2010-11-11
遮二無二無我夢中
「今、ここ」という表現にあまりピンと来ない。
物事に行き詰まって、精神修行系の何か、
例えばスピリチャルとか、ヨガとか、座禅とか、
なんでもいいんだけど、そういうものを学ぼうとするとき、
必ず出て来る「今、ここ」という言葉。
マヤ文明に伝わったマヤ暦を基にしている「13の月の暦」でも、
やはり「今、ここ」という言葉が使われていた。
この言葉を初めて聞いたという人に解説すると、
私が思うには、つまり、
物事に集中しよう!
ってことだと思うんです。
人間のエネルギーってすごいから、
時間を長く使うことも、短く使うこともできる。
例えば試験で早く終わってしまった時の
残り時間が異常に長く感じたり、
あるいは音楽を作っている時、
集中していること、頭の中には、
無限の時間と空間が広がっていたり。
人生の中には、色んな時間の感じ方があると思うのだけど、
まさにこの後者の時を
「今、ここ」に意識がある
と呼んでいるのだと思う。
だけど、この言葉を聞くといつも、違和感を覚える。
私にとっての「今、ここ」は、一瞬の時間を捉える言葉に思えてしまうだ。
だって「今、ここ」は、この瞬間しかないのであり、
「今、ここ」に集中しようと思えば思う程、
瞬間は、次の瞬間には過去となり、流れて行って、
スルリスルリと、手の中からこぼれ落ちて行くような気がしてしまう。
では、と考えてこの言葉を使う人たちが
言いたいことを私なりの別の言葉に置き換えると、
遮二無二、無我夢中!
ということになる。
人が無我夢中で何かをするとき、
頭の中(時に四次元と呼ぶ人もいる)は
縦横無尽に拡張され、無限に広がって、
そして、とてつもないパワーとエネルギーが生まれる。
座禅で集中するのも、音楽に没頭するのも、
原理的には多分、同じことなんだろうと思う。
そう言えばマヤ暦のお勉強をした時
「Time is art」
という言葉が出て来て、そっちはずいぶんしっくりと馴染んだ。
直訳すると
「時間は芸術」
となってしまうのだけど、私的にはこれは
「時間は無限」
という解釈になる。
まあ、言葉はどちらでも、好きな方法で表現すればいいのだけど、
、SNS やTwitter なんかが生活の中心と化している昨今、
だからこそ、「無我夢中」空間をどれだけ作れるか、ということが、
人々にとってはかなり大きなキーポイントになるんじゃないかと
最近思う。
人間は、そういう風に時間を使える生き物なのだから、
意識的に、願わくば無意識的に、
本来の能力をもっと活かして暮らしたいな。
特に、けっこうなTwitter 依存症な私としては(反省)。
バンドライブツアー、明日が最終日♪
無我夢中の境地ナリ。
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