2013-08-17
夏の思い出と残暑見舞い
毎日のうだるような暑さに降参しそうになった頃、夏はようやく下り坂を迎える。
8月も後半戦に突入し、心なしか朝晩涼しく、日没の時刻もいつの間にか早くなった。
耳のすぐそばで鳴いていたような蝉の声も、今は少し遠く、
鮮烈な夏の色が少しずつ色褪せる切なさを、これから日毎感じるのだろう。
予想よりも暑く、予定よりも充実した今年の夏。
今月の頭には毎年恒例の地元の花火大会。
夏のちょうど真ん中辺りで打ち上がる大きな花火が、今年も例外なく季節の折り返しを告げた。
花火がよく臨める立地に実家が建っていることから、毎年この日は大人数が集まり、準備や後片付けも大変で、てんやわんやな一日になるのだけれど、花火が上がるほんのひととき、不思議なほど心静かに、頭と体を惚けさせていられる。
臓器が縮こまるほどの大きな音で、ざわつく会話や考え事は有無も言わさず寸断され、その鮮やかさにただただ惹きつけられる。
毎年美しい感動と爽やかな改心をくれるスケールのでかい花火は、今年も私の弱気な心に威勢良く激励を飛ばしてくれた。
お盆は気の置けない友人たちと全力で遊びつくし、体も心も未だ火照りが治まらない。
なんとしてでも焼きたくなかった肌も、影のない海辺であっさりと焦げてしまい、もうこの際どうにでもなれと思ったら、心の底から夏らしい夏を楽しむことができた。
堅苦しく器の小さい自分に嫌気が差していたこの頃、
容赦なく照りつける夏の日差しと私の愛する人たちの優しい誘いが、
いつまでも抜け出せない長いジレンマのトンネルから、私を引きずり出してくれた。
大人になればなるほど、自分のこだわりを手放せなくなってしまい、したい事を自由に楽しむ心を忘れてしまう。
自分で決めたルールからはみ出ることにどこかしら負い目を感じ、小さく窮屈な柵の中に心を押し込めて過ごしていたけれど、この夏出逢った様々な気付きと実感が、遂にそんな自分とおさらばしようという決意をくれた。
来週は一年ぶりに帰国する妹と逢う。
彼女は常々「私はしたい事しかしない」と言い続けている。
生活するためにはしたくないこともしないといけないのよ。と言う大人も沢山いるだろう。
けれどその宣言通り、少なくとも私には、妹がそれを実現させているように見える。
同じ血が通うはずなのに全く違った性格を持つ姉という立場で彼女の生き方を身近で見て、その考えを否定する気持ちは毛頭ないが、自分には到底そんなことやってのけることは出来ないなと、別世界の人を高貴の目で眺めるみたいに、神々しく語る彼女の信念を羨ましく思いながら聞いていた。
普段殆ど用事がない限りは外出しない、所謂ひきこもりの私。
実際的には部屋だけでなく、自分の考えからもなかなか外に出ることが出来ない頑固者だとも自覚している。
けれどこの夏、普段以上に外に出て、人に逢い、刺激を受けて、
自分がそれまで大層に考えていたこだわりが、簡単に打ち砕かれ、諦めの気持ちをきっかけに新しい発見があった。
自分の限界を認めた先に自由が広がっているんだということを体感して、凝り固まった自分のつまらなさを認めてしまえば、いつもなら通りすぎてしまう他人の意見も、すうっと新鮮な気持ちで聞くことができるということも、少しは解ったような気がする。
そんなタイミングで、来週妹に逢えることが、なんだかいつも以上に待ち遠しい。
残暑はまだまだ後ひと月は続くだろう。
夏もまだ終わりには程遠いけれど、秋に向かって確かに季節は緩やかな坂道を滑り始めた。
想像するだけで胸が苦しくなってしまうような、哀愁の季節へ。
この夏焼かれて剥がれた気持ちを、豊潤な風にくすぐらせ、
手放して自由になった心を、愛おしい季節の移ろいに預けるように過ごしていきたい。
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