salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

天井の星 絨毯の染み

2014-03-25
柔らかい日々の始まり

一年が過ぎた。先月末に引っ越しをして、今月ひとつ歳をとった。
まだ家具も揃わない、染みやくすみや思い出のひとつもないツルっとした白い部屋で迎えることになった誕生日。
今年が始まった時点では予想もしていなかった展開と、その時は知りもしない景色の中で、自分が今当たり前のように寝食をし、何の違和感もなく生活をしていることが、他人事のようであり、なんとも自分らしいなと頷くようでもあり、変わらないことも変わることも、誰かに任せたつもりでも、結局は自分で選んだんだなあと、改めて大袈裟に、人生をしみじみ思う春である。

目に見える春は霞んでいてぼやけていて優しい。けれどまだ冷たさの残る風が理知的で、その調和が心地良く現実味を帯びている。
母に背中を押されたような心強い気持ちで、今始まりに嬉々としている。

慌ただしくスタートした3月は、鏡に映った自分の姿をまじまじと見つめさせられるような不思議なひと月で、自分は何が好きで何が嫌いか、何がしたくて何が言いたいのか、唐突に始まった尋問のように、定まっていない答えまで口にしないといけないような場面が何度もあり、頭で考える余地もなく、心にあることが自分の意志とは無関係に次々と露呈されていった。
目を背けたくなるような自分の有り様を突きつけられる激痛と、その後に訪れる諦めの気楽さ、得難いふたつを繰り返し体験して思ったことは、「正直に生きよう」というとてつもなく簡素な結論だった。

この間、実家で『ことわざ辞典』なる本を息子がパラパラとめくっていて「二兎追うものは一兎をも得ず」と声に出して読んで、私にその意味を訊いてきた。
それとはまた別に、最近読んだ本の中で「味方が欲しかったら、敵を作れ」というフレーズがあり、それがやけに心を惹いた。

「選ぶこと、切り捨てること、主張すること」
嫌われることをことさら恐れていたつもりもないし、自分の主義主張が周りに影響を及ぼすなんてこれっぽっちも思っていなかったはずなのに、いつからか誰かに気を遣って、曖昧な返事と立ち位置を確保することが習慣のようになっていた。
もしかしたら私は自惚れていたのか?と自問するほど、目が醒めたように私が自分に正直に居ることで困る人は誰一人いないという事実を今更ながら痛感している。

好きな人の前では恥じらいを誤魔化さず、好きと言ってしまえば良い。嫌いな人の前では苦い顔してその場に居るより、潔くその場を立ち去るほうが良いのだ。
気持ちを押し殺すというのは、結局は誰のためにもならず、不健康な結末しかもたらさないということを、実地で学んだひと月だった。

頭でとか理論でというより、心がちゃんと反応するものを目の当たりにする機会に恵まれて、感動を通して自分がこれから何を創造すべきかもより明確になっていったここ最近、直に胸を撫でられるような好きな人の音楽や、自分の足場を改めて確認するような大切な人との想いのやりとりも多くあった。

そんな中、妹に教えてもらって読んだ、山本けんぞうさんという方が書いた「あの路」という絵本が凄まじく良かった。
私の拙い文章ではその感動を上手く伝えきれないので、実際読んでいただくのが一番良いと思うのだけれど、こんな涙が自分の中に潜んでいたのかと驚くような、自分の心に知らない部屋があって、そこから勝手に溢れてくる感情と対面してもらい泣くような、そういう不思議な体験をした。
とっても悲しい話なのに、読み終わった時とても幸せな気持ちにもなっていて、自分が見返りを求めずに生きてきた部分を認められたような、何故か私はそんな印象を受けた。

いちいち人に共感を求めないで堪えてきた部分、誰しもが持っている孤独の部屋、飲みこんだけれど消化されずに今もまだ居座っている感情、それを掬い上げられた時、目と目があって報われたような安心がある。
複雑に絡まった糸を、解くことも諦めて放ったらかしていたものを、解けるのは人の優しさだなあとつくづく思わされ、またそれに憧れた。

誕生日にもらったメッセージの中で、「どんなあなたも愛してる」と言う言葉が、恥ずかしながらなんだかストレートに嬉しかった。
自分のことで落ち込むことが多い日々、反省はしても嫌いにはならないであげようと、最近やっと思えている。
人やものに対して、人生に対して、自分に対して、偏ることなく優しく柔らかく要ることの難しさと大切さを感じるこの頃だ。

大好きな季節が過ぎていく。
私の部屋にはまだ時計がないのだけれど、秒針が刻む音が聞こえるかのように、着々と時が過ぎ、自分自身歳をとっていくことをなぜだか妙に実感する。
いくつになったらどう在らねばならなくて、何を所有していないといけないとか、親にも誰にも決められてはいないし、今までは自分でも何も決めずにいたのだけれど、自分が今責任をもって選んでいるという事実を認識することが、緩やかなくせに猛スピードで進んでいく毎日から落っこちてしまわないための大事な手綱のように感じている。

終わらないでほしいけれど、いずれは終りがくる。来るなら来るまで今を楽しもうと、いつになく大らかな気持ちで迎える春。
salitoteで迎える二度目の春。ここから何が消えていって何が残っていくのか、今年も楽しみな道々である。

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岡田規絵
岡田規絵

おかだ・のりえ/1983年生まれ、大阪府出身、岡山県在住。 tony chanty という名前でピアノの弾き語りを中心に音楽活動をするSSW。 趣味は読書、旅、食事、お酒。何気ない日々の鼓動にゆっくり耳を傾けて、言葉や音に落とし込むのが好きです。

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