2011-05-16
エンドロール
世の中が騒然と、
この天災と人災によりもたされた二ヶ月を吐き出している。
テレビや新聞、インターネット上のどこででも、
たくさんの人たちの、それぞれの物語が語られ、
哀しみや怒りなくして、それを見ることはできない。
それでも変わらず、東京では時が流れて行く。
屈託なく子どもは笑い、飛び跳ねて、
その隣で大人は、神妙な顔をしながらも、こつこつと日々を営む。
どうすればいいかと迷いながら、多くの人が今を続けることを選んでいる。
3月11日を理解しようとする時点で、
誰しも、これまでの人生に、エンドロールが流れたはずだ。
それまでうっすらと疑問に思っても、
おざなりにやり過ごしていたことでさえ、
はっきりと答えを示さなければ、どこへも進めなくなってしまった。
少なくとも私は、キッパリとした過去の自分との決別があった。
どう変わっていくのか、意識は少しずつ学んで知っていくのだけれど、
とにかく、あぁ、これまでの自分は、もういないんだ、という、
はっきりとした小さなお知らせのようなものがあった。
いつかここではないどこかへ行けると信じていたもう少し若い頃の自分に、
あるいは今なら言えるかもしれない。
確かに、「ここではないどこか」へは行けるのだと。
でも、それは過去に描いたものとは違っている。
これは神の啓示でもなければ、奇跡でもなく、
誰かが何かをしてくれるのではないからだ。
ではどうすれば、「ここではないどこか」へ行けるのか。
それはとてもシンプルだ。
何が大事かがわかったら、
これまでの考え方や癖を少しだけ変えてみる。
人生は、小さな決断の積み重ね、進んで行く。
つい先日、ソフィア・コッポラの最新作「SOMEWHERE」を観た。
映像センスも、音楽も、どのソフィア作品も大好きなのだけれど、
今回は内容についても、じんわりとだけれど確実に、
心に打たれるものがあった。
主人公が最後に、「SOMEWHERE=どこか」へ行こうとするその瞬間、
PHOENIX の「Love Like A Sunset (Part 2)」が流れ、
画面はエンディングロールに変わる。
フェラーリを乗り捨てていくのはメタファーとしても、
主人公には小さな決断があった。
(そうか、それでオープニングの謎もとける…)
映画と同じように、物事はいつも、突然に終り、
レールは瞬時に切り替わって行く。
レールの順調なうちは、その車窓を存分に楽しもう。
この景色は、今しか見ることができないし、その場所でしか感じられない。
繰り返される刹那の中で、瞬間を存分に味わった時に、
人は永遠を手に入れることができる。
永遠に留まることはできなくても、永遠を抱えていくことはできるだろう。
決断をしたなら、迷わず新しいレールに飛び乗ろう。
そこで流れるエンドロールを眺めながら、
出会った人たちの名前を眺め、スペシャルサンクスを捧げたい。
新しいレールを走り、新しく出会う、たくさんの事に期待したりしながら。
これで、「ロンリープラネット」は最後になります。
とりとめのないコラムを読んで下さった皆様、ありがとうございました。
次回からは「発見!ぐるぐるLOUNGE」と題し、
私が見つけた音楽、映画、アートなど、
カルチャー情報を発信していきます。
どうぞお楽しみに!
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