2013-03-26
この部屋を出る
あたたかかったり寒かったり、晴れたり曇ったり
文字通り 三寒四温の3月
じらされて、そそのかされて、やっと迎えた春。
この春、長年暮らした部屋を出る。
人を招き入れることが殆ど無かったからか、
ここで過ごした思い出と呼べるものには、人の気配がない。
日々悶々と暮らした自分の面影が、揺れないカーテンの隙間にじっとしている。
今では思い起こせないほどの、数えきれない記憶はもはや
私の一部となってしまった。
天井の星 絨毯の染み
私の思考や感情の波を 静かに見守るような
母のような父のような視線を感じる この部屋。
つい先日、歳をひとつとった。
20代という歯痒いばかりの時代を終えて、新しい世界に私もやっと足を踏み入れた。同級生の中でだいたい最後に年をとる 早生まれの中の遅生まれで、いつも誕生日をどことなく、マラソンの最後のランナーのような気持ちで迎えてしまう。皆とっくにその感動を済ませてしまって、今更フレッシュでもなんでもない私の感無量感。けれどそれでも、遂に皆に追いついた喜びを、ひっそりと心の中で抱きしめて過ごすのだ。
春生まれだから 春を異常に特別視しているのかはわからないけれど、
別れと出逢いを孕んだ春という季節を
今年は例年以上に 貴重な気持ちで迎えている。
オギャーと生まれてから今まで、
出逢うべくして出逢い、別れるべくして別れがあったのか 今はまだ知る由もないが、それとなく事は進み、やむを得ずそれを引き受け、
「来る者拒まず去る者追わず」を美徳としてやってきたつもりはないけれど、その時々の流れに流されるように生きてきた。
けれど、節目というか変わり目というのは重なって起こるものなのか、
私が関わりを持った色々な流れが、ここにきて不思議にひとつに束ねられ、
水道の蛇口をきゅっと手でひねるように、自分の意志でもって今流れを止めようとしている。
そして、自分で閉めた蛇口はもう一度、この手で開かなければならない。
終わりとは同時に始まりでもある。
くたびれるほど待った正真正銘の春を、心ゆくまで感じられる、
桜が咲いて散るまでの ほんの僅かなひととき。
終わりのような始まり、始まりのような終わり、束の間の浮遊感。
連載初投稿をしたためている、引っ越し前の、桜がほんのり咲きはじめた今日。
まだ見ぬ桜が散り始める頃、新しい生活は走りだす。
そのうち季節は我に返ったように、慌ただしく回り出す日常に重心を移し、
かつて愛されたピンクの花びらは、茶色くみすぼらしく道端で汚れて、
そこのけそこのけと 人通りの風に無碍に脇へ追いやられてしまう。
平然と過ぎるつれない日々に 気持ちを踏みつけられることもあるかもしれないけれど、だからこそまた次の春を楽しみに待てるのかもしれない。
終息のような序章のような 特別な時間の中で、
想像しがたい想像を 心の中から引っ張り出して、今ひとり静かに眺めている。
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