2011-02-11
人はどうして生きるのか
ずいぶんと大きく出たタイトルだけど、これは、長いことが自分が
自分に、そして他人に問いかけて来た疑問である。
これは本当に本当に深いテーマだし、倫理に詳しくないのに、
そう簡単に書くべきではないかもしれない。
でも、最近気づいたことがあるので、書いてみる。
最初にこの疑問を抱いたのは小学校高学年の頃で、
それから高校生位まで、
いわゆる思春期の間、ずっとこれを抱えてもんもんとしていた。
本気で死んだ方がいいのではないかと思ったこともあったけれど、
「生きている理由がわからない」という理由”だけ”で死ぬ人はいないと思う。
思春期とは、とかく、そういうことを考えるものだ。
でも、大人になってこういうことに悩むのは、少し意味が違う。
このことについて考えるときは、ほぼ100%、
人生や自分に疲れてしまっている時だ。
どんなにやっても、達成感を感じられない。
時間ばかりがありすぎて、人との関わりや
社会との関わりを感じられない。
夜型になって日の光を浴びていない。
泣けもしないくらい、自分を開放できない。
色んな夜に、この問いかけはやってくる。
その度、「生きる意味」を見いだせずに絶望する。
いくら探しても、自分一人の中に、答えなどないのに。
少し前まで、生きる理由は、
「死ぬ時にしかわからない」というのが結論だった。
自分の人生に満足出来るかどうかがわかる、という意味で。
でも、最近は、
「生きる理由は自分が決める」のだと思える。
人生って、なんとなくだって、一生懸命にだって、
同じように流れていく。
この世に生まれてから、いつか死ぬまで、
その時間をどういう風に使おうと、それはその人の自由だ。
でも、全ての人に等しく、人間はいつか死んで行く。
しかも、死はいつでも訪れうる。
だから人生を限られた時間だと思うとか、
いつでも後悔しないように、
なんていうのは、ちょっと疲れてしまう。
でも、短いスパンで、例えば、「今週の目標」「今月の目標」
をたてて、それをクリアしていくのは気分がいい。
高校生のときつきあっていた彼氏に言われたことがある。
「俺は変われない」と。
シチュエーションは思い出せないのだけど、
いつでも変化を求める私に、彼は少し疲れてしまったのかもしれない。
誰しも、本質的に変わることは、難しい。
でも、自分が少しずつ変わって行くからこそ、人生はおもしろいと思うのに。
その半歩を進めるのが、楽々な人、
それさえも辛い人。
その時々で違いはあるけれど、それは人と比べることじゃない。
そう考えるだけで、人生はずいぶんと気楽になる。
そして、いつでも時間の波をサーフしていたい。
「生きるとは、自分の物語をつくること」と言った
故河合隼雄先生の言葉の通り、
どうしたいのかはいつだって、考えるよりも早く、
自分の深い部分でわかっていることだ。
私たちはただ、日々それを形にしていくだけ。
その時に隣に、あなたがいてくれたらね。
私の日々がいつだって、
好きな人達に囲まれていられたら、それが一番幸せ。
2件のコメント
通りすがりです。
大きなテーマへの果敢な挑戦,
ご健闘お祈りします。
私,Asakoさんのように自発的でなく,人に叱られて生きてきました。
まとめです:
* 自分の生死を自分で決められるなんて自惚れるな。
* 「生きる意味」と「生かされている意味」では大きく違う。
* 人は何らかの使命のために命をつなぐ。
* 忘却と眠りは死の姉妹。
* 朝目覚めても,「私は私」と思うのはひとえに脳の働き。
* 人は,一呼吸毎に自分が新しくなってゆく,という静かな高揚感を持ち得る。
TTDe さん
コメントありがとうございます♪
私もけっこう叱られて生きて来た&今も叱られてます。笑
「一呼吸毎に自分が新しくなってゆく」って、すごくいい言葉ですね。
私は呼吸の訓練中なので、こんな気持でも試してみたいです。
たくさんの断片の提示ですね。
想像ふくらませてみます。
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