2013-04-19
失くしもの
穏やかな晴れ 部屋の中はまだ少しひんやりとするが、外の世界は確実に次の季節に向かって、気分を上昇させている。
一難去ってまた一難、というほどの激しさはないものの、次から次へとなにかしら心の摩擦が起き、それなりに忙しい毎日。
「最近連絡がないけれど、きっとないってことは幸せに暮らしてるってことよ。」と、どこかの母が言うように、その言葉通り、子はその所在なき幸せの居所を突き止めようと、井の中で、今日もぴょんぴょんと元気に跳ねまわっている。
忙しいと慌てて焦って、しくじってしまうのが私の常。
足が絡まり心も絡まり、昔から出掛けにいつも「事故の無いように!」と母に注意されてきたが、未だに不注意な自分に頭をぶつけることしばしば。
交通事故はないものの、ここ半月だけでも自分の失態による無駄足を既に何度も踏んでいる。
先日、冬の間中ずっと被っていたお気に入りの帽子を失くした。
その日に限って頭に被らず、帽子を手に持って出掛けた。
帰り際、ない事に気付き、バスに置き忘れたか、はたまた道に落としたか、考えあぐねても全く記憶がなく、ああまたやってしまった とうなだれていたが、なんとなく絶対見つかる気がしてならなかった。
けれど検討のつかないまま、その日は諦めて帰り、次の日もその次の日も探しにいけず、心に引っかりを感じながら過ごしていた。
5日後の昨日、帽子を失くした道々を辿り歩き、きょろきょろと見渡していたら、まさかのまさか、道路脇の駐車場のチェーンの柵の端っこに可哀想な私の帽子を発見した。
人目を少し気にしながら、勢いよく掴んで鞄の中にしまった。
心臓がバクバク言って、何故か涙まで出そうになった。
誰かの手によって、解りやすく引っ掛けられていた私の帽子。
捨てられた犬のように、みすぼらしさと愛らしさを備え、お利口に待っていた帽子と目が合って、胸が苦しくなった。
人情とも呼ぶべき誰かの優しさ、ありがとうございます! と、声に出しそうなほど思いながら、そそくさとその場を立ち去った。
反省と謝罪の意を込め、今朝、柔軟剤で香りよく手洗いした帽子が、日当たりの良い窓辺の特等席で寛いでいる。
人との縁も然ることながら、物との縁も大事にしないといけないなあと つくづく思う本日。
運良く見つかった帽子を思いながら、私の元へと導いてくれた誰かの存在を思いながら、慌ただしさにかまけ、見失っていること、見落としていること、大事にしているつもりでもできていないことが、自分の意識の外にいくらでもあるんだろうなあと思うと、顧みてもみきれず、キリがなくて切なくなる。
あっという間に時は過ぎる。両手で持てるものには数に限りがある。
その世界の中で、自分のペースでしか生きられない世界の中で、飛び跳ね、ときに頭を打って気づき、また跳ねて。
生き残った幸せを噛み締める。
今日は天気がいいから、洗濯物が早く乾く。
恵まれた午後をどう有効的に過ごそうか、戒めを持って考える。
今日の気候との釣り合いを取るように、まずは大きく深呼吸
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