理することが多い気がする。文字や映像があるが故に、そういう感覚が忘れさられているだけなのかもしれない。ハワイの人たちの昔の挨拶が、お互いの鼻の頭を合わせて、ただじっと、相手を感じるだけだったのと同じように、人は本来、言葉がなくても、相手の空気やエネルギーや感情を感じることができる生き物のはず。ただちょっとノイジーな今の世の中で、そういうことを忘れちゃっているだけなのだと思う。
もしもFacebookから文字が消えたら、それはそれでちょっと楽しいかもしれない。みんなが写真や絵だけで投稿して、そこから、言葉にはならない色んなことを、理屈ではなく、感覚で感じて行く。うん、なかなかいいかもしれない。
現に今でも、写真だけの投稿の方がFacebookの”いいね!”がたくさんつく傾向がある。情報過多なインターネットの世界では、じっくり読むコラムより、ぱっと見てわかる写真や短文の投稿の方が人気がある。まあこれは、私がこのコラムで言いたかった「じっくり味わう」というコトよりは、情報が「インスタント」に消費されていることの現れであるのだけれど。
うーん、ありきたりな言葉ながら、もっとスロウに生きたいなぁ。
1件のコメント
絵や写真も、情報量が多い文字だと考えられますよ。
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